敗軍の将が語ったもの。

いろいろと物議を醸している30日付の警視庁のプレスリリース。
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/nansen/h220330_jiken.pdf


国松警察庁長官銃撃事件が公訴時効を迎えたことを受けての「捜査結果概要」の公表ということだが、

「被疑者不詳のまま送致」

という結論であるにもかかわらず、

「これまでの捜査結果から、この事件は、オウム真理教の信者グループが、教祖の意思の下に、計画的・組織的に敢行したテロであったと認めました。」

と堂々と言い切っているあたり、やはり異例かつ様々な問題点を孕むものであることは間違いない。



一応、添付されている概要を見ると、

「犯行の個々の関与者やそれぞれが果たした役割について、刑事責任の追及に足る証拠をもって特定・解明するには至りませんでした。」

としながら、「オウム真理教の計画的・組織的犯行」と言い切りたかった捜査当局の心情は何となく理解できる。


特に、幹部Eの生々しい言動に関する記述は、犯行への何らかの関与を疑わせるもので*1、平成7年に入ってからの教団の動向と照らし合わせれば、「オウム信者グループによる犯行」という筋で捜査を進めたこと自体は間違いではなかった、と思わせてくれる*2


ただ、如何せん、実行犯の特定に関しては、物的証拠、供述証拠ともに公判立証に耐えうるような事実は、前記報告書には表れていない、と言わざるを得ないだろうし*3、先に挙げた「幹部Eの言動」にしても、もっぱら他の教団幹部Dの供述に依拠し過ぎていて、公判で供述の任意性なり信用性なりが争われた時に、果たしてどこまで耐え得るものなのか、疑わしいと言わざるを得ない。


おそらく、警視庁が「捜査概要」を公表した背景には、公訴時効を迎えたことにより噴き出してくる様々な批判*4に対し、

「捜査の方向性自体は間違っていなかった」

ということをアピールする、という狙いもあったのだろう。


だが、仮に方向性が合っていたとしても、最後の詰めが甘くて公訴時効内での送致、起訴に持ち込めなかったことに変わりはないわけだし、かえって、「特定の関係者の供述」という決して盤石とはいえない証拠構造に依拠して捜査の方向性が決められていた疑いを抱かせる可能性すらあることを考えれば、今回の公表が警視庁にとって何らかのプラスになるとはあまり思えない*5(もちろん、司法の場で反論できない状況において、特定の団体を「犯人」として名指しすることの問題点も大きいのだが、この点についてはあちこちで指摘がなされているからここでは割愛)。


捜査当局内部で、今回の教訓をどう生かすか、というのは別問題として、“外部”に対するスタンスとしては、敗軍の将に兵を語らせる必要があったのかなぁ・・・というのが率直な感想である。

*1:もっともこれをもってしても、「当該幹部(及びその周辺のグループ)の関与」という域を超えて教団全体の関与を裏付けるものとまでは成っていないように思えるのだが・・・。

*2:この時点で既に警視庁の広報戦略の罠に陥っているのかもしれない(苦笑)。

*3:特にかねてから実行犯と目されていた人物と想定されるA氏については、事件前日に興奮した口調で「できること、できないことがある。やりたくありません」と話していた、という事実を指摘しながら、当日事件直後に「警察庁長官が撃たれた。まだマスコミに知られていないと思うので取り扱いに注意して欲しい」という極めて冷静な内容の電話をかけていることも同時に指摘していて(いくら警察官とはいえ、前日の段階でそれだけの興奮状態に陥っていた人物が、翌日自ら殺傷行為を行ってそこまで冷静にふるまえるものなのか、常識的に考えれば大いに疑問は残る)、かえって実行犯の特定に向けた捜査過程の誤りをさらけだしているように思えてならない。

*4:特に、そもそも「オウム真理教の犯行」と見立てたこと自体が間違いだったのではないか、という類の批判。

*5:加えて、将来、重大犯罪の公訴時効が遡及的に撤廃される可能性があることを考えると、現段階で捜査当局が依拠している証拠構造をさらけだすことが適切だったのかどうか。議論の余地はあると思う。

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