改正臓器移植法初適用事例に思うこと。

臓器移植法改正をめぐって、党派を超えた議論が繰り広げられたのはもう一年前のこと*1


結局、法案は可決成立したものの、その後の政権交代等もあって、大きな議論が湧き上がることもなく静かに施行日(平成22年7月17日)を迎えていた。


そして、一昨日くらいから、「本人の書面による意思表示がなくても、家族の承諾で脳死判定し、臓器を摘出することができる」という改正法のキモを初適用した“画期的事例”が、あちこちで報じられている。

日本臓器移植ネットワーク(東京・港)は9日、20代の男性患者が病院で脳死と診断され、家族の承諾のみで臓器提供を実施すると発表した。関係者によると病院は関東地方。男性は家族に口頭で提供の意向を示していたが、意思表示カードなどはなく、7月17日に施行した改正臓器移植法に基づく初のケース。」(日本経済新聞2010年8月10日付朝刊・第1面)

一応、改正法の内容を確認しておくと*2、従来、

第6条第1項 
 医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる
第3項
 臓器の摘出に係る前項の判定は、当該者が第一項に規定する意思の表示に併せて前項による判定に従う意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないときに限り、行うことができる。

とされていた規定を、

第6条第1項
 医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
第1号
 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。
第2号
 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。
第3項
 臓器の摘出に係る前項の判定は、次の各号のいずれかに該当する場合に限り、行うことができる。
第1号 
 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき。
第2号
 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合でありかつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。

と改めたのが昨年の改正であり、従来死亡した者の明示的な意思がなければ決して成し得なかった臓器移植を、「移植のために臓器を提供する意思がないことを表示している場合(及び「脳死判定に従う意思がないことを表示している場合」)」を除いて「家族の承諾だけ」でできるようにした、というのが、改正の趣旨であることが分かる。



さて、当初ニュースを聞いた時は、そんなに違和感がなかった今回の改正法適用第1号事例だが、その後、「家族の同意」の背景事情がチラホラと聞こえてくるにつけ、いくつかの疑問が湧き上がってきた。


その最たるものが、

脳死と判定された20代男性は臓器移植に関するテレビ番組を見た際、家族に「臓器提供したい」と話していたことが10日、分かった。男性は意思表示カードを所持していなかったが、家族はこの時の男性の意思を尊重したという。」(日本経済新聞2010年8月10日付夕刊・第15面)

というくだり。


先にも述べたように、今回の改正では、「臓器提供を行わない(脳死判定に従わない)」という意思を本人が表示していない限り、臓器移植を行うことは可能だから*3脳死と判定された男性が、どういう状況で「臓器移植する意思」を表明したか、ということは、直接的には、脳死判定及び移植の可否を判断する上での要素とはならない。


だが、「テレビを見た際に話していた」というレベルの話で「本人の意思あり→ゆえに承諾」という帰結に至ったかのようなニュースを聞いてしまうと、“大丈夫か・・・?”という思いに駆られるのも確かだ。


改正法の下で、「家族の承諾」により臓器移植を行うために本来必要なのは、「臓器提供の意思がない」旨の意思表示がないことの証明であろう。


しかし、一般論として常に言われるように、「ないこと」を証明するというのは、実は相当に難しい*4


そして、多くの場合には、日頃の本人の言動等から、「提供の意思がない旨の意思表示がない」ことを推認せざるを得ない、ということになるはずだ。


そう考えると、「テレビを見た際に話していた」というレベルで、「意思表示がない」ことの推認を十分に働かせることができるのかどうか、考えれば考えるほど分からなくなる*5


まだ完全には機能を停止していない家族の身体を目の前にして脳死判定&移植に承諾した、本件のご家族の勇気ある決断に対してとやかく言うつもりはない。


本人が「テレビを見た際」にした話が、前記記事のトーンとは異なる、とても深い話(家族としては何としてもその意向を通してあげたいと思うような)だった可能性も十分にあるだろう。


だから、今我々が目にしている情報だけで、今回の移植そのものを批判するのは失当だと思う。


だが、やはり個人的な思いとしては、ドナーカードにより明示的に臓器提供の意思を表示した人以外の人からの臓器移植には慎重であってほしいと思うし*6、法が改正されたからといって、本人に意識があったときの意思の探究を十分に行うことなく、安易に“家族の承諾”だけで移植を進めるような現場での運用*7は避けられるべきではないか、というのが強い。


“美談”だけが独り歩きしそうな気配がある今だからこそ、なおさらそう思うのである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20090623/1245774330など参照。

*2:エストロー社が提供している現改比較表が分かりやすいので、挙げておくことにしたい。http://www.westlawjapan.com/laws/2009/20100717_83.pdf

*3:第2条1項には「死亡した者が生存中に有していた自己の臓器の移植術に使用されるための提供に関する意思は、尊重されなければならない。」という旨の規定があるが、条文の建てつけ上は精神的条項と言わざるを得ないように思われる。

*4:自分は臓器提供の意思がない旨明確に表示したドナーカードを常に持ち歩くようにしているのだが、それでも、何らかの事故にあってから、脳死状態に陥るまでの間に、タイミングよく家族がそれを見つけてくれる保証はどこにもないわけで・・・。

*5:条文上、「提供の意思がない旨の意思表示」は、書面によることを要しない(提供の意思がある場合の条文の反対解釈)と考えるべきなのだろうから、なおさらである。

*6:“承諾”の責任を負う家族が余計につらい思いをすることになるわけだから・・・。

*7:繰り返しになるが、今回の移植が安易に行われた、とは自分は思っていない。これは、あくまで、今後に対する憂いである。

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