嘘つきは泥棒のはじまり、とも言う。

新司法試験の発表と同じ日に、新聞の片隅にひっそりと載っていた↓の記事。

最高裁は9日、8月25日に司法修習を終えた195人中、4人を判事補として採用することを決めた。・・・(中略)・・・裁判官希望者で不採用になった人はいなかった」(日本経済新聞2010年9月10日付朝刊・第35面)

まぁ、毎年のことではあるのだけれど、こういうことを、しゃあしゃあとプレスリリースで言ってしまうところが、裁判所(というか最高裁事務総局)という組織の嫌らしくけしからんところであるのは間違いない(笑)。



なお、選ばれた4名には、たぶん何ら非難されるべき要素はないのだろうけど、同じように勉強を続けて同じ場所に辿りついた人々の中に、「希望者」になることさえ許されなかった者がいること、そして合理的な理由を説明されないままそのような状況に追い込まれた者たちが、少なからず無念の思いを抱えていたこと、は、心のどっかにとどめておいて欲しいな、とも思うわけで*1


傍から見たら責任も権限も大きい。でも、中でやっていると、そのことに気づく機会は案外少ない(むしろ目先の仕事の本質とは関係ないことに気を取られることが多くなりそうな)仕事のように思えるだけに、時々は初心に立ち返って仕事に臨むことが、自分のためにも世の中のためにもいいんじゃないかな・・・と老婆心ながら囁きたくなる。

*1:別に彼らの人生まで背負え、なんてことは言わないけどさ・・・(所詮、自分にとっちゃ他人事だし)。

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