“争議”は“葬儀”の一里塚。

経営再建に向けて青息吐息状態のJALだが、危機的状況においても会社の“風土”は依然維持されているようで、(いまどき珍しく元気がいい)組合のニュースも、相変わらず紙面を賑わせている。

で、先般の争議権確立投票をめぐる労使の攻防が遂に労働委員会に持ち込まれたとのこと。

日航の管財人の企業再生支援機構らが整理解雇に対する争議権の確立を妨害したとして、操縦士でつくる「日本航空乗員組合」と客室乗務員でつくる「日本航空キャビンクルーユニオン」が9日までに、東京都労働委員会に救済を申し立てた。申し立てによると、争議権確立の投票期間中だった11月16日の労使交渉で、支援機構は「争議権が確立した場合、撤回されるまで、更生計画案で予定されている3500億円の出資はしない」などと発言した。」(日本経済新聞2010年12月9日付夕刊・第16面)

確かに、いくら経営危機に陥っているからといえ、使用者側が何をやっても許される、というわけではないから、報道されているような発言が事実であれば、組合側の憤りも一応は理解できるし、労働委員会レベルで救済命令が出される可能性がないともいえない。

だが、高コスト体質の経営を続け、半ば自業自得的に現在の状況に陥った会社の“戦犯”の一つと目されている人々が、今さら整理解雇に反対してスト、なんて言ったところで、果たして世の中の共感をどれだけ得られるというのだろう・・・。

一連の同社の争議系のニュースを聞くたびに、そのあたりの世間感覚のズレは如何ともし難いなぁ・・・という思いに駆られてしまうわけで、ここに、今の状況に陥った最大の元凶があるんじゃないかと思わずにはいられない。

今のような航空業界の環境激変期においては、いかに“昔の名前”があるといっても、再び会社がパンクするリスクは十分にある。そして、会社が潰れてしまえば、労働者の権利もなんもあったものではない。

争議を繰り返したあげく、文字通り歴史から葬り去られてしまった会社(公法人含め)なんて、世の中にはいくらでもあるわけで、管財人サイドの“横暴“に反発するにしても、他にやり方はいくらでもあるだろうに・・・と個人的には思うところである。


なお、本件では、「言った言わない」の話に加えて、「再生支援機構」が「使用者」に該当するか否か、という解釈論議も一応出てくる場面だとは思う*1

もちろん、「再生支援機構」が使用者としての責任を負うとしても、それはあくまで「管財人」としての地位に基づくものと考えられるから、労働委員会が命令を出す前に再生手続終了ないし二次破綻してしまうようなことになると、ちょっとややこしいのかな、と。

*1:もっとも、労働組合法上の「使用者」は広義に解するのが通説的見解であり、少なくとも労働委員会レベルでは、再生支援機構が「使用者」として救済命令の名宛人になる、という結論は揺るがないだろうと思う。

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