裁判員の良心

一部ではいろいろと批判も多い裁判員制度だが、少なくとも、「死刑判決を抑制する」という点と、「証拠が薄い事件で安易に有罪認定することを避ける」という点では、当初の(特に弁護士会側の)目論見どおり、うまく機能しているのではないかと思う。

10日夜から11日にかけてメディアを賑わせたこのニュースもそうだ。

裁判員裁判として死刑求刑の被告を初めて無罪とした10日の鹿児島地裁判決は、状況証拠の評価について最高裁が4月に示した考え方を踏襲したうえで、「検察側が積み重ねた状況証拠に、被告が犯人でなければ合理的に説明できない事実は含まれていない」と断じた。裁判員裁判での立証に厳しいハードルを課した形で、捜査のあり方にも影響を与えそうだ。」(日本経済新聞2010年12月11日付・第35面)

今年の4月に出された最高裁判決で、「状況証拠」に基づく事実認定について、従来の裁判所基準よりも厳しめに思える判断が下された、という影響ももちろんあるだろう。

だが、それ以上に、裁判官+裁判員の方々が、証拠に基づく事実認定と、そこから導かれる推認過程を緻密に検討し、「疑わしきは被告人の利益に」という原則を愚直なまでに順守したことが、今回のような判断につながったのは間違いないだろうと思う。

本件では被告人の供述の中に、明らかに客観的事実と反するものもあったようで、裁判官だけの法廷であれば、“建前”は理解しつつも根本的な心証はそのあたりから取って、それに合わせて結論を導く、なんて裏技もできたかもしれない。

しかし、一市民に過ぎない裁判員にはそんな器用な芸当はそもそもできないから、40日間の審理の過程で、基本的なルールを一つひとつ積み重ねて、結論に向かっていった。

そもそも、日本の刑事裁判の多くは、情状以外に争いもなく、1回の審理で終わってしまうようなものがほとんどだから、公判に出てくる証拠も、良く見ると結構荒っぽいものが多い*1

さすがに裁判員対象事件になるような重大事件となれば、その辺はそれなりにきちんとしたものが出てくるのだとは思うけど、地方の警察や小規模庁の検事がいくら頑張って着飾ろうとしても、限界はあるわけで・・・

本件の裁判資料を見たことはないし、自分の目に触れるような機会も一生ないだろうとは思うのだが、そういった様々な要素が重なった結果が、この重い「無罪判決」につながったのではないかな・・・と個人的には思うところである。

*1:だから、軽めの犯罪の否認事件で、暇な修習生が荒探しをすれば、いくらでも無罪起案がかけてしまう。