様々な要素が詰まった著作権侵害紛争の一事例〜「NEW増田足」事件

ひとえに著作権法といっても論点・争点になるところ、っていうのはいろいろあって、個々の事件を一つひとつ見ているだけではなかなか全体像を掴みにくいのであるが、そんな中、実務上著作権法の解釈をめぐって争いになりそうな論点を数多く含む、初学者的には美味しい(笑)事例が登場した。

裁判所が出した結論に辿りつくのはさほど難しくない、その意味で事件的にはそんなに面白くないケース、というべきなのかもしれないが、とりあえず、ここでご紹介しておくことにしたい。

東京地判平成23年1月28日(H20(ワ)第11762号)*1

原告:有限会社増田経済研究所
被告:有限会社アルス・ノーヴァ、A1

本件は、原告が顧客に提供している「NEW増田足」という株価チャートを作成、分析するためのソフトウェア(以下「原告ソフト」といい、原告ソフトを構成するプログラムを「原告プログラム」という。)を、「被告らが複製(又は翻案)してソフトウェアを制作し、顧客に対して公衆送信等をしている」として、原告が被告会社及び被告A1を相手取り、著作権著作者人格権に基づく差止、廃棄、損害賠償、謝罪広告の掲載等を求めて提訴した事例である。

被告A1が、平成14年10月〜平成18年9月30日ころまで原告に在籍してソフトウェア開発に従事しており、退社後間もない、平成19年1月頃から被告会社の業務としてソフトウェアを複製販売していた、という事情が存在するのが、本件のもっとも大きな特徴であり、それゆえ、本件では、ソフトウェアの著作物性や類否だけでなく、職務著作の成否も争点となった。

また、結論として侵害が肯定されたことから、損害額をどのように算定するか、という点も、実質的な争点となっている。

以下、争点となった点を中心に見ていくことにする。

著作物性

裁判所は、プログラムの著作物性について、

「一般に,ある表現物について,著作物としての創作性が認められるためには,当該表現に作成者の何らかの個性が表れていることを要し,かつそれで足りるものと解されるところ,この点は,プログラム著作物の場合であっても特段異なるものではないというべきであるから,プログラムの具体的記述が,誰が作成してもほぼ同一になるもの,簡単な内容をごく短い表記法によって記述したもの又はごくありふれたものである場合には,作成者の個性が発揮されていないものとして創作性が否定されるべきであるが,これらの場合には当たらず,作成者の何らかの個性が発揮されているものといえる場合には,創作性が認められるべきである。」(30頁、強調筆者以下同じ。)

という一般的な基準を定立した上で、原告プログラムについて、

「原告プログラムは,上記アのとおり,株価チャート分析のための多様な機能を実現するものであり,膨大な量のソースコードからなり,そこに含まれる関数も多数にのぼるものであって,原告プログラムを全体としてみれば,そこに含まれる指令の組合せには多様な可能性があり得るはずであるから,特段の事情がない限りは,原告プログラムにおける具体的記述をもって,誰が作成しても同一になるものであるとか,あるいは,ごくありふれたものであるなどとして,作成者の個性が発揮されていないものと断ずることは困難ということができる。」(30-31頁)

と、プログラムが実現する「機能」に着目して、著作物性をあっさりと肯定した。

この点につき、被告側は、「原告プログラムの中には、開発ツールによって自動生成された部分が相当の分量に及んでいる」ということを主張し、(プログラムの一部について)創作性を争ったのであるが、裁判所は、

汎用的プログラムの組合せであったとしても,それらの選択と組合せが一義的に定まるものでない以上,このような選択と組合せにはプログラム作成者の個性が発揮されるのが通常というべきであるから,被告らの上記主張は採用できない。」(31頁-32頁)

等と述べて、最終的には全体について創作性を肯定している。

プログラムの著作物をめぐる紛争事例の場合*2、本来問題となるのは原告・被告両プログラムの「共通部分」の創作性の有無であって、全体としての創作性の有無を議論しても仕方ないところはあるし*3、本件では被告A1自身がプログラム開発者であり、被告会社自身も自らのプログラムを顧客に使用させて収益を得ている会社であるのだから、プログラム全体の著作物性を否定する主張を行う、というのは、“天に唾”的な印象すら与えるもので*4、結論としてはこの程度のあっさり感で問題ないと思われる。

職務著作の成否

続いて問題となったのは、被告A1が作成した、とされる原告プログラムが、職務著作に該当するか、という点であった。

被告は、A1が原告プログラムを開発した当時、原告の実質的な権限者であったA2が採用を反対した、という経緯があった、ということで、著作権法15条の「発意」要件を満たさないのではないか、という主張をまず行ったのであるが、裁判所は、人工衛星プログラム職務著作事件(知財高判平成18年12月26日)で述べられた規範を引き継いで*5

「法人等の発意」の要件については,法人等が著作物の作成を企画,構想し,その業務に従事する者に具体的に作成を命じる場合,あるいは,その業務に従事する者が法人等の承諾を得て著作物を作成する場合はもちろんのこと,法人等とその業務に従事する者との間に雇用関係があり,法人等の業務計画に従って,その業務に従事する者が所定の職務を遂行している場合には,法人等の具体的な指示あるいは承諾がなくとも,業務に従事する者の職務の遂行上,当該著作物の作成が予定又は予期される限り,「法人等の発意」の要件を満たすものと解するのが相当である。」(35-36頁)

と、法人等の具体的な指示、承諾がなくても「発意」要件を満たす、とする立場を取った上で、

(1)平成15年12月ころの時点において,原告旧ソフトに替わる新たな株価チャートソフトを開発,導入することは,原告の業務計画の一つとなっていたこと
(2)その後,原告に雇用された従業員である被告A1が,原告旧ソフトに替わる新たな株価チャートソフトの開発及びプログラミング作業を行い,これを完成させていること
(3)このようにして完成されたソフトは,完成後直ちに,原告ソフトとして,原告からその顧客に提供されていること
(4)被告A1は,広告物やホームページ等の制作を行う技術者として原告に雇用された者であり,原告の商品となるソフトウェアの開発及びプログラミング作業もその職務の範囲に含まれるものといえること
(5)被告A1は,上記ソフトの開発期間中に行われた原告の社内会議において,A2らに対し,同ソフト開発の進捗状況をたびたび報告していること

という事実を認定し、

「これらの事実を総合すれば,被告A1による原告ソフトに係るプログラム(原告プログラム)の作成は,少なくとも,原告の業務計画に従ったものであり,原告の従業員である被告A1が自己の職務範囲に属する事務を遂行したといえるものであって,しかも,その職務の遂行上,当該プログラムの作成が予定又は予期される状況にあったことは,明らかである。」(36頁)

として、原告プログラムが、原告の「発意」に基づくもの、と評価した。

被告A1とA2との間に対立があった、という被告の主張が事実だったとしても、上記(5)のとおり、A1は開発の進捗状況を社内会議等で報告していたのだし、上記(3)のとおり、A1が開発したプログラムは最終的に原告の商品として顧客に提供されているのだから、被告の主張が大きな意味を持つものではない、というのは明らかだろう。

そして、「発意」要件に実質的な意味を持たせない傾向がある最近の裁判例の傾向からすれば*6、上記のような結論に至るのは当然の流れだったと言える。

また、被告は「職務上作成」要件についても該当性を争ったのであるが、裁判所は、

(1)被告A1は,原告に雇用され,原告の業務に従事する者であること
(2)原告ソフトを作成することは,原告旧ソフトに替わる新たな株価チャートソフトを開発,導入するという原告の業務計画に沿うものであること
(3)ソフトウェアの開発及びプログラミング作業は,被告A1の原告における職務の範囲に含まれるものといえること
(4)被告A1は,上記ソフトの開発期間中に行われた原告の社内会議において,A2らに対し,同ソフト開発の進捗状況をたびたび報告していること

という事実からこれを否定し、被告が主張した「A1によるプログラム作成は勤務時間外に自宅で独自に行われた」*7、「原告ソフトの開発当時から被告A1しか原告ソフトのソースコードにアクセスできないようにされていた」*8、「原告が被告に対し、一従業員に対する報酬としては考え難い多額の金銭を支払っている」*9、「原告従業員であるA2及びA3らがソフトの改良点についての理解を欠いている」*10、といった点についても、ことごとく退けたのである。

かくして、著作権法15条2項により、原告プログラムの著作者は原告、と判断されることになった。

複製・翻案の成否

裁判所は、原告プログラムと被告プログラムが「そのソースコードの記述内容の大部分を共通にするものであり、両者の間には、プログラムとしての表現において、実質的な同一性ないし類似性が認められる」(41-42頁)と述べた上で、被告側が否定していた「依拠性」について、以下のように判断した。

「被告A1は,平成18年9月末に原告を退社した後も,原告プログラムのソースコードのデータを保有していたことが認められるところ,このように原告プログラムのソースコードのデータを現に保有しており,しかも,原告プログラムが自己の著作物であるとの認識を有している被告A1が,原告プログラムと類似する被告プログラムを作成するのであれば,原告プログラムのソースコードのデータをそのまま使用してこれに改変を加えていくという簡略な方法をとるのが通常であって,ことさら一からプログラムを作成する方法をとるのは,不自然なことというほかない。」(42頁)
「被告会社が被告ソフトを会員となった顧客に提供して使用させる業務を開始したのは,平成19年1月ころからであり(略),被告A1が原告を退社してから数か月しか経っていない時期であること及び被告プログラムが格納された各ソースファイル(略)の更新日時をみると,被告A1が原告を退社して間もない平成18年10月から12月にかけてのものが多数含まれることからすれば,被告A1は,原告を退社してから数か月程度の間に被告プログラムを完成させたものと考えられるが,このような短期間のうちに膨大な量に及ぶ被告プログラムを原告プログラムのソースコードのデータをコピーして用いることなく完成させることは,通常では考え難いことである。」(42-43頁)
「原告プログラムと被告プログラムとは,その記述内容の大部分が共通していることが認められるところ,いかに作成者が同一人であるとはいえ,原告プログラムのソースコードのデータをコピーすることなく,ここまで共通するプログラムを作成することは,考え難いことといえる。」(43頁)
「更に言えば,MainForm.csの原告ソースコード(略)とMainForm.csの被告ソースコード(略)をつぶさに対比すると,原告が前記略において指摘するとおり,MainForm.csの被告ソースコードには,明らかにMainForm.csの原告ソースコードをコピーして改変したことをうかがわせる痕跡が認められる。」(43頁)

本件における被告の主張には、パッとみただけでも不自然なものが散見されるのだが、この「依拠性」に関する主張(否定)などは、その最たるものであり、裁判所に完膚無きまでにA1供述の信用性を否定されたのも、さもありなん、という感はある。

そして、被告A1=被告会社という実質に鑑み、被告A1、被告会社双方について、原告プログラムの著作権著作者人格権侵害の責任が肯定されることとなったのである。

なお、原告は、プログラムだけではなく、ソフトウェア表示画面についても著作権侵害等を主張していたが、元々著作物性が認められにくい対象である上に、本件でプログラム著作権とは別個に「表示画面の著作権侵害の成否」を論じる必要が高いとはいえず*11、裁判所も判断の必要なし、という姿勢を示している(52頁)。

差止めについて

原告が請求していた差止めのうち、被告の複製、譲渡、公衆送信行為に対する差止請求はあっさりと肯定され、また、著作権法112条2項に基づく、「被告プログラムを収納した記憶媒体の廃棄」についても裁判所は認めた。

一方、「翻案」行為の差し止めについては、

「被告らが,被告プログラムを改変する行為を現に行っているとの事実を認めるに足りる証拠はない。」
「被告プログラムを翻案する行為には,広範かつ多様な態様があり得るものと考えられる。ところが,原告の上記請求は,差止めの対象となる行為を具体的に特定することなく,上記のとおり広範かつ多様な態様を含み得る「翻案」に当たる行為のすべてを差止めの対象とするものであるところ,このように無限定な内容の行為について,被告らがこれを行うおそれがあるものとして差止めの必要性を認めることはできないというべきである。」
(46頁)

と、裁判所は原告の請求を退けている。

損害額について

本件では、損害額の算定も、一つの争点となった。

原告はまず著作権法114条1項により、原告の利益額をベースとした損害額主張(480万円)を試みたのであるが、裁判所は、これについては、「原告の利益率を示す証拠を何ら提出していない」として否定した。

また、著作権法114条2項に基づく損害については、被告が主張する経費額を不合理ではないと認定し、結果として原告の損害額主張に及ばないばかりか、114条3項に基づく算定の数字をも上回ることはない、と判断し、結果としては、著作権法114条3項により、被告会社に入ったと思われる会費収入を推計した上で、

(1)社団法人発明協会発行の「実施料率【第5版】」(略)に記載されたソフトウェアを含む「電子計算機・その他の電子応用装置」の技術分野における外国技術導入契約において定められた実施料率に関する統計データによれば,平成4年度から平成10年度までのイニシャル・ペイメント条件がない契約における実施料率の平均は33.2パーセントとされ,特にソフトウェアにおいて高率契約の割合が高いとされていること
(2)原告プログラムは,原告において,多大な時間と労力をかけて開発されたものであり,かつ,原告の業務の中核となる重要な知的財産であって,競業他社にその使用を許諾することは,通常考え難いものであること
(3)証拠(略)によれば,被告会社においては,その会員に対し,被告ソフトを公衆送信して使用させることのみならず,被告会社が野村総研から購入した株価や銘柄に関するデータに種々の処理を施したものを提供するサービスや会員に対して電子メールで種々のアドバイスを送信するメールサービスも行っていることから,会員から得られる会費の中には,これらのサービスに対する対価に相当する部分も含まれており,本来,上記会費収入の全額が実施料率算定の基礎となるものではないこと

といった事情、及び、原告ソフト及び被告ソフトの内容,被告らによる侵害行為の態様及びそれに至る経緯,原告と被告らとの関係など本件に現れた一切の事情を総合考慮し、

「2045万1200円の約10%に当たる200万円」

を使用料相当額として肯定したのである*12

原告の商品とその複製物が市場で食い合う、という1項、2項適用の典型的場面で、3項に基づいて算定された使用料相当額が「損害額」として採用された、というのは、若干物足りない印象も受けるが、元々の請求額が530万円であることを考えると、原告にとってはそんなに大きな“失点”というわけでもない*13

かくして、原告の一部勝訴、という結論で、本件は落ち着くことになった。


以上、多くの論点について一つひとつご紹介したゆえ、必要以上に長いエントリーになってしまったきらいはあるが、実務上“ありがちな”事例のご紹介、ということで、ご容赦いただければ幸いである*14

*1:第46部・大鷹一郎裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110207135352.pdf

*2:これはプログラムの著作物に限った話ではないが、構成上必然的に共通する部分が出てくるプログラム著作物の場合は特に、ここで述べるようなアプローチが採用されることが多かったのではないかと思う。

*3:もちろん、要件事実的発想に則って考えるなら、「著作物性の有無」を原告としては真っ先にクリアしないと先に進めないことになるのではあるが。

*4:判決中では被告A1自身が、本人尋問において「自らが行った原告プログラムにおけるソースコードの記述方法について、様々な創意工夫がされていることを自認する供述もしている」(32頁)ことも認定されており、差もありなん・・・という感はある。

*5:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20070104/1167927896

*6:上記人工衛星プログラム事件のほかに、最近では北見工大の共同研究をめぐる事件でも、「発意」要件該当性の実質的検討に踏み込むことなく、契約書の文言からあっさりとそれを肯定している。

*7:これについては、当時の被告A1の原告における勤務時間が「早朝から夜遅くまでの長時間に及ぶことが通常であったこと」から、主張の不自然さを指摘し、さらに主張どおりの事実があったとしても「そのことによって当然に、原告プログラムの作成が原告の職務として行われたことが否定されることにはなら」ない、としている。

*8:「原告ソフトの開発及びプログラミング作業が主として被告A1によって行われていた実情からすれば・・・必ずしも不自然なこととはいえ」ないとした。

*9:「原告の重要な商品である原告ソフトの開発及びプログラミング作業が主として被告A1によって行われたという事実に照らせば、原告から被告A1に対し、原告の業務に多大な貢献をしたことに報いる趣旨で(多額の)金額が支払われることもあながち不自然なこととはいえない、と述べた。ちなみに、退職直前の約半年間、原告からA1に支払われていた給与は、月額150万円にも上るから、これが「不自然ではない」というと、ちょっと首を傾げたくもなるが、被告が主張するような、「高額に過ぎる=給与ではなくA1に権利帰属することを前提とする使用許諾料だ」という理屈も、直ちに成り立つものではないため、結論としては妥当だと思う。

*10:「A2からのソフトの内容に及ぶ具体的指示があったことが職務上作成されたものであることの要件となるものではない」とした。

*11:プログラムと表示画面が一体のものであることを考えると、プログラムの著作権侵害が認められれば、さらに進んで表示画面の著作権侵害まで認める必要は乏しいと考えられる。

*12:最終的には、弁護士費用20万円を加算した上で220万円の損害賠償請求が認容された。

*13:なお、原告の謝罪広告請求も退けられているが、事案の規模や社会的影響等に鑑みれば、そこまでは・・・ということで、一応納得できるところはある。

*14:本件のように類似性も依拠性も否定しにくい事案だと、和解で丸まって判決まで辿りつかないことも多いのではないかと思うが、本件では、判決までしっかり書かれている。その意味でも、多少の価値はあるのではないかと思っている。

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