震災後の(日数にしてみれば)僅かな間に、六本木で風切って歩いていた外資系企業のセレブから単純労働者まで、多くの外国人がこの国から姿を消した。
海の外に行けば、今我が国で起きている出来事を嘲笑の対象にしているようなメディアも多々ある、と聞く。
だが、先週ドバイで、日本への深い“LOVE”を叫んだデムーロ騎手や、日本に踏みとどまって栄冠を掴んだリスポリ騎手、そしてJリーグ選抜チームを率いて戦ったストイコビッチ・名古屋グランパス監督のように、こんな状況でもこの国を愛してくれている異国の人々がいることを、我々は忘れるべきではない・・・*1。
ちょっと前(といっても震災後)に発売されたNumberを今頃になってようやく読んでいたら、巻頭にイビチャ・オシム元サッカー日本代表監督の「緊急メッセージ」が掲載されていて、それが非常に心に響いたので、ここでご紹介しておくことにしたい。
かつてユーゴスラビアで戦災に直面し、その後も欧州、日本と、波乱万丈の人生を歩まれているオシム氏だからこそ語れる含蓄の深い言葉、そして、我々にとっての希望がそこにあるような気がするから。
「破壊は簡単だが構築は難しい。そして今、人々が再構築しなければならないのは、地震と津波が破壊し尽くしたものだ。国土そのものといってもいい。ほんの一瞬でそれは起こり、時間にすればものの数分もかからなかったはずだ。それですべてが破壊された。元の状態に戻すのは簡単ではないし、もしかすると十数年かかるかもしれない。だが、それを、これから日本は始めなければならない。」
「人生はこれからも続く。新しい人生を、日本はこれから歩めばいい。サッカーでもそうだろう。試合に負けるのは人生の終わりではない。その後も人生は続く。だからこそサッカーは悪くないといえる。敗北はカタストロフだが、それを受け入れて明日の試合の準備ができる。そして勝利すら得られる。」
「犠牲になった人々を、蘇らせることはできない。残念だが、それは認めるしかないだろう。今はただ生き続けるべきで、生きていくことこそが最も重要だ。生き続けて、働き続ける。そして助け合う、私たちにできることといえばそれだけだ。」
「地震を忘れることはできなくとも、少なくとも普通に生活することはできる。以前の生活を取り戻すこともできる。震災が起こった今も、新幹線は東京と大阪の間を往復しているし、仙台や青森にもそう遠くない先に、また通じるようになるだろう。走り続ける新幹線は、人の生き続ける姿を投影している。普通に生活することで人生も続いていく。」
「繰り返すが、こういう困難な状況でこそ連帯が大切だ。何よりも強い連帯感が。心をひとつにして、一日も早く日本を元の状態に戻して欲しい。あなた方には、それができるのだから。」
(以上、Number775号・19〜20頁、田村修一=文)
おそらくこのコメントが出された時点では、オシム監督は原発事故や停電のことまで情報としては持っていなかったと思われるから、その辺は差し引いて読む必要があるが、それでもなお、我々日本人を勇気付けてくれるコメントであることは間違いない。
度重なる空爆、戦闘で焦土と化した母国の姿を眺めながら、それでもなお、自らの人生を歩み続けたオシム氏*2が発する言葉の重さ、そして、「日本人ならできる!」という言葉の何と有難いことか。
「普通の生活」を取り戻すために、直接被災した者も、そうでない者も、今は最大限の努力をすべきときだと自分は信じている。