動き出した「原発賠償」問題

大震災からちょうど1ヶ月経った今日になっても未だ大きめの余震は続いているし、原発の方も完全に安心できる状況にはなっていない。

だが、そうはいっても、動かすべきものは動かさないといけないだろう・・・ということなのか、あまり注目されないうちに、ひっそりと一つの政令が公布されている。

原子力損害賠償紛争審査会の設置に関する政令をここに公布する。
御名御璽
平成二十三年四月十一日
内閣総理大臣
菅直人
政令第九十九号
原子力損害賠償紛争審査会の設置に関する政令
内閣は、原子力損害の賠償に関する法律(昭和三十六年法律第百四十七号)第十八条第一項の規定に基づき、この政令を制定する。平成二十三年東北地方太平洋沖地震により福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原二十二番地所在の東京電力株式会社福島第一原子力発電所及び同郡葉町大字波倉字小浜作十二番地所在の東京電力株式会社福島第二原子力発電所において発生した核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(昭和三十二年法律第百六十六号)第二十三条第二項第五号に規定する原子炉施設の事故に関して、原子力損害の賠償に関する法律第十八条第一項に規定する事務を行わせるため、文部科学省に、当分の間、原子力損害賠償紛争審査会を置く。
附則
この政令は、公布の日から施行する。
文部科学大臣 高木義明
内閣総理大臣 菅直人

http://kanpou.npb.go.jp/20110411/20110411t00028/20110411t000280001f.html

原子力損害の賠償に関する法律」(原賠法)適用第1号となったJCO臨界事故の際には、有識者による「原子力損害調査研究会」が立ちあげられ、風評損害等を含む「損害賠償の範囲」を明確に整理したおかげで、賠償の基準に関する予測可能性が高まり、その後の賠償手続きも比較的スムーズに進んだ、と言われている*1

ただ、この研究会は、当時の科学技術庁の「委託」により設置された組織であり、必ずしも、法に則った「強い」組織とはいえない。

そのあたりを慮ったのか、その後の文部科学省の検討会においては、むしろ、原賠法上に設置根拠を見出すことができる「原子力損害賠償紛争審査会」に、JCO事故当時の「研究会」の機能を担わせよう、という議論も出されていた*2

この「原子力損害賠償紛争審査会」は、JCO事故の際は、扱った案件が僅か2件の上に、いずれも和解仲介を断念せざるを得なかった、という点で、いまいち機能しなかった組織なのだが、

「紛争審査会と別に、また違う組織を作るというのは、今の行革の観点とか、我々の事務局機能を考えても、当時は研究会と審査会というのは2つ動いたわけですけど、なかなか2つも3つも自分たちでハンドリングするというのは、そんな簡単ではないだろうというようなことから、法律上ある紛争審査会の機能を上手に使うのがいいんじゃないかということです。」

といった事務局サイドの声もあり、平成20年当時の検討会の報告書*3においても、

「賠償の参考となる指針の策定主体を紛争審査会とすることが妥当である」

と整理されているから、おそらく、今日付けの政令で設置された紛争審査会が、これからの事故被災者及び東電の命運を決する「指針」の策定に取り掛かっていくことになるのだろうと思う。

検討会で議論された際に、「紛争審査会」にルールメイクとアンパイア役を両方担わせても大丈夫なのか?という懐疑的な意見が多数飛び出したこともあって、報告書でも、

「賠償の参考となる指針は公平の確保に、和解の仲介は個別の調整にそれぞれ重点が置かれるため、紛争審査会が原子力損害の発生を受けて実際に活動する際には、指針の策定と和解の仲介の事務を行う内部組織を分離して部会として設置し、ぞれぞれの目的・性質を踏まえた適切な運営を確保するよう留意することが必要である。」

といった部会分離構成などが提案されており、審査会設置後、指針策定、紛争調停それぞれの部門にどのような人々が参集するのか、というのは、これからの一つの関心事になると思うのだが、いずれにせよ、この紛争審査会が、これから始まる長い長い「法的な原発事故処理」の主役になるのは間違いないところ。


正直、審査会の紛争調停機関としての機能については、平成20年の検討会当時に、道垣内正人委員が指摘されているような、

「ああいうこと(注:JCOが仮払いで、極めて高額の賠償金を支払ってしまったこと)は普通はないと考えると、大量に紛争審査会に来るということはあり得る。そうすると、3年ではとても処理できないことがあり得て、時効の措置はとりませんとそこを切られていると、もうできませんということで作業を始めなきゃいけないので、被害者も困るでしょうし。ですから、想定している規模がちょっと小さいんじゃないかなと思うんです。やっぱり裁判所にいきなり行くよりは、こういう間のファンクションが果たすところがあることは非常に大切だと思うので、時効の措置がないなら紛争審査会が円滑に動くような仕組みをやっぱり考えたほうがいいかどうかですね。」

とか、

「先ほどの市の役割、あるいは村の役割で、JCOのときはたまたまうまく行ったのかも知れませんけれども、やっぱり危険じゃないでしょうか。同じ住民税を払っていて、事業者と住民なので、どっちかに片寄るのは嫌だという市長がいれば、「不介入です、うちはしません」と言われたらおしまいですよね。どちらにも恨まれたくないと。そうすると、やっぱりこういう審査会のような仕組みで動かすのが透明性が高くていいということになるんじゃないかと思うんです。みんなやってくれるんですかね、そんな火中の栗を拾わないという市長だっていると思いますけど。」

といった問題をクリアしない限り、多くを期待できないのではないかと思う*4

だが、せめて「基準作り」だけでも、審査会でしっかり行ってくれれば、今は泥沼のようにしか見えない原発の被害者賠償にも一筋の光明が見えるはずだ。

“東電憎し”ムード一色の中、感情論に流されることなく、真に補償されるべき損害は手厚くフォローする一方で、切り捨てるべきところは切り捨てる、という冷静な作業をするのは至難の業だと思われるが*5、それを行わない限り、この国は先に進むことができないわけで、ここは選ばれし人々の叡智に期待したいところである。

*1:調査研究会の「最終報告書」で明記された賠償範囲の基準は、その後、裁判所に持ち込まれたいくつかの紛争の解決の場面においても、かなりの部分尊重されているように思われる。

*2:「研究会」と「紛争審査会」の差異については、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/007/shiryo/08062302/003.htmを参照。

*3:http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/007/gaiyou/__icsFiles/afieldfile/2009/06/29/1279826_1_1.pdf

*4:検討会での議論については、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/007/gijiroku/08082101.htm参照。ちなみに、今回の原発事故に関して言えば、すべての権利主張者に対して“太っ腹な仮払い”を事業者がすることなど到底期待できないし(それをやったら、仮払いの段階で会社が潰れてしまう)、件数も処理年数も、JCO事故の時のようにコンパクトに収められるとは到底思えない。また、JCO事故の際には機能した、と言われている自治体の仲介機能も、長期間の避難生活を強いられ、自治体機能を維持するのがやっと、という現状に鑑みれば多くを期待することはできないだろう。その意味で、道垣内教授の発言はまさに今回の事態を想定していたかのような正鵠を得た至言であったのだが、文科省がその辺の問題提起を意識して、しっかり準備を進めていたか、というと大いに疑問が残るところ(審査会を常設化する、という発想もあったようだが、「原子力損害の発生可能性が低い」という理由から、退けられたようだ)。また、道垣内教授は、同じ検討会の中で「今の組織の中で1,000件は絶対さばけないので、アドホックに3人以内のグループを、弁護士さんとかを指名して、その基準に基づいてやってくださいというほかないと思うんですけれども、そこにお金をかけるつもりはあるんですか。要するに、報酬とかちゃんと払って紛争を解決してもらうのか、国の費用でこの審査会のお手当と同じ基準をお考えなのか」という問題提起もされているが、これに対する文科省課長の回答は、「単純に何もしないと、国の制度で動けば、国の常識的な謝金の世界でしかなかなか組めないですよね」というものだから、やっぱり多くは期待できない。

*5:しかも、そうやって導き出された「基準」は、政治的な圧力にも、裁判所のシビアな評価にも耐えうるだけの説得力のあるものでなくてはならない。