複雑な思いで見つめたモスクワの舞台。

ゴールデンウィーク、といっても、何が黄金なのか分からないような状況で迎えた連休に、本来行われるはずだった時期から約1ヶ月遅れで、本来行われるはずだった地から遠く場所で行われた世界フィギュア

自分自身が、一番盛り上がっていた時期に、仕事と少しの癒しを兼ねて東京を離れていた、ということもあるが*1、例年に比べると、イマイチ応援にも力が入らない・・・そんな大会になってしまった。

滑っていた日本選手たちのモチベーションにも、微妙なものはあったのだろう。

男子は、小塚崇彦選手こそ、フリーで4回転を含む数々のジャンプを美しく跳び続けて2位に食い込む、という大健闘を見せたものの、ショートプログラムで上位に付けていた“二枚看板”は、フリーで軒並み失速。

靴が壊れるアクシデントに見舞われてしまった高橋大輔選手の方は、まだ同情の余地があるとしても、織田信成選手に至っては、ミス連発の末、跳ぶジャンプの種類を間違えて得点を失う、という、もう何度めか分からないくらいのイージーな失敗を犯して一気に2位から6位に転落、という大失態を犯してしまった。

女子の方も、村上佳菜子選手は出遅れて、最終的に8位入賞が精いっぱい。浅田真央選手も表彰台を狙える演技には程遠かった。

浅田選手などは、毎年スロースタートで終盤になってようやくジャンプの調子が出てくる、というシーズンが続いていたから、開催が1ヶ月後ろ倒しになって、もしかしたら・・・という期待もあったのだが、表彰台には程遠い出来。

おそらく、日本を拠点に練習を行っていた選手たちにとっては、悲劇からまだ1ヶ月ちょっとしか経っていない、という状況で、身の入った練習を続けてコンディションを維持したまま本番に臨む、というのは難しい面もあったのだろう。浅田選手や織田選手のフリーの演技などを見ていたら、東京開催が亡くなった時点で、選手たちの中でシーズン通して張り詰めている緊張の糸が、プツンと切れてしまったのではないだろうか、という錯覚にすら、陥ってしまいそうだった。

女子シングルで優勝したのは安藤美姫選手だし、しかもその優勝が、ショートプログラム2位から、“あのキム・ヨナ”選手を逆転して掴みとった価値ある結果、であるのは間違いないのだけれど、彼女の場合、元々練習拠点が日本にはなかったからなぁ・・・と思うと、余計に複雑な思いになるわけで・・・。


できることなら、完璧すぎるパトリック・チャンも、帰ってきたキム・ヨナも、そして、自国のフィギュア界の歴史上最強メンバーに近い我が国の代表チームも、願わくば東京で見たかった。

いつか早いうちに、再びこの日本の地で、フィギュアスケートの世界大会、特に世界選手権が開催されることを、今はただただ願うのみである。

*1:結局、ほとんどリアルタイムで見ることはできず、東京に戻ってから一気にまとめて映像を見ることになった。

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