「失敗学」は原発危機を救えるか?

震災、事故直後の混乱がようやく一息付き始め、最近ではもっぱら賠償と責任追及に議論の焦点が移ってきている福島第一原子力発電所の事故であるが、ここに来て、注目された「事故調査委員会」のトップ人事に関するニュースが飛び込んできた。

「政府は23日、東京電力福島第1原子力発電所の事故を受けて新設する事故調査委員会のトップに「失敗学のすすめ」などの著書がある畑村洋太郎東大名誉教授(70)の起用を内定した。24日も発表する。」
「畑村氏は生産加工学などものづくり分野を専攻。「失敗学」や「危険学」などの切り口で経営学分野でも活動している。畑村氏の提唱する失敗学は、起きた失敗について責任追及に終始せず、原因の多角的な究明をめざすもの。」
日本経済新聞2011年5月24日付け朝刊・第1面)

記事でも言及されているように、畑村名誉教授と言えば、知る人ぞ知る、「失敗学」の提唱者で、事故調査にあたっても「責任追及よりも原因究明・再発防止に重点を置くアプローチ」を長年にわたって提唱されている御方である。

そして、そのアプローチには、最終的には「誰に帰責するか」という頭で事故を分析せざるを得ない法律家の発想と比べれば遥かに建設的なもの、として、実務界(特に技術者の方々)から多くの支持が寄せられている。

その意味で、今回のような多角的な要因が複合した重大事故を冷静に分析して、社会的に有意義な教訓を導くためには、まさに適任ということができるだろう。


もちろん、今のように、原発や東電に対する怨嗟の声が満ち溢れている世の中において、畑村名誉教授のアプローチがどこまで理解されるか、というのは、気になるところである。

ここ数日の「原発への海水注入」をめぐる議論の混迷ぶりを見ても分かるように、今の世の中は、責任を取らせる分かりやすい“生贄”を求めているし、そんな中で「原因究明優先」といくら叫んだところで、人々の戸惑いと逆恨みを招くだけのように思えなくもない。


個人的には、今回設置される事故調査委に性急に結論を求めるのではなく、じっくりと時間をかけて議論していく中で、社会全体が“頭を冷やす”のを待つ、というやり方もあるのではないかな・・・と思うところ。

幸いにも、民事賠償の観点からは、今回の事故についての事業者の過失の有無について判定を待つまでもなく、原賠法上「東電が一義的な補償責任を負う」という結論が導かれることは明らかなわけだから*1、今後、同じような悲劇を二度と引き起こさないための「教訓」をじっくりと引き出していく作業に専念する余裕も事故調査委にはあるはず。

あとは、政治やメディアが余計な嘴を挟まなければ・・・というところだろうか。


なお、今回の人事が公表される1週間ほど前、日経紙の科学技術面のコラムに畑村名誉教授のインタビューが掲載されており、今回の原発事故に対する畑村名誉教授の考え方を垣間見ることができる。

原発はまさに国が定めた安全基準に基づいて建設し運転する。東電やメーカーに、国の基準通りにすれば問題ないという意識があったのではないか。非常用電源をも失う津波は来ないとみて対策を後回しにしたが、これからは発想を逆にする必要がある。原発を破壊するような津波を想定して対策を考えなければならない
「原子炉の安全対策は電源喪失で破綻してはいけない。できるだけ制御に頼らず本質的に安全な仕組みを備えられるかどうかが、原子力存続のカギを握る。事故を客観的に検証し、再発防止策を考えるべきだ。」
「(隕石の衝突にも備えよ、という意見に対し)確率をわきまえた議論が必要だ。可能性の非常に乏しい隕石の衝突は想定しなくても、テロリストによる攻撃、例えば冷却用の海水を取り込む施設の破壊は考えなければいけないかもしれない。『悪意の鬼』となって危険を見つけだし、その情報を社会で共有することから対策は始まる

現実に事故調査委のトップ、という立場になって、どこまで自らのポリシーを貫けるのか、という問題は出てくるだろうが、今、瑣末なエピソードをめぐる「責任追及」に向けられている『悪意』の矛先を、リスク探しの方に持っていくだけでも、少しは建設的な議論がしやすい環境になると思うので、まずは畑村名誉教授のお手並みに期待したいところである。

*1:「異常に巨大な天災地変」というフレーズが再び蒸し返されない限りは、事故調査委の結論を待って、賠償責任の有無を決する、という事態に陥ることはないと考えて良いだろう。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html