朝、かつて日本球界を湧かせた速球王、伊良部秀輝投手の訃報を目にした。
年齢を考えれば早すぎる死、しかも見出しには「自殺」の二文字が躍っていたから、衝撃的なニュースだったのは間違いない。
だが、ここ数年の、彼の置かれていた環境を考えると、何となく想像のできた展開でもある。
自分が彼の存在を初めて知ったのは、夏の全国高校野球のラジオ中継で偶然耳にした、「彼の直球は速いですねぇ」という解説者の声を聞いたとき。
試合結果自体は、名将木内監督率いる常総学院の軍門に下った形になったのではなかったかと思うが、関東人にとっては珍しい名字と、再三繰り返された「好投手」というフレーズとともに、「速球王・伊良部」が自分の記憶の中に刻み込まれた。
その後、「速いけど打たれる」の繰り返しだった千葉ロッテでの最初の何年か、そして大沢親分が「クラゲ」の愛称を付け、異能の投手として知名度が上がってきたのと軌を一にして、パ・リーグを代表するピッチャーへと駆け上がり、清原、イチローらと名勝負を繰り広げた90年代半ば。
特に印象に残っているのは、大震災の年、悲願の新球団創設後初優勝を地元で遂げようとしていたオリックスに対し、3連戦の頭で、完璧なヒール役を演じたシーンだろうか。
そして、時を経て、2003年シーズンに戻ってきた球団は、何と阪神タイガース。
「速球王」のイメージはすっかり影をひそめていたが、9月に道頓堀が歓喜に沸いたあのシーズンの前半戦に、「今年は何か違う」というのを演出してくれた立役者の一人だっただけに、ファンとしては(日本シリーズでの不振をさっぴいても)何度感謝しても感謝し足りない・・・*1。
だが、そんな彼の輝かしい球歴も翌年以降はすっかり色あせ、解説者としてもコーチとしても名前が挙がることのないまま、いつの間にかメディアから消えていってしまった。
たまに出る話題と言えば、酒にまつわるトラブルとか、サイドビジネスの話とか、そんなのばかり。
名門ヤンキースで2年連続2ケタ勝利を上げた、という実績が、もっと正当に評価されていれば*2、あるいは、独立リーグやアイランドリーグで現役復帰を目指して地道にトレーニングを積んでいる姿がもっと取り上げられていれば*3、何となく“ブラック”な香りがした彼への人々の印象もちょっとは変わり、この国の中で生きていく道も見出せたのではないかと思うのであるが・・・。
技術的には“一流”だが、エスタブリッシュな様々なしがらみと上手に付き合えなかったスポーツ選手は、概して一線からフェイドアウトした後にトラップに陥りがちだ。
そして、伊良部投手も多くの有能な先人達が辿ったそんな道から抜け出せなかっただけ・・・、と言ってしまえばそれまでのことだろう。
だけど、そういって片付けるには、彼が輝いていた時代の記憶があまりに鮮烈過ぎて、想定の範囲内の「衝撃」を自分は未だに消化できずにいる。
もし、入手できる機会があれば、95年終盤のオリックス戦とか、03年の日本シリーズでの事実上最後の雄姿だとか、映像で振り返ってみたい気がするのであるが・・・。