彫り師のプライド

おそらく、我が国の裁判の歴史の中で、“入れ墨(刺青)”がここまで脚光を浴びたことはなかったんじゃないか*1、と思うような判決が、東京地裁知財部によって出された。

彫り師である原告の「作品」の著作物性が最大の争点となったこの事件。

多くの読者には無縁の世界かもしれない、この奥深き芸術の世界をちょっと覗いてみることにしたい。

東京地判平成23年7月29日(H21(ワ)第31755号)*2

原告:X
被告:株式会社本の泉社、Y

本件は、被告Yが執筆し、被告本の泉社が発行、販売した書籍の表紙カバーや扉において、原告が被告Yの左大腿部に施した「十一面観音立像の入れ墨」が掲載されたことをもって、被告Yらが原告の著作者人格権を侵害した、といえるかどうかが問題となった事件である。

被告Yは、現在、行政書士としてホームページを開設するなどして活躍されている方、ということだが、そこに至るまでの間には様々な紆余曲折があったようで、そんな波乱万丈の人生を振り返って出された自叙伝が、本件で問題となった

「合格!行政書士 南無刺青観世音」

という書籍(平成19年7月1日発行)。

タイトルからして、十分におどろおどろしいのだが、この本がさらに凄いのは、被告Yの刺青の写真を表紙カバーや扉に使ってしまったこと。

初版発行部数1500部、平成23年6月12日までの実売部数は243部、ということだから、普通の本屋で簡単に入手できるものではなかったのだろうが、もし本屋に平積みになっていたら、思わず手に取ってしまう・・・そんなインパクトはあっただろうと思う。


さて、原告が問題としたのは、公表権、氏名表示権、同一性保持権といった著作者人格権侵害だったのだが、これまで著作権訴訟の世界では馴染みの薄い「入れ墨」、それも現存する仏像をモチーフにしたものだっただけに、被告の側も、「本件入れ墨は、本件仏像写真の単なる機械的な模写又は単なる模倣にすぎず、著作物性を認めることはできない」という反論を試みることになった。

このような主張に対し、裁判所はどのような判断を行ったのか?

「入れ墨」は芸術そのもの

裁判所は、「本件入れ墨の制作過程」について、極めて詳細な認定を行っている。

まず、「ア 図柄の選定と本件下絵の作成」の項では、

・原告が「日本の仏像100選」の中から「向源寺観音堂の十一面観音立像」(本件仏像)の写真を選んで、被告Yに薦めた。
・本件仏像の「上半身のみで顔だけ大きく入れる」という構図や、仏像が被告Yに背を向けることにならないように、「向きを左向きに変えて下絵を作成する」ことを説明し、被告Yの要望に応じて、「原告は、眉、目などを穏やかな表情に変えて下絵を作る」ことを約束した。
・原告は、本件仏像写真を手元に置き、これを参考にして太さ0.5mmのシャープペンシルを使用して下絵を作成した。

と、入れ墨の下絵の段階から、原告独自の着想や技巧がふんだんに発揮されていることを認めている。

そして、その後の「入れ墨」の制作過程については、

第1回目(本件仏像の輪郭線の筋彫り)2時間30分程度
第2回目(文字の輪郭線の筋彫り)
第3回目(描線の下書きと墨入れ)2時間程度
第4回目(文字の墨入れ)3時間程度
第5回目(本件仏像のぼかしの墨入れ)*33時間程度
第6回目(仕上げ)2時間程度

と計6回、のべ12時間以上、期間としても丸々2ヶ月かけて丁寧に制作していったことを認定しているのである。

この結果、裁判所は、写真との対比においても、

「本件仏像写真(略)は,本件仏像の全身を向かって左斜め前から撮影したカラー写真であり,本件仏像の表情や黒色ないし焦げ茶色の色合いがほぼそのままに再現されている。これに対し,本件入れ墨(略)は,本件仏像写真をモデルにしながらも,本件仏像の胸部より上の部分に絞り,顔の向きを右向きから左向きに変え,顔の表情は,眉,目などを穏やかな表情に変えるなどの変更を加えていること,本件仏像写真は,平面での表現であり,仏像の色合いも実物そのままに表現されているのに対し,本件入れ墨は,人間の大腿部の丸味を利用した立体的な表現であり,色合いも人間の肌の色を基調としながら,墨の濃淡で独特の立体感が表現されていることなど,本件仏像写真との間には表現上の相違が見て取れる。」(23-24頁)

と差異があることを認定した上で、

「上記表現上の相違は,本件入れ墨の作成者である原告が,下絵の作成に際して構図の取り方や仏像の表情等に創意工夫を凝らし,輪郭線の筋彫りや描線の墨入れ,ぼかしの墨入れ等に際しても様々の道具を使用し,技法を凝らして入れ墨を施したことによるものと認められ,そこには原告の思想,感情が創作的に表現されていると評価することができる。したがって,本件入れ墨について,著作物性を肯定することができる。」(24頁)

と、本件入れ墨の著作物性を肯定した。

最高裁のHPには、「別紙」として、本件入れ墨の写真を使った件の書籍の表紙等が掲載されているが(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110801165453-1.pdf)、確かに“芸が細かい”と思わせる繊細かつ美しい作品に仕上がっていることが分かり、上記のような判断に大きな違和感はない。

かくして、本邦初の「入れ墨著作権事件」の審理は、次のステップに移っていくことになった。

入れ墨写真掲載と「公正な慣行」など

先にも述べたように、原告が主張したのは、公表権、氏名表示権、同一性保持権、という著作者人格権侵害だったのだが、これらの点については、裁判所がそれぞれ以下のような判断を下している。

(1)公表権侵害の成否 → 否定

「原告は,本件書籍の初版第1刷が発行され,本件各ホームページに本件表紙カバーの写真が掲載された平成19年7月1
日よりも前に,本件入れ墨の写真を,株式会社コアマガジン発行の雑誌「バースト」平成14年3月号(乙4),同会社発行の雑誌「タトゥー・バースト」同年5月号(乙6),株式会社竹書房発行の雑誌「月刊実話ドキュメント」同年4月号(乙5)の各広告欄に掲載したことが認められ,原告はその著作物である本件入れ墨の複製物を被告らが公表する前に自ら公刊物に掲載して公表していたことが明らかである。したがって,本件入れ墨は未公表の著作物ということはできないから,被告らの上記行為が,原告の有する本件入れ墨の公表権を侵害するものということはできない。」(25-26頁)

(2) 氏名表示権侵害の成否 → 肯定

(氏名が表示されていないことに争いがない、という前提でなされた被告の抗弁に対し)
「本件書籍において,本件入れ墨は,表紙カバー及び扉という書籍中で最も目立つ部分において利用されていること,本件表紙カバー及び本件扉は,いずれも本件入れ墨そのものをほぼ全面的に掲載するとともに,「合格!行政書士 南無刺青観世音」というタイトルと相まって殊更に本件入れ墨を強調した体裁となっていることからすれば,読者の本件書籍に対する興味や関心を高める目的で本件入れ墨を利用しているものと認められ,本件入れ墨の利用の目的及び態様に照らせば,著作者である原告が本件入れ墨の創作者であることを主張する利益を害するおそれがないと認めることはできない。また,原告が本件画像の基となる写真を被告Yに対し無償で譲渡していたとしても,それだけで原告が本件入れ墨の利用を許諾していたものと認めることはできず,ほかに原告が被告らによる本件入れ墨の利用を許諾していたことを認めるに足りる証拠はない。」
「さらに,書籍中に入れ墨の写真を掲載するに際し著作者名の表示を省略することが公正な慣行に反しないと認めるに足りる証拠はない竹書房平成14年4月1日発行の雑誌「月刊実話ドキュメント」同年4月号〔略〕に掲載された入れ墨の写真には,彫物師の屋号が表示されていることが認められる。)。したがって,被告らによる上記各掲載が著作権法19条3項により著作者名の表示を省略することができる場合に該当すると認めることはできず,被告らの上記主張は採用することができない。」(27-28頁)

(3)同一性保持権侵害の成否 → 肯定

「ア 本件入れ墨と本件画像とを対比すると,本件画像は,陰影が反転し,セピア色の単色に変更されていることは,上記(1)アのとおりである。そして,被告らは,原告に無断で,原告の著作物である本件入れ墨に上記の変更を加えて本件画像を作成し,これを本件書籍及び本件各ホームページに掲載したものであり,このような変更は著作者である原告の意に反する改変であると認められ,原告が本件入れ墨について有する同一性保持権を侵害するものである。」
「イ 被告らは,本件画像は原告から無償譲渡された写真によるものであり,原告は当該写真の利用方法につき何らの制約も加えるところがなかったので,被告らが無償譲渡された写真を本件書籍に掲載する際,ネガとポジを反転し,モノクロ化したことは原告の許容した利用範囲にとどまり,原告の同一性保持権を侵害するものではないと主張する。しかしながら,原告が写真を譲渡したからといって,それだけで原告が上記のような改変を許容していたとは認められず,ほかにそのように認めるに足りる証拠はない。したがって,被告らの上記主張は採用することができない。」(28-29頁)

反転して掲載してしまった、という本件の利用態様に鑑みれば、入れ墨に著作物性が認められた時点で同一性保持権侵害を免れるのは難しかっただろう。

だが、氏名表示権侵害については、「入れ墨の彫師の氏名を表示する」というルールが必ずしも一般的なものではなかったようにも思えただけに、「公正な慣行に反しない」と言える材料をもう少し集められていれば、結論は変わったんじゃないかな・・・とも思うところである。

いずれにしても、著作者人格権侵害が肯定されたことで、被告らは共同不法行為責任を負うことになり、精神的慰謝料計40万円、弁護士費用相当額計8万円、計48万円の損害賠償金の支払いを命じられることになった。

おわりに

原告は、本件訴訟において、著作者人格権侵害の主張だけでなく、名誉棄損、プライバシー権侵害の主張も行っている。

その中身と言えば、「被告Yが書籍の中で、原告が施した入れ墨に対して負の評価をした」といったものから(名誉棄損)、原告の妻を「奥さんらしき人」と表現したり、訪問先である原告宅に飼い猫がいたと表現したこと(プライバシー権侵害)まで、極めて多岐にわたる。

これらの主張を読むと、被告Yの自画自賛が散りばめられた本書籍の中で、自分が精魂込めて彫った「入れ墨」が言わばダシのように使われてしまったことへの憤り、そして彫り師としての原告のプライドを強く感じるし、原告の提訴の真の理由は、おそらくこっちだったんだろうなぁ、ということを感じさせるような中身にすらなっていたりもするのだが、裁判所はこちらの主張については一切原告の言い分を認めていない*4

そんな流れの中、著作権に関する請求だけがなぜか突出して認められてしまった、というあたりに、「権利」というものがいかに強いか、ということをあらためて思い知らされたような気がする。

もちろん、先ほども書いたように、あの芸術的な「入れ墨」を見てしまえば、結論自体にはさほど違和感を抱くこともないのだけれど・・・、

本件がこの先どこまで続いていくかは分からないが、たまにはこういう事件を温かく見守るのもいいかな、と思う次第である。

*1:遠山金四郎の時代には、別の意味で脚光を浴びていたのかもしれないが(笑)。

*2:第40部、岡本岳裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110801165012.pdf

*3:入れ墨用黒インクを薄め液で薄めて、濃淡5段階の液を作り、5本針と12本針の刺青機械を使用して水墨画の様に濃淡のグラデーションを付けていく、という作業。

*4:実際、原告の主張にも良く分からないものが多いので、当然と言えば当然なのだが・・・。

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