「中間指針」の意味

4月からコンスタントに議論を続けてきた、原子力損害賠償紛争審査会が、ついに「東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電事故による原子力損害の範囲の判定等に関する中間指針」(いわゆる「中間指針」)を発表した*1

様々な意見はあろうが、これだけの大規模な事故について、僅か4ヶ月の間に一定の指針をまとめあげた、という事実自体は評価されて然るべきだと思う。

内容的にも、地元住民に対する「避難等の指示等に係る損害」に関する基準や、「農林水産物等の出荷制限指示等に係る損害」に関する基準、そして、ここに来て出てきた“稲わら”問題を含む、「農林漁業の風評被害」に関する基準などは、今回の原発事故で甚大なダメージを受けた人々の切実な思いに応えるべく、極めて細かいところまで目配りされた指針が作られているように感じられる。

もちろん、委員会が継続審議事項とした自主避難者の取扱いなど、今回の指針から“漏れた”人々にとっては不満も大きいだろうが、最初から大きく風呂敷を広げすぎて、一番最初に救済しなければならない人々への基準策定がおろそかになってしまっては、本末転倒なのであって、短期間でまとめあげるために、議論の余地が少なそうなものから仕上げていった*2、というプロセス自体を責めるわけにはいかないだろう。


ただ、この指針が万能なもので、これさえあれば、対象とされている個人や事業者からのあらゆる賠償請求の処理がスムーズに進む、という評価を下すのは、ちょっと誉めすぎだ。

この指針の個別の問題点については、おって機会があれば書き残しておきたいと思うが、端的に言ってしまうと、

「難しい論点について、『相当因果関係のある範囲内で』という身も蓋もないフレーズで逃げてしまっている」

というところがあまりに多すぎる*3

また、被災地域における「点」としての個人・事業者の救済に重点が置かれ過ぎていて、現実のビジネスを形作る「線」が寸断された事業者に対するフォローが十分ではない、と思われる部分も、風評被害等に関するくだりを中心にいくつか見られるところである。


審査会自身が指針等の中で公言しているとおり、この「中間指針」は、賠償すべき損害の全てを網羅したものではないし、これですべての検討が終わる、というものでもない。

それゆえ、賠償指針の策定は、未だ過渡的な段階にある、という評価が妥当なところだろう。


だが、中間指針の公表とタイミングを合わせて、東電が「支払体制は万全!」というアピールをしたことで、この先のメディアの関心から基準をめぐる議論が抜け落ち、淡々と行われるシンプルな損害賠償の支払手続ばかりが取り上げられる・・・

そんな事態は決して好ましいことではないと思う。

「中間」とあるからには、あくまで今はまだ“プロセスの真ん中”に過ぎない。そんな当たり前のことを冷静に受け止めて、この先の長い議論にじっくり付き合う。そんな度量が、メディアにも、原発事故で被った損害を少しでも取り戻したい、と思う事業者側の担当者にも求められている・・・そんな気がしている。

*1:指針は、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/houkoku/__icsFiles/afieldfile/2011/08/17/1309452_1_2.pdfに掲載。

*2:とはいえ、政府の指示が妥当だったのかどうか、妥当だったとして具体的にどのような損害が賠償すべきものにあたるのか、といった点については議論の余地があったわけで、この基準によって救済される人々が、必ずしも専門家による法的側面からの支援を受けやすい人々ではないことを考えれば、審査会が指針で明確に言い切ったことには、大きな意味がある。

*3:特に、今回の賠償を考える上で一番難しい問題である、地震津波による被害との間で、因果関係をどのように整理するのか、が、今の指針では全く見えていない。この論点をまっさらな状況で当事者に丸投げすることだけはやめてほしい、と個人的には思っているのだが・・・。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html