広がった“格差”

予想はされていたことだが、今年も残酷な結果となった新司法試験。

法務省は8日、法科大学院修了者が対象となる2011年の新司法試験の結果を発表した。合格者は昨年より11人少ない2063人で、02年に閣議決定した「10年ごろに年間合格者数3千人程度」との政府目標を今年も大きく下回った。合格率も昨年より約1.9ポイント低い23.5%と過去最低を更新した。」(日本経済新聞2011年9月9日付け朝刊・第38面)

合格者数がここのところずっと横ばいで、それでいて6回目の実施となった今回、受験者数は8765人にまで増加しているから、合格率が低下するのも当然のこと。

その結果、受験回数制限を使いきった人が1382人新たに発生する、ということにもなってしまった。

もっと残酷なのは、学校間の格差だ。

「全74校中、40人以上合格の上位15校が全体の約7割を占める一方、12校が合格者3人以下。一橋大、京都大、東京大の3校が合格率5割を超えたが、28校は1割に届かなかった。」

“バブル”の余波で、本番で勝負できる能力と経験を備えた受験生が全国に散らばっていた時代も今は昔。

同じような目的意識を持った人が、同じような試験を経て法科大学院に進学している、という実態を考えると、この格差は制度趣旨云々を議論するまでもなく、もはや異常、というほかない。

特に、首都圏の夜間の法科大学院が軒並みひとケタ台、多くは5名にすら満たない、という状況は、今の司法試験が置かれている状況を如実に示している、といえるだろう。


この手の試験の場合、実際のところ、個々の受験生にとって、合格「率」は大して意味を持たない。
全体の合格率がどんなに高くたって、自分が致命的なへまをすれば落ちるし、どんなに合格率が低くたって、必要な努力をしてつまらないミスをしなければ、大概の場合はいい結果につながる。

ましてや、「大学別の合格率」なんて、本来、まったく個々の受験生には関係ないもののはず。
合否は団体戦ではなく、あくまで個人戦によって決まるものなのだから、試験の場で試されるのは個々人の努力とセンスであって、周りがどうかなんてことは、目の前の試験の結果に、何ら影響を与えるものではない。


だが、概して「率」という数字は独り歩きする。

初期の頃、大学間の「格差」として示された数字が、より増幅されて、法科大学院入学志望者の動向にダイレクトに反映された結果が、↑の惨状につながったのは言うまでもないことだろうし、最近では文部科学省まで悪ノリして補助金査定のツールに「率」を使うようになってしまった。


格差が行くところまで行けば、いずれ、上位15校以外の法科大学院は、この世から消滅することになるだろうが、それが果たして望ましいことなのかどうか。いろいろと考えるべきことは多い。