“解放感”への渇望。

思えばこの一年くらい、「終わった〜」という解放感を味わえていないことに気付く。

学生時代に始まって、忙しい時期は過去にも何度かあった。
特に「11月」というのは、かつては日中夜一つのことをずっと考えていないといけないシーズンだったわけで、そういう意味では、今だけが極端に慌ただしい状況、というわけではない。

ただ、これまでなら、何か一つ背負っているものが片付けば、フッと息が抜けるタイミングがあった。

せいぜい2〜3日、金曜日に飲んで週末の間だけの束の間の息抜き・・・ということもあれば*1、数か月、極端な時は、1年、2年ずっと息抜き状態だったこともあったりしたのだけれど*2、期間の長短はともかく、気持ちを切り替えるにはちょうどいい間合いがあったからこそ、心身を少々酷使しても、これまで何とかやってこれたのは確かだ。

だが今はどうだ。

一つ重い荷物を片付けた、と思っても、次から次へと新しい荷物が降ってくる。
華麗なボール回しで波状攻撃を仕掛けるFCバルセロナを相手にしなければいけない弱小クラブのDF・・・みたいなものだが、サッカーと違ってこの連続攻撃にはハーフタイムも試合終了のホイッスルもない。

まぁ、一番の根っこにある諸悪の根源が何なのか、というのは一応分かっているので、それさえ片付けば今月の後半には何とか・・・と思いたいところだけど、果たしてどうなるのだろう。
その先のことは、自分にもまだ分からない。


ちなみに、今日いろいろと煮詰まった頭を冷ましながら仕事を続行するために、パソコン片手に立ち寄ったカフェで、無為な会話を延々と続ける学生と思しき人々の会話を小耳に挟みながら、思い出していた。

そういえば、なーんにもない長い長い息抜きの期間に、やることが何にもないことの虚しさに耐えかねて、知っている人間を捕まえては、無為な時間を消費していた・・・そんな頃もあったな、ってこと。
そして、その頃も、今とは全く違う意味での渇望感に支配されていた・・・ってことを。

今とあの頃の真ん中、ちょうど良いバランスがとれているところに、自分のポジションを取るのは実に難しいし、仮にそういうポジションがあったとしても、いざそこに辿りついたときに、本当に満足できるのかどうか。

結局、ありのままの今を受け入れて安住できるだけの甲斐性でも身に付けない限り、渇望感から逃れることはできない・・・

そんなことを考えていたら、ますます気が重くなって、秋の夜長を満喫できそうな、そんな休日である。

*1:ここ数年はこれがせいぜい。

*2:学生時代の後半〜就職してから暫くの間は、ただの息抜き期間だった。今考えれば。