Winny無罪は必然か?それともクリスマスの奇跡か?

20日の夜から21日にかけて、一斉に報じられた、「『ウィニー』開発者無罪確定へ」というニュース。
最高裁で検察官上告が棄却され、開発者の金子勇氏に対して「逆転無罪」判決を言い渡した大阪高裁の判決(大阪高判平成21年10月8日)が維持されたことにより、2004年の逮捕以来、“被疑者”“被告人”という地位に身を置き続けることを余儀なくされた金子氏も、ようやく名実ともに“解放”されることになった、といえるだろう。

Winny」をめぐる一連の捜査が開発者の逮捕、起訴という事態にまで至ってしまった背景には、当時の世の中に蔓延していた「インターネット文化」に対するいわれなき不信感があったように思われ、法的な解釈はともかく、一開発者にまで刑事責任を負わせる、というのはやり過ぎ! という意見は、実務家の間でも当初から根強かった(元々、「幇助犯」のような従犯は、どんな事件でも常に起訴される、というわけではなく、これをあえて起訴した、というところに、本件の“政治性”が既に滲み出ていたといえる)。

それゆえ、巷では、圧倒的多数の人々が、金子氏に一切の刑責を負わせなかった今回の最高裁の判断を支持しているように見受けられるし、筆者自身もこの結論自体には何ら異論はない。

だが、21日にアップされた最高裁決定を眺めながら、純粋に法的観点からこの「無罪」という結論を導けるか・・・と考えたとき、何となく腑に落ちないところが残ってしまうのも確か。

そこで、以下では、最高裁決定、及び比較対象として高裁判決*1を紹介しながら、法的な「理屈」と「結果」のギャップについて、考えてみることにしたい。

最三小決平成23年12月19日(H21(あ)第1900号)*2

「所論に鑑み,被告人によるファイル共有ソフトの公開,提供行為につき著作権法違反罪の幇助犯が成立するかどうかを職権で判断すると,原判決には,幇助犯の成立要件に関する法令の解釈を誤った違法があるものの,被告人の行為につき著作権法違反罪の幇助犯の成立を否定したことは,結論において正当として是認できる。」(1頁)

というのが、最高裁が決定文に記した結論である。

そして、「決定」という位置づけではあるにもかかわらず、上告棄却の「理由」欄には、上記の結論に続いて、認定事実の整理、地裁、高裁判決の論旨の確認に始まり、検察官主張に対する裁判所の判断まで、非常に詳細に記されている。

そこで、順に見ていくと、まず、登場するのが、大阪高裁判決で示された幇助犯成立要件に対する以下のような評価である。

「刑法62条1項の従犯とは,他人の犯罪に加功する意思をもって,有形,無形の方法によりこれを幇助し,他人の犯罪を容易ならしむるものである(最高裁昭和24年(れ)第1506号同年10月1日第二小法廷判決・刑集3巻10号1629頁参照)。すなわち,幇助犯は,他人の犯罪を容易ならしめる行為を,それと認識,認容しつつ行い,実際に正犯行為が行われることによって成立する。原判決は,インターネット上における不特定多数者に対する価値中立ソフトの提供という本件行為の特殊性に着目し,「ソフトを違法行為の用途のみに又はこれを主要な用途として使用させるようにインターネット上で勧めてソフトを提供する場合」に限って幇助犯が成立すると解するが,当該ソフトの性質(違法行為に使用される可能性の高さ)や客観的利用状況のいかんを問わず,提供者において外部的に違法使用を勧めて提供するという場合のみに限定することに十分な根拠があるとは認め難く,刑法62条の解釈を誤ったものであるといわざるを得ない。」(5頁)

これだけだと分かりにくいので、大阪高裁の判決*3から、この点について、もう少し詳しく引用してみる。

Winnyは価値中立の技術であり,様々な用途がある以上,被告人のWinny提供行為も価値中立の行為である。被告人がWinnyを提供する対象は不特定多数の者であり,特定の者を対象としているのではない。また,Winnyをダウンロードした者の行為には独立性があり,被告人の提供したサービスを用いていかなるファイルについてもアップロードやダウンロードしてファイルを交換することができるのであり,いかなるファイルを交換するかは,Winnyをダウンロードした者の自由なのであって,被告人の提供した助力は,専ら犯罪のために行われるわけではない。そもそも被告人はWinnyをダウンロードした者を把握することはできず,また,その者のWinnyの使用方法,その者が著作権法違反の行為をしようとしているか否かを把握することもできない。一般に,中立行為による幇助犯の成立につき,正犯の行為について,客観的に,正犯が犯罪行為に従事しようとしていることが示され,助力提供者もそれを知っている場合に,助力提供の行為は刑法に規定される幇助行為であると評価することができるが,これとは逆に,助力提供者が,正犯がいかにその助力行為を運用するのかを知らない場合,又はその助力行為が犯罪に利用される可能性があると認識しているだけの場合には,その助力行為は,なお刑法に規定する幇助犯であると評価することはできないというべきである。しかも,開発したソフトをインターネット上で公開して提供するということは,不特定多数の者に提供することであり,提供者はソフトをダウンロードした者を把握することができず,その者がソフトを用いて違法行為をしようとしているか否かを把握することもできないのに,提供者は,インターネット上での不特定多数の者との共犯の責任を問われることになり,価値中立のソフトを提供した行為について,幇助犯の成立を認めることとなれば,幇助犯の公訴時効は正犯の行為が終わった時から進行することから,そのソフトが存在する限り,そのソフトを用いて違法行為をする正犯者が出てくる限り,ソフトの提供者は,刑事上の責任を時期を問わず無限に問われることとなる。これらの点にかんがみると,価値中立のソフトをインターネット上で提供する行為に対して幇助犯として刑事責任を問うことは慎重でなければならない。したがって,価値中立のソフトをインターネット上で提供することが,正犯の実行行為を容易ならしめたといえるためには,ソフトの提供者が不特定多数の者のうちには違法行為をする者が出る可能性・蓋然性があると認識し,認容しているだけでは足りず,それ以上に,ソフトを違法行為の用途のみに又はこれを主要な用途として使用させるようにインターネット上で勧めてソフトを提供する場合に幇助犯が成立すると解すべきである。」

Winny」を価値中立的なソフトウェア、として把握した上で、「中立行為による幇助犯」について、提供者の予測可能性の乏しさに注目して、幇助犯成立のために、通常の幇助犯成立要件よりも、「行為」のレベルで相当高いハードルを課したのが、上に抜粋した大阪高裁判決の特徴的な部分である。

そして、従来の刑法学説と比べれば若干異質な印象を与える論理とはいえ、そもそも「中立行為による幇助犯」が立件されること自体が極めてレアな事態であることに鑑みると(先述)、それなりに説得力のある理屈だと、自分などは考えていた*4

だが、先述のとおり、最高裁は検察官の主張を入れて、大阪高裁の上記のような考え方を「十分な根拠があるとは認めがたい」として退け、その代わりに、「ソフトの開発行為に対する過度の萎縮効果を生じさせない」よう、著作権侵害の幇助犯成立の範囲を限定するために、以下のような論理を持ちだした。

「かかるソフトの提供行為について,幇助犯が成立するためには,一般的可能性を超える具体的な侵害利用状況が必要であり,また,そのことを提供者においても認識,認容していることを要するというべきである。すなわち,ソフトの提供者において,当該ソフトを利用して現に行われようとしている具体的な著作権侵害を認識,認容しながら,その公開,提供を行い,実際に当該著作権侵害が行われた場合や,当該ソフトの性質,その客観的利用状況,提供方法などに照らし,同ソフトを入手する者のうち例外的とはいえない範囲の者が同ソフトを著作権侵害に利用する蓋然性が高いと認められる場合で,提供者もそのことを認識,認容しながら同ソフトの公開,提供を行い,実際にそれを用いて著作権侵害(正犯行為)が行われたときに限り,当該ソフトの公開,提供行為がそれらの著作権侵害の幇助行為に当たると解するのが相当である。」(6-7頁)

乱暴にまとめるならば、その者の「行為」要件を加重するのではなく、その者が「認識・認容」する対象を「ソフトを入手する者のうち例外的とはいえない範囲の者が同ソフトを著作権侵害に利用する蓋然性が高いこと」というところにまで引き上げる、という規範を最高裁は打ち出した、ということができるだろう。

そして、原審までに認定された事実に対して、この規範をあてはめた結果、↓のような帰結となった。

「まず,被告人が,現に行われようとしている具体的な著作権侵害を認識,認容しながら,本件Winnyの公開,提供を行ったものでないことは明らかである。」
「次に,入手する者のうち例外的とはいえない範囲の者が本件Winny著作権侵害に利用する蓋然性が高いと認められ,被告人もこれを認識,認容しながら本件Winnyの公開,提供を行ったといえるかどうかについて検討すると,Winnyは,それ自体,多様な情報の交換を通信の秘密を保持しつつ効率的に行うことを可能とするソフトであるとともに,本件正犯者のように著作権を侵害する態様で利用する場合にも,摘発されにくく,非常に使いやすいソフトである。そして,本件当時の客観的利用状況をみると,原判決が指摘するとおり,ファイル共有ソフトによる著作権侵害の状況については,時期や統計の取り方によって相当の幅があり,本件当時のWinnyの客観的利用状況を正確に示す証拠はないが,原判決が引用する関係証拠によっても,Winnyのネットワーク上を流通するファイルの4割程度が著作物で,かつ,著作権者の許諾が得られていないと推測されるものであったというのである。そして,被告人の本件Winnyの提供方法をみると,違法なファイルのやり取りをしないようにとの注意書きを付記するなどの措置を採りつつ,ダウンロードをすることができる者について何ら限定をかけることなく,無償で,継続的に,本件Winnyをウェブサイト上で公開するという方法によっている。これらの事情からすると,被告人による本件Winnyの公開,提供行為は,客観的に見て,例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高い状況の下での公開,提供行為であったことは否定できない。」
「他方,この点に関する被告人の主観面をみると,被告人は,本件Winnyを公開,提供するに際し,本件Winny著作権侵害のために利用するであろう者がいることや,そのような者の人数が増えてきたことについては認識していたと認められるものの,いまだ,被告人において,Winny著作権侵害のために利用する者が例外的とはいえない範囲の者にまで広がっており,本件Winnyを公開,提供した場合に,例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高いことを認識,認容していたとまで認めるに足りる証拠はない。」(7-8頁)

「例外的とは言えない範囲の者が著作権侵害に利用する蓋然性が高い」状況が客観的に存在した、ということを肯定しつつ、被告人はそこまで認識・認容していなかった、とし、

「幇助犯の故意を欠く」

として、犯罪不成立としたのが最高裁の決定、ということになる。

大谷剛彦判事の反対意見が描きだす多数意見のジレンマ

上記決定要旨をさらっと読むと(というか、規範部分だけを読むと)、

「開発者に配慮する一方、成立要件を過度に狭めることも避けてバランスをとった」(日本経済新聞2011年12月21日付け朝刊・第43面)

という穏当な感想に落ち着きそうだし、公式の調査官解説等も、おそらく同じようなトーンで書かれるのだろう、と予想される。

だが、決定全文をじっくり読んでみると、規範部分はともかく、認定事実のあてはめ、特に被告人の「主観面」についてのあてはめの部分では、判決で挙げられている事実(開発スレッドへの書き込み状況、インターネットや雑誌等に当時掲載されていた情報、被告人自身による著作物の大量ダウンロード等)と決定文に記されている「結論」との間に、かなり大きなギャップがあるのではないか、という疑問が生じてくる。

そして、それを如実に描き出すのは、多数意見に続いて付されている大谷剛彦判事(裁判官出身)の反対意見である。

メディア等では、あたかも大谷判事が、本件のソフトウェア開発自体に否定的な意見を述べたかのような報道も散見されるが、大谷判事も、「被告人に積極的な侵害意図がなかった」ことは当然のこととして認めているし、Winny自体が価値中立的で、「幇助の故意として、侵害的利用についての具体的かつ高度の蓋然性についての認識・認容が求められる」という前提に立っている点も多数意見と同じ。

ただ一点異なるのは「被告人に侵害的利用の高度の蓋然性についての認識と認容」が認められるか、という点の評価だ。

「まず,侵害的利用の蓋然性について,このソフト自体の有用性の反面としての侵害的利用の容易性,誘引性があることや,また提供行為の態様として対象が広汎,無限定であることについては,開発者として当然認識は有していると認められる。また,客観的な利用状況については,多数意見が理由4(3)で挙げる(1)開発宣言をしたスレッドへの侵害的利用をうかがわせる書き込み,(2)本件当時のWinnyの侵害的利用に関する雑誌記事などの情報への接触,(3)被告人自身の著作物ファイルのダウンロード状況などに照らせば被告人において,もちろん当時として正確な利用状況の調査がなされていたわけではないので4割が侵害的利用などという数値的な利用実態の認識があったとはいえないにしても,Winnyがかなり広い範囲(およそ例外的とはいえない範囲)で侵害的に利用され,流通しつつあることについての認識があったと認めるべきであろう。」
「多数意見の指摘する被告人の侵害的利用状況の認識・認容に関わる諸事情は,その蓋然性の認識の判断に当たり消極に働く事情として慎重に検討すべき点ではあろう。しかし,これらの事情を考慮し,また,被告人の研究開発者としての志向,すなわち有用性というプラス面の技術開発への傾倒,没頭と,一方で副作用ともいうべき侵害的利用というマイナス面への関心,配慮の薄さという面を考慮しても,侵害的利用についての高度の蓋然性の認識を否定するには至らないと思われる。そして,通常は,このような侵害的利用の高度の蓋然性に関する客観的な状況についての認識を持ちながら,なお提供行為を継続すれば,侵害的利用の高度の蓋然性についての認容もまた認めるべきと思われる。」(15-16頁)

「多数意見は,被告人の幇助の故意を消極的,否定的に評価する事情として,開発スレッドへの書き込みに自らソフトの開発・提供の意図を書き込んでいたとか,著作権者側の利益が適正に保護されることを前提とした新たなビジネスモデルの出現を期待していたとか,侵害的利用についてこれをしないよう警告のメッセージを発していたという点を挙げるが,これらは被告人に法益侵害の積極的意図が無かったという事情としてはもっともであるにしても,これらの事情が必ずしも法益侵害の危険性の認識・認容と抵触し,これを否定することにはならないと考えられる。提供行為の法益侵害の危険性を認識しているからこそ,このような利用が自らの開発の目的や意図ではなく,本意ではないとして警告のメッセージとして発したものと考えられる被告人は,このようなメッセージを発しながらも,侵害的利用の抑制への手立てを講ずることなく提供行為を継続していたのであって,侵害的利用の高度の蓋然性を認識,認容していたと認めざるを得ない。」(17頁)

正直言って、法律家が何の先入観も抱かずに、上記(1)〜(3)の事実を評価するならば、多数意見における評価よりも、大谷判事の評価に賛同する人の方が遥かに多いのではなかろうか。

そして、本件の被告人が、世論や多くの有識者の支持を受けることのない“普通の人”であったとしたら、おそらく最高裁は、大谷判事の評価を採用して、淡々と有罪判決を書いたのではないか・・・そんな錯覚にすら陥ってしまう。

奇しくも、大谷判事は、上記の評価に続けて、「実質的な違法性阻却」の成否について論じる中で、以下のように、本件のそもそもの問題点を鋭く指摘している。

「被告人の開発,提供していたWinnyはインターネット上の情報の流通にとって技術的有用性を持ち,被告人がその有用性の追求を開発,提供の主目的としていたことも認められ,このような情報流通の分野での技術的有用性の促進,発展にとって,その効用の副作用ともいうべき他の法益侵害の危険性に対し直ちに刑罰をもって臨むことは,更なる技術の開発を過度に抑制し,技術の発展を阻害することになりかねず,ひいては他の分野におけるテクノロジーの開発への萎縮効果も生みかねないのであって,このような観点,配慮からは,正犯の法益侵害行為の手段にすぎない技術の提供行為に対し,幇助犯として刑罰を科すことは,慎重でありまた謙抑的であるべきと考えられる。多数意見の不可罰の結論の背景には,このような配慮もあると思われる本件において,権利者等からの被告人への警告,社会一般のファイル共有ソフト提供者に対する表立った警鐘もない段階で,法執行機関が捜査に着手し,告訴を得て強制捜査に臨み,著作権侵害をまん延させる目的での提供という前提での起訴に当たったことは,いささかこの点への配慮に欠け,性急に過ぎたとの感を否めない。」(19頁)

そう、まさに、本件に関しては、捜査当局が、Winnyに対する一方的な価値判断に基づき、開発者を被疑者として捜査対象として起訴したこと自体が問題なのだと思う*5

そして、誤って起訴されてしまった被告人を救済するために、量刑面で配慮したのが京都地裁*6であり、それでもなお救済不十分として、従来の伝統的な幇助犯成立要件を書き換えたのが大阪高裁、そして、従来の伝統的な幇助犯成立要件を辛うじて維持しつつ、あてはめベースで救済したのが最高裁だった、ということができるのではないだろうか*7

最高裁がいつになく被告人に有利かつ柔軟なあてはめを行って「無罪」判決を維持した・・・という現実を、事案の性格に照らした必然的な帰結、と捉えるか、クリスマスの奇蹟、と捉えるかは人それぞれだと思うが、いずれにしても、上に述べてきたような「理屈」と「結論」の不整合については、今後専門家筋から厳しい指摘も出てくることが予想されるところ。

もちろん、一般人の視点で見れば、結果良ければすべて良し、で、筆者としては、晴れて名誉を回復された金子氏の今後のご活躍を心より願うとともに、二度と同じような混乱がもたらされないよう、法曹三者が今回の教訓をしっかり共有することの方が大事だろう、と考えているところではあるのだけれど・・・。

今後の議論の行く末に注目してみたい。

*1:まだ最高裁のHPには掲載されていないようであるが、LEXIS社のDBには独自収集判例として掲載されているので、こちらを参照した。

*2:第三小法廷・岡部喜代子裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20111221102925.pdf

*3:阪高判平成21年10月8日(H19(う)461号)、第5刑事部・小倉正三裁判長

*4:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20091010/1255263662

*5:価値中立的な行為が幇助犯になるかどうか、なんて論点も、本来であれば机上の議論だけにとどめられるべき話であって、被疑者・被告人に公判で多大な負担を負わせてまで論じるような話ではない。

*6:ちなみに大谷判事も「量刑面で考慮されるべき」と述べている。

*7:個人的には、今回の最高裁決定のような強引なあてはめ(事実評価)をするくらいなら、いっそのこと大阪高裁のように、新しい成立要件を打ち立てる方が、司法府の在り方としては潔いのではないかと思うのだけど・・・。

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