悪夢のような一年を終える日に。

あと2時間も経たないうちに、「2011年」という年が終わる。

正直、3月11日より前に起きた出来事、というのは、自分にとっては遠い昔の出来事になってしまっていて、どんなことがあったか、すぐに思いだすのは難しい*1

それっくらい、あの日に起きたことと、その後の数日、数週、数カ月にわたる混迷は衝撃的だった。

仕事への影響が大きかった、というのはもちろんのことだが、それ以上にショックだったのは、これまである程度成熟している、と思っていた世の中の多くの人々が、ちょっとしたことでヒステリックに暴発して右往左往してしまい、冷静な判断ができないような状況に陥ってしまった・・・ということ。そして、そのような状況を、誰もが“時の経過”以外の方法で、打開することができなかったこと・・・。

自分はあれ以来、仕事でもプライベートでも、機会があれば、東北に足を運んだ。
三陸の方だけじゃなくて、福島の浜通りにも、現地の人々(正確に言えば、災厄の直撃を受けた地域から難を逃れてきた人々)の声に耳を傾けるために足を運んでいた。

そして、行くたびに自分の目で見たものと、東京に帰ってきて目にしたメディアの報道や、SNS等で流れている根拠のない主張等々を見比べるたびに、何とも言えない違和感に襲われていた。

違和感を抱きながらも、より踏み込んだ行動に移せないもどかしさ・・・。
生半可被災地にかかわる仕事をしていただけに、尚更苦しい日々だったことを、今でも生々しく思いだす。


その後、月日が流れて、被災地の扱いは日増しに小さくなっていった。

年末のニュースハイライト等では、さすがに何度も繰り返し「被災地のその後」が取り上げられているし、今まさにやっている紅白歌合戦も「東北頑張れ」一色になっている。

だが、年が明ければ、騒々しい世の中は、日々新しいニュースのネタを求め、節目の日を除けば、直に東京では「あの日+数週間」の苦しい記憶が話題になることもなくなっていくことだろう。

既に復興に向けて動き出している地域&その周辺地域は、おそらく、過去何十年もなかったような好景気の恩恵を受けることは間違いないわけで*2、それはそれで、“放置”でも良いのかもしれないが*3、今なお復興どころか、自分の家にいつ帰れるのか分からない日々を過ごしている多くの人々がいる、という事実が忘れ去られてしまうのでは、何ともいたたまれない。

それゆえ、もどかしさを感じながら、この日を迎えているわけで・・・。


今年は、地震原発事故のことに限らず、自分の立場上出来ることと、自分がやりたいと思っていることとのギャップが日増しに広がって行くことに悩まされた一年だった。

もちろん、今の自分の立場を離れて「自由に」振る舞えば、本当にやりたいことができる、という保証はどこにもないし、むしろ、生きていくためにそこから遠ざかってしまう選択をせざるを得ない場面も出てきてしまうのかもしれないのだけれど、それでも・・・。


一年後、自分が今と同じ環境にいるかどうかは、ギャップを自分の中で消化して、今のポジションでできることを再び見つけ出せるかどうかにかかっているような気がする。

辛うじて見つけ出せたところで、それが本当にベストなのかは分からないけど、そういう方向に向かう希望も、もう少しの間はまだ捨てずにおこう、と思うところ。


* * * * *

・・・というわけで、読者の皆様には、今年もお世話になりました。
たぶん、今年同様、来年も不安定な更新状況が続くことが予想されますが*4、読者の皆様におかれましては、どうぞご容赦いただければ幸いです。

来年もよろしくお願いします。

*1:30日付けのエントリーで、今年一年で書いた記事を振り返ってみたが、やっぱり最初の2ヶ月くらいの記事については、忘却の彼方だった・・・。

*2:というか、北の方に向けて数時間電車に乗れば、既にその恩恵が現れ始めていることを、身をもって実感することができるだろう。それくらい“復興”需要というのは強力な押し上げ効果を持っている。

*3:もちろん、身近な人を亡くした悲しみがすぐに癒えることはないが、時が解決できない悲しみはない・・・というのもまた真実。

*4:どちらかといえば、今年は物理的なバタバタさよりも、メンタル的なバタバタが先行しそうな予感がする。

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