アンチ・ギャップターム

東大が華々しく「秋入学」を打ち出した報に接してから、ずっともやもやした気持ちを抱いていたのだが、↓のニュースを見て、ようやく少しすっきりした気分になった。

東京大学が全面移行を検討している秋入学について、一橋大学が入学時期を春のままにしながら、本格的な授業の開始を秋に移す独自案を検討していることが21日、わかった。入学から秋学期までを「導入学期」、4年次の最後の3ヶ月を「修了学期」とし、実質的な学部教育は7学期で終える。」(日本経済新聞2012年2月22日付け朝刊・第1面)

東大の「秋入学移行」案には、高校までの教育過程が3月に終わる、という前提であるにもかかわらず、あえて“空白の”半年間を設けることのデメリットについての深い検討が欠けているのではないか、と自分は思っていた。

18歳、19歳くらいの時期の若者にとって、「半年」という歳月は非常に大きい。

それは、我が身を振り返っても思うことで、学生の本分に関してはいろいろと迷走していたが(苦笑)、今の仕事のやり方とか思考法の基礎的な部分は、この期間の“課外”での活動の中で掴んだものがかなり多かった、自分にとってはいわば「原点」ともいうべき期間だった。

「東大に入るくらいの学生なら、放っておいても短期留学なりボランティアなりにいそしんで、有意義に時を過ごすだろう」

というのが、東大の先生の発想だろう、ということは、大方想像が付く*1

だが、全ての学生がそんな高いモチベーションを持っているはずもないし、仮にモチベーションがあったとしても、そんな機会を簡単に手に入れられるほど恵まれているわけでもない。

そもそも、「大学でやることがどんなことか?」ということすら、十分に知る機会がないまま、入学の日を迎える、というのが、今の日本の学生の現実なわけで*2、“勉強に対するモチベーションは、人生で五本の指に入るくらい高かった”合格発表後の自分の1ヶ月も、結局何をすればいいのか良く分からないまま、こなしきれなかった受験時代のテキストを見返すくらいで終わってしまった記憶がある。

ゆえに、明確な目標を持ちにくいまま、ダラダラと日を過ごして9月を迎える、という学生が大量にキャンパスにあふれ、「5月病」ならぬ「9月病」「10月病」が蔓延する・・・という光景は容易に想像が付くわけで。

それゆえ、入学式を従来どおり春に行い、正規の学期が開始されるまでの間も、大学がきちんと責任を持ってプログラムを提供する、という一橋大のやり方には、現実的なプランとして好感が持てる。


あと、仮に「秋入学」にした方が国際化につながる、という前提に立ったとしても(東大に留学生が来ないのは、「春入学」のせいだからではなく、純粋に東大が「日本」というちっぽけな島国にあるからだろう、という突っ込みはさておき)、「9月」に一斉に講義を始めなければダメなのだろうか?という疑問も元からあった。

専門科目であれば、基礎から始めて総論、各論といった流れが一応あるが、教養科目なんて、元々オムニバス的に開講されていて、秋学期から始まった連続シリーズを春学期に受講しても、一応理解はできるくらい学期ごとに完結しているものが多かったように思うし、他にも少人数のゼミを開講する等、9月までの間にできることはいくらでもある。

授業のコマ数、単位数は少なくても、大学の図書館が使えるだけで気分はだいぶ違ってくるわけで、そう考えると、4月入学、9月本格開講、という一橋大学案のプログラムには、大きなメリットがあると思われる*3

まぁ、仮に自分が学生の時にこういう制度になっていたら、入学早々、負担が軽いのをいいことに、委員会室に入り浸って部屋の主の座を早々と奪っていた可能性が高いしw、2年目以降は、負担が軽そうな1年生を捕まえて馬車馬のように働いてもらっていた可能性が高いwwwのだが、そんな日々が送れるのも、学生の身分があるからこそ。


いずれにせよ、年老いた教員の頭で「半年」という期間を安易に考えるのは、大きなリスクを生むことになるわけで、筆者としては、秋に移すなら、せめて今回の一橋大学のプランで進めて欲しい・・・と思うところである*4

*1:かつて法学部生を放置し続けた結果、学年の半数近い学生が留年する、という異常事態を招き、それでもなお「実質的な学部専門教育3〜4年化につながる、好ましい傾向と言える」という趣旨のことを学部長がのたまう・・・東大というのはそういう学校である。もちろん、留年していた連中が皆、高等専門教育を受けながら充実した日々を過ごしていたか、と言えば、そんなことはあるはずもなかった。

*2:昔に比べれば、大学も開放的になってきているし、教育メソッドも書籍等でちょっとずつ公開されるようになってきているから、その辺のギャップも少なくなっているのかもしれないけれど。

*3:ちなみに、この場合、導入学期の密度如何では、実質7学期で単位を取らないといけない、という問題も出てくるのだが、授業にほとんど出なかった自分でさえ、4年の時にはほとんど流して卒業できたことを考えると、「必要なことを学ぶのに、8学期も必要ない」という発想でカリキュラムを組むことも可能だろう。

*4:なお、個人的には、「秋入学」にあえて移行しなければならない理由が分からないし(国際的競争力、というフレーズが良く使われるが、上でも書いたように、「春入学だから日本に留学しない」という学生がどれだけいるのか(いずれにせよ、留学するには準備期間が必要なわけで、留学元の学校を出たらすぐ行ける、というものではない)、自分は大いに疑問を感じている)、仮に行うのであれば、小学校から高校まで、さらには、会社のカレンダーまで、日本人の頭の中に染み付いた季節のイメージを全て「秋始まり」に変える前提で行うことが絶対条件だと思っている。

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