被災地に向けた祈り。

自分も含め、多くの人々がかつて味わったことがなかったような悪夢がこの世を襲った「平成23年3月11日」から、ちょうど1年が過ぎた。

我が家でも、テレビで追悼式を見ながら、当然のごとく黙祷を行い、ついこの前のことのように思いだす、「3・11」の記憶に想いを巡らせていたのだが・・・。

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黙祷をはじめ、様々な追悼行事がターゲットにしていたのは、地震が発生した「午後2時46分」という時刻。

だが、1年前の「悪夢」が、地震が起きたその瞬間よりもその次のタイミングで襲ってきたものであることを思い返すと、何となく違和感はあった。

岩手、宮城、福島の3県を中心に、津波が甚大な被害をもたらしたのは、地震発生後30分以上経ってから。
さらに、この国の安全を信じていた我々が、誰ひとり救えないまま、テレビを通じて悲惨な光景を眺めることになったのは、さらにその後、夕方から夜にかけてのことだった。

また、福島原発の危機をリアルに意識し始めたのは、東京圏の安否確認が一段落した夕方以降に臨時ニュースが流れるようになってからだったし、帰宅困難者があふれる中、電車が運転する/しないによる混乱も深夜遅い時間まで続いていた。

そして、なぜか東京圏を襲った物資不足と計画停電による混乱、虚実ないまぜの“放射能”に関する有象無象の情報がもたらした混乱が本格化したのは、震災の翌日以降のこと。

震災後の1週間、2週間、さらには4月に入って以降も、根拠不明の“自粛”ムードとともに、首都圏の空気を支配し続けた“物言えば唇寒し”的な雰囲気。

自分は、そういうのを全部ひっくるめたものが、今般の「震災」だったと思うから、「3・11」の一瞬だけを切り取って、ただの自然災害として振り返る、というだけでは足りない、と個人的には思っている。

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もちろん、目に見える「被害」として、一番大きかったのが、岩手・宮城・福島の3県中心に発生した地震津波による被害である、ということは言うまでもない。

今年3月10日現在で、死者1万5854人、行方不明者3155人、という数字は、今回の大震災が、近年では比類なき大惨事であることを大いに物語っている。

ただ、ひとくくりに「被災地」といっても、各県に居住する人々全体の割合の中で見れば、直接的な、そして今でも回復されない被害を受けた人は決して多いとはいえない、という事実もある。

そして、多くの人々の共感を得ながら、「被災地」がただひたすらに地域インフラの回復を目指して進んで来られたこれまでの1年間とは異なり、この先、本格的な“復興”の動きが現実化すればするほど、危機を“チャンス”に変えて生かせる地域と、そうでない地域(特に福島)や、生かせる人々とそうでない人々との格差が、これから徐々に、だが激しく、顕在化してくることだろう。

“1周年”を取り上げた多くのメディアがステレオタイプに報じていたような、「復興の体現者」だけにスポットライトを当てるだけでは、未だ厳しさが残る被災地の現実を見誤る恐れがある。だがその一方で、復興から取り残された人々の意見だけを代弁することが適切であるとも思えない・・・。


震災直後にTwitterその他のメディアで、“ムード”に便乗して大騒ぎした人々のうち、今、どれだけの人が、1年前の震災、そして原発事故が遺した傷跡に目を向けているのか分からないが*1、その一方で、そんな傷跡を身近に感じながら仕事を続けている人、あるいは、1年後の報道に煽られるまでもなく、被災地、そして被災した方々への祈りをささげ続けている人、というのも、決して少なくはないはず。

そして、真摯に今の問題に向き合おう、と思っている人であればあるほど、どこに、そして誰に向けて、祈りをささげれば良いのか、分からずに迷うことが多いのではなかろうか。

そんな時、どうするか。

自分の経験から言えば、迷ったらとにかく現地に行って、ありのままの姿を見る・・・それに限る、と思っている。

“支援”などという、大仰なものである必要はない。

未だ傷跡が癒えない場所が多く残されていること、その一方で、それと隣り合わせで、それまでと同じような日常を取り戻している人、取り戻そうと頑張っている人々がいることを自らの目で確かめ、地元の人々の言葉に耳を傾け、ほんの少し、地元のモノを買って食べて帰ってくる・・・

宮古でも釜石でも、石巻でも塩竃でも名取でもいい。相馬でもいわきでも小名浜でも、常磐ハワイアンセンターでも・・・。

実際にその場に行って、メディアのバイアスを介さない客観的な視点で目の前のものを見つめれば、それまで気が付かなかった何かが見えてくるはず。

そういった、ささやかな行為の積み重ねが、真の支援に、そして、真の祈りにつながる、と自分は信じてやまない。

*1:一方的な主観で言えば、あの時、馬鹿騒ぎした人ほど、今の関心はこちらの方には向いてないように思えてならない。