今年のUEFAチャンピオンズリーグの決勝は、いつになく牧歌的な一昔のサッカーを見ることができた・・・そんな感じのゲームだったような気がする。
バルセロナや全盛期のアーセナルのような、ファンタスティックな展開があるわけではない。
かといって、モウリーニョ監督が率いたレアルやインテルのような力強い速攻が見られるわけでもない。
もちろん、バイエルンミュンヘンには、両サイドから攻め上がるロッベン、リベリーといった一流ドリブラーがいたし、チェルシーには大エース・ドログバ、そして途中出場したフェルナンド・トーレス、と個人技で存在感を発揮する選手がいた。
凡庸に見えてもバイエルンの選手一人一人のスキルは、“J”の平均的なそれに比べれば遥かに高かったはずだし、チェルシーの堅守は、ディマテオ暫定監督が持ち込んだイタリアの伝統そのままに、どこまでも堅かった。
だが・・・録画した映像を見ながら、何となく退屈さを感じたのは、そこにメッシもイニエスタも、C・ロナウドも香川真司もいなかったせいだろうか・・・。
地元でビッグイヤーを飾るはずだったバイエルンミュンヘンは、リベリーが強引な突破を繰り返してダイブするたびに幸運が逃げていき、ヨレヨレのミュラーが必死になって叩きこんだヘッドで辛うじてひきとめた勝利の女神も、追いつかれた後の延長戦で、ロッベンが絶対に決めないといけないPKを止められてしまった瞬間に、愛想を尽かして逃げていってしまった。
そして、ドログバが、ワンチャンスを生かして豪快にゴールをこじ開け、堅守を保ったままPK戦に持ち込んだチェルシーにしても、漂っていたのは原始的なサッカーの香りで、目の肥えたファンにしてみれば、物足りないところは多かったことだろう*1。
リーグ戦の合間を縫ってのグループリーグ、そしてトーナメント、と続く過酷な日程ゆえ、決勝戦にたどり着くまでに一つや二つの波乱があっても全く不思議ではない。
だが、それゆえ、決勝戦の場に立つべきだったチームが一つ残らず敗退し、そんなチームの中で燦然と輝くはずだった“主役”も誰一人決勝戦のフィールドに立てなかった・・・そんなことを考えると、今年の決勝戦が、牧歌的なものに終始した背景も何となく分かるような気がするわけで・・・。
グアルディオラ監督の電撃辞任等もあって、来季の欧州の勢力図は大きく変わる可能性もあるのだが、せめてCL決勝くらいは、堂々の“主役”が華やかに舞って、チームに美しくタイトルをもたらす・・・そんな瞬間を見届けたいと思うところである。
*1:若き智将・ビラスボアスをもってしても変えられなかったこの“原始性”が、最後に欧州の頂点の座を掴む原動力になるのだから、サッカーとは、何とも皮肉なものである。