「元社員を訴える」ことの意味。

先日、簡単に当ブログでご紹介した、新日鉄による対ポスコ営業秘密使用差し止め&損害賠償請求訴訟*1

日経紙は相変わらずこのネタがお好きなようで、今度は月曜日の法務面で大々的に特集を組んで報じている。

新日鉄がいかにして「営業秘密関係訴訟のハードル」を乗り越えたのか、というところに主な焦点を当てた記事であり、「技術の不正取得の立証」がポスコ元研究者の別件訴訟のおかげで可能になったこと、「営業秘密」該当性の立証について、「社内でもトップレベルの難しい技術で、厳格な管理をしていた」(佐久間総一郎・新日鉄常務執行役員)と新日鉄サイドが自信を示していることなどが、記事としてまとめられている。

そもそも「厳格な管理」をしていた、というのであれば、なぜに技術者1名が協力したくらいで、「営業秘密が流出」してしまったのか、ということに、個人的には重大な疑問を抱いているところであるが*2、その辺を除けば、この辺りの記述は良くまとまっていて、あえてコメントするほどではない。

だが、引っかかったのは、それに続く以下のような記述だ。

「今回、新日鉄は元社員の技術者も訴えた。同社では社員の退職時に秘密保持契約を結んでいたというが、それでも技術が漏洩した事実に強い危機感を抱いたためだ。」(日本経済新聞2012年5月21日付け朝刊・第15面)

前回のエントリーでも書いたとおり、一般論でいえば、法的な権利行使に耐え得るほどの実効性を持たせようと思えば、ある程度保護すべき情報の対象を限定したものにしないといけない、逆に漠然と広範囲な内容を定めただけでは実効性が伴わないものになってしまう、ということで、我が国において退職した社員との間に交わされる秘密保持契約というのは、そもそも法的には、あまり頼りがいのあるものではない。

それゆえ、会社としては、コア技術に関するキーマンともいうべき立場の技術者については、退職後、競争相手に情報を持って行くようなことがないように、社内で定年あるいはそれ以降に至るまで手厚く処遇するか、あるいは、1人の技術者が引き抜かれたくらいで重要な技術が流出するようなことがないように、技術情報の管理をあえて分散化する、といった事実面からの対応もしていく必要がある。

新日鉄くらいの大企業であれば、当然、そういった点については、しっかり行っていて然るべきだと思うのだが、本件では、果たしてその辺りの対応はどうなっていたのだろうか・・・。

また、記事の中では、

「企業のコンプライアンス強化を指導する公認不正検査士の1人は「営業秘密を流出させた社員を提訴すれば、再発防止効果が見込める」(同上)

などという、自分から見たら信じられないようなコメントまで紹介されているのだが、会社が退職した社員を訴える、ということが、会社にとって推奨されることか? と問われれば、企業内で働く多くの法律実務家は、それを推奨するのはナンセンスだ、と答えることだろう。

会社が、法的側面のみならず事実上も、技術を保持している社員に対して必要十分な対応を行い、それでもなお、重大な信義則違反といえるような事態が存在したのであれば、提訴したくなる気持ちも分からなくもない。

だが、現実に起きている営業秘密侵害に関するトラブルの多くでは、社員が前に所属していた会社の側の対応も不十分であったりすることが多いのであり、単に元社員の行為が不正競争防止法2条1項各号に形式的に該当する可能性があるからといって、安易に提訴する、というのは、いささか軽率とのそしりを免れ得ないように思う*3


おそらく、新日鉄としては、会社の命運を左右するような高度な技術情報を、元社員がかなり悪質性の高い方法で持ち出したといえるかどうか、事案の内容を慎重に吟味した上で提訴に踏み切ったのだと思われるが、記事の中では、「本件の特殊性」が丁寧に説明されている前半(不正取得立証、営業秘密該当性について記載された部分)と比べ、この後半については、本件の特殊性があまり論じられておらず、逆に「社員への責任追及」をあたかも普遍的な方法であるかのように解説しているようにも見えなくはないわけで・・・。

今回の裁判が、どの程度で決着を見ることになるのかは自分も分からないのだけれど、判決が出るまでは、一種の“象徴的事案”として今回の新日鉄ポスコの話が使われることは間違いないだけに、あまりに射程を広く一般化し過ぎた議論、に向かっていかないように、内外からの牽制も必要ではないか、と思うところである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20120430/1335888934

*2:もちろん、表に出ているのがたまたま1人の技術者、というだけで、もっと深い組織的な産業スパイ行為があったのかもしれないが、その辺りは今後の裁判所の審理に真相解明が委ねられることになろう。

*3:残念なことに、自分が入手可能な情報だけでは、本件において「どのような形でどのような営業秘密が、元社員を通じてポスコに流れたのか」ということが良く分からないので、ここで自分が述べていることもあくまで一般論に過ぎない。