ここに来て、一気に報道が過熱している大津市中2生徒自殺問題。
昨年10月に発生した事件で、既に遺族による民事訴訟も始まっている、という状況であるにもかかわらず、様々な“新事実”が連日噴出し、それに対して教育委員会側が煮え切らない対応を繰り返したことが、市井の人々の“いじめ被害者”への共感を日に日に増幅させる流れになってしまっているように見える。
そんな中、民事訴訟において「被告」席に座らされている当事者、大津市が、訴訟対応としては極めて異例の方針を示した。
「大津市の越直美市長は市教委の記者会見後、報道陣の取材に「市教委の取材はずさんで全く信用できない」と答え、係争中の訴訟について「新たな委員会の調査結果にかかわらず、おわびして和解したい」と語った。」(日本経済新聞2012年7月11日付け朝刊・第35面)
越市長といえば、西村あさひの弁護士から華々しく地方政界に転身されたばかりの御方。
そして、法曹として、裁判における当事者の「主張」の重みも重々承知されている市長が上記のような発言をしたとなれば、単なる“ムード”を超えて、事が大きく動き出したと考えるのが普通だろう。
だが、そこに危うさはないのか?
確かに、本来なら明らかにされていて然るべきだった「2回目のアンケート」における重要な記載が、(アンケートの存在自体も含めて)長らく秘匿されていた等、情報開示の稚拙さが教育委員会の従前の主張の信頼性を著しく損ねている、というのは間違いないところで*1、今後も調べれば調べるほど、様々な“ボロ”が出てくるのは間違いないところだろう。
元々、ガチンコで争えば関係者の尋問も含めて、泥沼化しがちなこの種の訴訟においては、早々に原告側の請求に乗っかり、争いが深刻化する前に矛を収めてもらう、という方が賢い戦略である、ということも否定はしない。
ただ、様々な報道が出始めてから、今回の市長の意見表明に至るまでの期間がいささか短いのでは?という点はちょっと気になる。
「自殺」という、決して単純ではなく、誰もが選ぶ道でもない、複雑な心理が絡みあった末の悲劇的な結果について、法的責任を検討するためには、当然ながら相当の時間が必要になるはず*2。
いかに優れた法曹として活躍されていた人でも、短い時間の間で判明した断片的な事実や、それによりかかった報道等の風潮だけでその辺の判断をするのは極めて難しいはずで、流れに任せて180度対応を変更したは良いが、さらにその後、また判断を揺るがすような重要事実が出てきたりはしないのか・・・というのは非常に気になるところである。
市側が和解の姿勢を示したからと言って、すぐに終わってしまうような訴訟では到底ないだろうし、いずれ今後明らかになってくる様々な事実が、本件訴訟をも本来の落としどころに導くことになるのだろうけど、個人的には決着を急ぐことなく、様々な角度からの調査を待って手続きを進めた方が、より真実に近づくことができるように思えてならない。