夏休みに読むといいかもしれない本(その2)

近年、いろいろと“常識”が覆されつつある日本の司法界に、更なるインパクトを与えた、東電社員殺人事件をめぐる再審開始決定。

既に、マイナリ被告人の身柄拘束は解かれているし、東京高検も特別抗告を断念した、ということで、おそらくこのまま再審で無罪判決が出る公算が高いと思われるのだが、その前に、この複雑な経過を辿った事件を改めて振り返っておきたい、と思い↓の2冊を買った。

東電OL殺人事件 (新潮文庫)

東電OL殺人事件 (新潮文庫)

東電OL症候群(シンドローム) (新潮文庫)

東電OL症候群(シンドローム) (新潮文庫)



出版された当時はかなりの話題となった作品だし、今、この事件についてメディアが言及する際のコメントも、かなりの部分はこの作品に影響されているのではないか、と思われる節はあるのだが、個人的には、この本の被害者の描写はあまり好きではないし、一連の事件捜査や公判の進行に関する記述も、極めて一面的な当事者視点だけで書かれている感があり、ノンフィクションとしては、ちょっと微妙な部類に入る。

この本の著者が書かれた他の“ノンフィクション”作品も、いくつか読んだことはあるが、筆致が情緒的過ぎるが故に、伝えようとされている推論等の内容の説得性が、イマイチ乏しい・・・というのが、共通して受ける印象であり、本書も決してその例外ではない*1。特に「症候群」の方は、あまりにこじ付けが過ぎるだろう・・・と思う箇所がいくつもあった*2


だが、それでも、自分が本書をお勧めするのは、これが、文筆のプロの手にかかる「刑事弁護読本」としての性格を帯びている本だからだ。

本書の著者は、公開の法廷で行われた一審の公判期日を全て傍聴し、そこで繰り広げられるやり取りを克明に描いている。
さらに、それだけでなく、自らネパールに飛んで「証拠」を収集し、小菅に接見にも出向いてマイナリ被告人*3と直接コミュニケーションもとっている。

そして、そういった一つひとつのトピックが、雑誌に連載された当時の内容を維持したまま、時系列に沿って並べられ、それに伴う本書の著者の微妙な心境の変化も同時進行的に描かれている・・・。

恐らく著者とは近い関係にあるとはいえ、本件を実際に担当した弁護団も、本書の中では、法廷での役回りを演じる一登場人物に過ぎないから、法廷に出てこない部分、例えば、受任して以降、被告人質問、最終弁論に至るまでどのような弁護方針を立てて公判に臨んでいたのか、といった点までは、さすがにここには出てこない。

しかし、単なる「支援者」の枠を超えて、積極的な取材、情報収集活動を行った本書の著者の一挙一頭足と、それにより導かれる推論のアプローチは、「弁護人」という立場で現に行動しようと思っているものにとっても、何らかの示唆を与えてくれるのではないかと思う。


なお、自分は、本書において著者が繰り返し取り上げている「ゴビンダの犯行関与を否定する方向に働く間接事実」や公判の経過等を何度読んでも、マイナリ氏が“潔白”だ、という心証には至っていない。

また、当時の状況を考えれば、マイナリ氏の犯行関与を疑った捜査当局の発想が常軌を逸したもの、ということも、できないだろうと思う。

ただ、弁護側の主張する間接事実がいかに弱くても、被告人の弁解がいかに信用できなくても、検察官の側で合理的な疑いを入れる余地がない程度の立証ができなければ、有罪にすべきではない、というのが法の大原則のはずで、その観点からすれば、迷いながらも無罪を言い渡した地裁判決には理があったというべきだし、本書(「症候群」)での引用箇所に拠る限り、あたかも被告人供述の信用性が乏しいが故に有罪方向に引っ張ったかのようにも取れてしまう高裁判決の判断は、相応の批判を受けて然るべきだろう、と考えている。

おそらく、再審では新たな科学的証拠を中心に、当事者の主張が組み立てられていくだろうし、本書の中で著者が繰り返し挙げている間接事実のいくつかは、証拠を補強する材料として再構成され、再び日の目を見ることになるのだろうけど、ここに至るまでにあまりに時間がかかり過ぎているのもまた現実なわけで・・・。

無罪判決が出た後の、本書の著者のコメントにも注目したいところである。

*1:もちろん、その“情緒性”ゆえに、根強いファンの方はいるし、本書も大きな反響を呼んだのだろうけど。

*2:特に、高裁で有罪を言い渡した部総括判事や、再勾留請求を認めた高裁刑事部の合議体の一員だった判事への執拗な論評は、もはや“個人攻撃”の域に達しており、さすがにこれはやり過ぎだろう、と思った。裁判官としての判断の当否に問題があるからといって、直ちにそれをその裁判官個人の人格やバックグラウンドに結び付ける、というのは、思慮深いこととは言えないだろう。

*3:本書の中では専ら「ゴビンダ」の表記が使われているが、これは当時の報道もそうだった。なぜ、今になって「マイナリ」という表記になったのか、自分は寡聞にして知らない(笑)。

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