いつもなら、決勝戦の結果を耳にして「まだやってたの・・・?」という感覚に襲われることも稀ではなかった夏の高校野球だが、今年は、初戦で「22奪三振」という、とんでもない快投を演じてのけた2年生左腕(松井裕樹投手)が現れたがゆえに、いつもとは違った関心を持って、大会の行方を眺めることになった。
優勝候補の一角だった3回戦の浦添商業戦では、序盤、何としてもバットに当てようとする相手チームの戦略に遭って、毎回奪三振記録こそストップしたものの、ギアチェンジした終盤に一気に加速し、8回、9回と全てのアウトを三振でとってまた2桁奪三振を記録。
そして、準々決勝、ここ2年、押しも押されもせぬ甲子園の「主役」の座についている光星学院を相手に、またしても毎回奪三振、その数、実に15。そして、4試合で奪った三振の数は68(36イニング)。
試合の方は、土壇場の8回に集中打を浴びて0‐3。残り2試合で三振を積み重ねる機会を逸することになってしまったが、まるで漫画の主人公のようなこの怪腕ぶり。感嘆を通り越して、もはやあきれるほかなかった。
残念なことに、この松井選手の快投を、自分は一度も生中継で見ることができず、ニュース映像その他、結果を伝えるメディアを通じて断片的に見聞きすることしかできなかったのだが、もしテレビにかじりつく機会に恵まれていたら、あるいは、偶然、甲子園の地で、自分の眼だけで彼の投げる姿を見ることができていたら、どれだけの興奮に包まれたことだろう・・・と思う。
もちろん、まだ2年生だから、来年も・・・という期待もあるのだが、この世代のピッチャーは、ちょっとしたことでフォームのバランスを崩したりもするし、故障の危険性とも隣り合わせ。
古くは智弁和歌山の高塚投手の例もあるし、今年の夏も、昨夏から今春まで、エースとして活躍してきた作新学院のピッチャーがほとんど投げられない状態だと聞く。
それに、もし順調にこの1年を乗り切ったとしても、2年連続で代表校の座を勝ち取れるほど、激戦区神奈川は甘くないだろう。
ゆえに、今回の彼の輝きが、甲子園で見られる最初で最後、になる可能性は決して低くないわけで、そのシーンを自分がリアルタイムで見られなかったことも、あと18イニングあれば間違いなく達成できたであろう*1、一大会最多奪三振記録の更新を彼が果たせなかったことも、つくづく“もったいない”ことだったように思えてならない。
まぁもしかすると、自分が子供の頃から、既に「(元)野球選手」というよりは完全なるタレントだった坂東英二氏の記録が、半世紀を超えてもなお生き残っている、という奇跡の方が、守られるべきことなのかもしれないけれど・・・*2。