災害時のデフォルト・ルール。

いろいろとドラスチックな法律の施行日が重なっていた10月1日だが、日経紙法務面の特集は、「災害時帰宅問題」という、果たして法律問題なのかどうか・・・という内容だった*1

もちろん、問題自体はそれなりに切実で、東京都が2013年4月に施行する予定の「企業に従業員の一斉帰宅の抑制などを求める条例」を受けて企業側でどう対策を取るか、という話なのだが・・・。


都の条例には、“何をいまさら”感が強い。

ずっと以前から、国が啓発していた災害時対応の基本スタンスは、「地震が起きたら動くな」だったし、あの「3・11」の時も、もちろんそうだった。

だからこそ、あの日、公共交通機関は、早々と終日運休を決め、メディアはそれを早々に報じ、「無理やり帰宅しようとする人々による混乱」を防ぐはずだったのに、“動くな”マインドが全く浸透していなかった上に、首都圏の被害が比較的軽かったこともあって、街中は当局の想定を超えた大混乱。

皆、冷静になって、“一晩くらいは会社に泊まろうか”と思い始めた深夜前に、地下鉄を無理やり運転再開させて、局地的にはかえって混乱をもたらした東京都が、「帰宅抑制」を条例で定めるなんて、皮肉にもほどがある、と思ってしまう。

ちなみに、記事の中でも、弁護士のコメント付きで解説されているとおり、

「業務上の必要がない限り、社内待機の指示に従わない従業員を処分することは難しい」

というのは自明の理。

いかに条例で事業者を縛って、従業員用の備蓄品を用意させたとしても、社員個々人の意識が変わらない限り、空振りに終わる可能性が高い。

いつ余震が来るか分からない状況で、かつ、自分が今いる場所の安全が確保されているのであれば、二次的・三次的被害に巻き込まれるリスクが遠のくまでは、そこにとどまる方が無事生き延びられる可能性は高い。「家族のため」に下手に動いて命を落とすリスクを考えたら、たかだか一日二日、家族の顔が見られなくても、自分が冷静に生き残ることだけを考えるのが、本当の意味で「家族のため」になる。

ってことは、冷静に考えれば誰でも思い付くはずだが、あの日、そこまで頭を巡らせることができた人がどれだけいたのか? そして、再び、あの時と同じか、あるいはもっと激しい災害に直面した時、「3・11」の経験を踏まえて、冷静に行動できる人がどれだけいるのか? といえば、甚だ疑問なわけで*2、事業者が対応でバタバタさせられる割には、いざという時に実効性がない条例になってしまう、そんな予感もするところである。

なお、今回の記事では、あまり触れられていなかったが、事業者に社員を無理やり社内待機させたり、一般の方の退避場所として自社のオフィスを提供した場合、純粋な善意でなした無償の行為であっても、場所提供者の責任は当然に重くのしかかることになる。下手をすると、自社のオフィスの入ったビルが倒壊して、壊滅的な打撃を受けた状況でも、災害が去った後に、さらに重い賠償負担を負わされることにもなりかねない。

「3・11」のように、直接的なダメージが比較的軽微な場合はともかく、首都圏を直撃するような直下型地震が起きた時に、民間事業者にスペースを提供させようとする、という試みは、正直、功を奏しないのではないかと思う。

・・・ということで、条例の中身にしても、記事そのものの中身にしても、非常に突っ込みどころが多いものであった。


個人的には、本当の意味で「災害に強い」国になるためには、「異常時こそ、自分の身は自己責任で守る」というポリシーを、もっと徹底しないといけないんじゃないか、と思うところ。

もちろん、乳幼児や病者のように、自力では災いから逃れられない人々には、救いの手を差し伸べる必要があるとしても、大の大人のために、あれこれ策を講じようとするのは、方向性としてはどうなのかなぁ・・・と、複雑な思いに駆られているところである。

*1:日本経済新聞2012年10月1日付け朝刊・第15面。

*2:自分の場合、周囲がテンパればテンパるほど、気持ちが落ち着いて判断が冴える、という変な傾向があるので、3・11の時も、自分自身の身の置き方については、そんなに迷いはなかったのだけど・・・。

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