「元官僚」という肩書のうま味と重み。

「現役キャリア官僚」時代から実名ブログを開始して話題を振りまき、退職後も「元官僚」として地味ながらネット上で活躍している宇佐美典也氏、という人物がいるらしい。

自分がこの方の存在を知ったのは、“BLOGOS編集部”による↓の記事を読んだゆえ。
http://blogos.com/article/49085/

そして、この記事を読んだ第一印象では、“歳と経験の割には、まぁそこそこ地に足付いた話をしてるんじゃないかなぁ”と思ったこともあって、最近出版されたこの方の本を買ってみることにした。

30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと

30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと

で、読んでみての感想だが・・・


率直に言ってしまえば、少し期待しすぎたかな、という反省はある。
そもそも大の大人なのだから、一人称が「僕」っていうのも、ちょっと気になるところだ(苦笑)。

だが、その辺を差し引いても、一見論理的に組み立てられているように見える「『官僚』をめぐる一般論的批判への反論」の中に、若干上滑りしている箇所がいくつかあったのが気になった。

例えば、宇佐美氏は「キャリアとノンキャリアの違い」に言及しているくだり(第3章・77頁以下)では、「キャリア官僚制度は・・・管理職を育てる教育システムそのものでもある」という理由を挙げて、“職場でのキャリア教育”のエピソードなども交えつつ、「役割の違い」として、現状の運用を擁護する見解を示している(100〜110頁)。

しかし、「管理職の養成」と「専門人材の育成」という目的は理解できるとしても、なぜそれが、「キャリア」と「ノンキャリア」という厳格な「採用区分」の区別によって行われなければならないのか*1、そして、なぜそのような機能の違いがキャリアの最終段階で「ポストの上下」に反映されなければならないのか*2、という、ここで論じられるべき最大のキモについて考察された形跡がないように読めてしまう、というのは何ともいただけない。

「大卒」「高卒」の違いでカテゴリー分けができた時代ならともかく、ほとんどの就職者が四大卒の学歴を持っている今となれば、役所のように形式ばった“機能による採用&昇進基準の区別”を行っている会社は皆無といってよいだろうし*3、実質的にも入社後に本人の適性を見ながら、マネージャー的な仕事をする者と専門的な仕事をする者に振り分けたり、あるいは職種により採用区分を分けたうえで、職種間で大きな差が出ないように、昇進スピードを調整する、という会社の方が遥かに多いだろう。

一緒に入省して、同じような立場で机を並べていながら、2年目、3年目と時が経つうちに、「任される仕事」から「声のかけられ方」までが露骨に変わってくる、という状況が、本書の中では「教育システム」の問題として淡々と説明されているのだが、この辺のくだりは自分には非常に違和感があったし、霞ヶ関とは無縁の世界で生きている読者の方であれば、同様の感想を持たれる方も多かったのではなかろうか。

あと、これも同じ章に掲載されていて、ブログでも話題になったという「8年目の給与明細」だが(93頁)、この額、実は、自分の8年目の給料よりもだいぶ多い(苦笑)*4

もちろん、外資系コンサルとか金融機関、渉外事務所の弁護士など、一部の特殊な職業に就いている同世代の人間に比べれば、決して多いとは言えない金額ではあるのだろう。

だが、「東大時代の民間企業に就職した大半の同級生と比べるとかなり低い水準なのは間違いない」(93頁)とまで言い切ってしまうのはいかがなものか・・・*5

おそらく宇佐美氏本人には全く悪気はなく、ご自身の経験した世界の中での価値観に照らして、正直かつ謙虚に(そして彼なりの細心の注意を払って)、上記のような記述を活字にしたのだろうと思われるが、こういった“感覚のズレ”を目の当たりにした読者は、その後に続く「労働意欲云々」という部分にも説得力を感じられなくなってしまうことは明白なわけで・・・。


その他、ところどころに、“そうだよね”と思える部分がある反面、“浅いなぁ”“青いなぁ”と突っ込みたくなるようなところも入り混じっていて、まぁなんというか評価は微妙なものにならざるを得なかった*6


ちなみに、宇佐美氏は昭和56年生まれ、ということで、学校タームでいえばちょうど自分の一回り下くらい。そして、本によれば、彼が霞ヶ関界隈で働いた期間は、ちょうど8年程度。

自分自身の経験に照らしてもそうだが、組織に入ってそれくらいの間仕事をした人間(年齢にして30歳前後)というのは、仕事の流れを一通り覚え、やろうと思えば自分の力でプロジェクトひとつ二つは回せるくらいのスキルも身に着け、という言わば“ノリ始めた”時期である。

そして、この時期の人間は共通して、「上司の仕事のやり方」や、「上の世代の仕事の進め方」、「自分が所属する組織の在り方そのもの」に対して、大なり小なりの違和感を抱き、反発を覚えるものではないか、と自分は思っている*7

宇佐美氏にしても、まさにそういったタイミングで、ブログを公開し、本書を世に出し、そして、霞ヶ関を去った。

そんな彼の勇敢な行動を批判するつもりは毛頭ないのだが、全体的に何となく主張に“ユルさ”が残る本書を読んでいると、この中で書かれている「政治」や「官僚組織」に対する著者のいくつかの見解も、多くは、あと数年、中で仕事をしてちょっと違う立場から物事を見たら変わっていたんじゃないかな・・・と思わずにはいられないし、それゆえ、「8年」という決して長くはない経験だけで、彼がこの先「行政」を語るようなことを続けるのであれば、彼自身がブログで批判している「先輩OB」以上にタチが悪いことになってしまうような気もするところ。

筆者としては、“宇佐美氏が今年見せた勇気”それ自体には、一定の意義があると思うし、霞ヶ関の空気を吸った貴重な人材であるとも思うだけに、将来、彼がメディアに再登場することがあるとすれば、「元キャリア官僚」という肩書ではなく、新しい世界で地に足を付けて成功した実績を引っ提げて「日本の未来」を語ってほしいものだ、と心より願っている。

*1:しかもその区分は「1種」、「2種」といういかにも序列分けのような名称で分けられている。

*2:「専門人材」として育成される“ノンキャリ”も、最終段階では実務から少々距離を置いた管理職的ポジションにおかれることになる。そしてその地位は同年代のキャリアに比べるとずっと低い、という点がここでは看過されているように思える。

*3:もちろん、入社の時点で、ある程度、どういう育成をするか、というフラグは立っていることが多いだろうが、それとて絶対的なものではない。

*4:基本給だけ比べたら大差ないのかもしれないが、超過勤務手当で10万円超付いている、というのは、“労働の過酷さ”を考慮しても、羨ましい水準だと思う。普通の会社なら、仮にそれに相応する超過勤務を行ったとしても、そのまま残業代申請することなんて無理だから・・・(三六協定の上限などもあるから、8万円くらいで頭打ちになるパターンが多いのではないだろうか)。そもそも、どんなに仕事が貯まっていても、職場に泊まり込むなんてことはそうそう簡単には許されない、っていうのが普通の会社なんだと思うんだよね・・・(だから、仕事は必然的に持ち帰ることが多くなる)。

*5:自社の名誉のために言っておくと、「安月給の官僚」より低い月給でも、他の会社との比較の中では平均を上回っている。

*6:特に最後の章(第6章)なんかは、載せなくてもよかったんじゃないかなぁ・・・と思うのだけど、ここを書きたかった本人の気持ちも分からないではないので、あくまで脚注での感想表明にとどめておく。

*7:だからこそ、このタイミングに先行きに疑問を抱いて転職する人間も非常に多い。

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