不思議な巡りあわせ。

第89回箱根駅伝は、結局復路も日体大が、安定したレース運びを見せて、「30年ぶりの総合優勝」という快挙を成し遂げた。
特に7区以降は、主役の大学が目まぐるしく変わる区間賞争い*1を尻目に、全ての区間で2位をキープする、万全の走りだった。

持ちタイムだけ見れば、日体大の選手で10000mを28分台で走れる選手は、エントリー変更で9区に入った矢野選手(28分53秒25秒)ただ一人。他の選手は速くても29分24秒台、8区の高柳選手に至っては、29分52秒台、という、箱根に出てくる選手としては珍しいくらいのタイム*2

優勝候補最有力と目されていた駒沢大学には、28分台の選手が3人いたし*3、追撃する東洋大にも28分台の選手が2人、一番持ちタイムが悪い選手でも、日体大の2番手の選手と同レベルだったことを考えると、5区で付けられた差も、理論的には優にひっくり返せるはずだったのだが・・・。

結果的には、東洋大は山下りで20秒弱差を縮めただけで、それ以降の全ての区間で差を広げられてしまう・・・という悔しい2位。
駒沢大も、堂々の復路優勝こそ果たしたものの、7区、8区で逆に差を付けられてしまった、ということもあって、結局1分縮めただけの3位。

長丁場の大会だけに、後続のチームにとっては、“見えない相手を追いかける”難しさもあっただろう。

だが、それ以上に、「順位が人を作る」とでもいうような、日体大の4年生たち(特に7区、8区、10区)の堂々の走りぶりが、非常に印象に残る大会だった。

* * * *

ところで、予選会から出場したチームが優勝したのは、16年ぶり、ということで、さてその時優勝したのはどこだったかしら・・・?と思って調べてみたら、神奈川大学(1997年、第73回大会)だった。

大後栄治コーチの下で、1993年、18年ぶりに本選出場、その後順調に実績を積み重ね、「伏兵」として名前が上がり始めた矢先に、往路の4区で高嶋選手が疲労骨折して棄権・・・という悲劇に神奈川大が直面したのが1996年の第72回大会だった*4

しかし、翌年、予選会から勝ち上がったチームは、傑出したスター選手はいないながらも、全区間で安定した走りを見せて堂々の初優勝を果たす*5

そのあたりの経緯については、神奈川大学のHP(http://ekiden.kanagawa-u.ac.jp/old_contents/top/history/73th.html)や、Wikipediaの大後栄治氏の項(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%BE%8C%E6%A0%84%E6%B2%BB)に詳しいのだが、興味深いのは、この第73回大会が、

「往路は強風吹き荒れる悪条件で、設定タイムが白紙になる状況」

で行われた大会だった、ということである。

強風で、優勝候補と目された実力校の選手たちが戸惑う中、「『まずはシード権奪回』くらいの程よい期待感と、密かに雪辱の思いを胸に抱いた選手たち」が、普段以上の力を出し切って優勝を果たす・・・

文字面に落としてしまうと、ベタなサクセスストーリーになってしまうのだけれど、そういった“悲劇&喜劇の物語”が時を超えて繰り返されるところに、「箱根駅伝」というコンテンツの一番の面白さがあるのではないかなぁ、と思うところである。


ちなみに、不思議な巡りあわせといえば、今年の神奈川大は往路18位(完走したチーム中最下位)ながら、復路で6位、と久々に意地を見せた(通算では16位)。

また、長年守っていたシード校の地位を失った中央大学も、復路で8区の永井選手が公式区間賞をとった青山学院の選手のタイムを上回る快走を見せており、第72回大会の復路で意地を見せた神奈川大*6の姿を微かに彷彿させる*7

次の大会は、第90回の記念大会、ということで、出場校数も増えることが予想されるだけに*8、今大会で辛酸をなめたチームも*9、躍進の手応えをつかんだチームも、みな顔をそろえて覇権を競い合える展開になると、面白いのであるが・・・。

*1:7区は久々に神奈川大の名を天下に示した我那覇選手、8区は青山学院大・高橋選手、9区、10区は駒沢大の上野渉選手、後藤田選手が優勝候補の貫禄を示す。

*2:とはいえ、荒川土手の某市民向けハーフマラソン大会では、同じ大学の同僚選手とともにぶっちぎって優勝しているから、一般人の基準に照らせば遥かに「速い」選手であることは疑いないのだけれど。

*3:しかも、その他の29分台の選手のうち1人は山下りのスペシャリスト・千葉選手(今回も区間賞)。

*4:もっともこの大会では、当時、学生陸上界のスターだった山梨学院大の中村祐二選手のリタイアのインパクトが大きすぎて、神大の方はかすんでしまった感もあったのだが・・・。

*5:「予選会からの出場」といっても、あくまで棄権というアクシデントによるものだったし、この年度の神奈川大は、全日本大学駅伝でも優勝していたから、今大会の日体大ほどの意外感はなかったように記憶しているが、それでも“常連校”同士で覇権を競っていた大学駅伝の世界に一石を投じる結果だったのは確かで、インパクトは非常に大きかった。今につながる“新興大学の駅伝部創設ブーム”を引き起こしたきっかけの一つでもある。

*6:2名が区間賞を獲得し、復路2位、という素晴らしい結果。当時は、往路で棄権しても復路の記録は公式記録として残った。

*7:もっとも、復路の合計タイムは16位相当であり、往路も小田原中継所の時点で18番手を走行していたことを考えると、復活への道のりは容易ではないと思うが・・・。

*8:それゆえ、学連選抜チームも「1回休み」ということになるようだ。

*9:棄権した城西大、中大に、シード落ちを味わった山梨学院大國學院大、そして予選会で敗退を余儀なくされた東海大専修大亜細亜大といったチームも含めて・・・。

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