ホームページをめぐるささやかな著作権紛争が生みだした新たな規範。

昨年末、一年を振り返ろうと思ったら、「振り返るべきコンテンツがなかった」という悲惨な目にあったばかりなのだが、そんな昨年でも、1月の間は、こせこせと裁判例をアップしていた。

今年も、新しい気持ちで新年を迎えた(?)のを機に、三日坊主で終わるのを覚悟の上で、知財判例の紹介にチャレンジしてみることにしたい。

東京地判平成24年12月27日(H22(ワ)第47569号)*1

原告:A
被告:B

原告、被告いずれも個人で代理人も一人ずつ・・・という状況から大方察しが付くのだが、本件はサークル内部での実にひっそりとした争いである。

舞台となったのは「大道芸研究会」という団体で、原告は、昭和60年から「大道芸研究会」の会員で、かつ平成12年ころに、研究会のウェブサイトを開設し、管理していた者。
これに対し、被告は、現在もその会員、かつ「大道芸研究会」と題するウェブサイトを開設、管理している者である。

本件では原告が被告に対して、160万円+遅延損害金を請求しているのであるが、その請求原因事実は、

原告が開設していた『大道芸研究会』のウェブサイトの画面及びソースコードは原告を著作者とする著作物である、という前提の下で、被告がウェブサイト用の画面を作成し、現在開設している「大道芸研究会」のウェブサイトに掲載した行為が、同一性保持権侵害行為に該当し、仮にそうでないとしても一連の行為は一般不法行為を構成する

と至ってシンプルなもの。

原告が作成したウェブサイトの画面がどのようなものだったのか、「別紙」が省略されているため、完全に把握することはできないのだが、判決での認定を見ると、良くありがちな団体名称、連絡先や、関連するいくつかのアイコンを配置する、という単純なつくりだったようであり、しかも、掲載されていた写真は原告以外の会員が撮影したもの、背景画像等は、「フロントページエクスプレス」で用意されていたもの、ということで、元々、原告自身の創作、といえる部分は少ない、という状況であった。

しかも、判決で認定された事実によれば、本件の原告は古くからの「大道芸研究会」の会員であり、副会長まで務めていたが、平成21年〜22年ころ、研究会の運営をめぐって、他の会員と対立し、平成22年3月に退会した、ということで、まぁなんというか、背景にはいろいろとドロドロした人間模様もあるのかな、と容易に推察が付く事案だといえるだろう。

なので、結論、というか落としどころは、大方見えてしまうような事案なのだが、それでも、裁判所は、各争点について、比較的丁寧に判断を示している。

まず、著作権侵害の成否について(原告は、画面1から7までの各画面について著作権侵害を争っているが、結論を導くプロセスは、どれもほぼ同じである)。

「原告は,本件画面1の画面構成は,画面上中央に「大道芸研究会」と黒い太文字のタイトルを,タイトルの下に更新内容の掲載欄を,画面中央やや上,赤色の四角い枠内に大道芸研究会・事務局への連絡先を掲載した点,タイトルの背景は桃色で電話とFAX欄の背景は黄色である点,画面下中央部に大きく写真を貼っている点,背景に花柄模様の画像を使用している点において,原告の思想又は感情を創作的に表現したものであり,画面全体として創作性がある旨主張する。」
「そこで検討するに,著作権法が保護の対象とする「著作物」は,「思想又は感情を創作的に表現したもの」(同法2条1項1号)をいい,アイデアなど表現それ自体でないもの又はありふれた表現など表現上の創作性がないものには,同法による保護は及ばない。ところで,団体に関する各種の情報を掲載し,広報等の目的で開設された団体のウェブサイトのホームページ(ウェブページ)の画面構
成においては,(1)団体名を画面の上に太文字で配置すること,(2)各ページの掲載内容を示すタイトル欄をページごとに設けること,(3)各記載内容にタイトルを設けること,(4)タイトルを枠や図形の中に配置すること,(5)画面上に,各種の大きさの枠を設けてその中に,あるいは枠を設けずに,更新内容,団体の連絡先,団体の説明,団体の活動内容及び入会に関する情報等の団体のホームページとして必要な内容を掲載すること,(6)写真を中央に大きく掲載したり,小さめの写真複数枚を並べて掲載すること,(7)写真に近接して写真の説明等を配置すること,(8)画面内に他のページへのリンクの案内ボタンを複数並べて配列し,あるいは,単独で配置すること,(9)図柄の背景や単色の背景を使用すること,(10)文字・枠・背景に各種の色や柄を用いることは,いずれも一般的に行われていることであり(略),ありふれた表現であるといえる。」
「しかるところ,原告が本件画面1に表現上の創作性があることの根拠として挙げる上記諸点は,上記(1),(5),(6),(9)及び(10)のとおり,団体のウェブサイトのウェブページの画面構成としては,一般的なものであって,ありふれたものであり,表現上の創作性があるものと認めることはできない。また,原告が挙げる本件画面1の色合いの点については,これを認めるに足りる証拠はない(本件においては,モノクロの書証しか提出されていない。)。 」(10〜11頁)

「原告は,本件ソースコードは,別紙2−1記載のとおり,原告の思想又は感情を創作的に表現したものであり,全体として,原告を著作者とするプログラムの著作物(著作権法10条1項9号)に該当する旨主張する。」
「そこで検討するに,プログラムを著作権法上の著作物として保護するためには,プログラムの具体的記述に作成者の思想又は感情が創作的に表現され,その作成者の個性が表れていることが必要であると解される。しかるところ,本件ソースコードは,原告がフロントページエクスプレスを使用して本件各画面を作成するに伴ってそのソフトウェアの機能により自動的に生成されたHTMLソースコードであって,原告自らが本件ソースコードそれ自体を記述したものではないこと(原告本人,弁論の全趣旨)からすると,本件ソースコードの具体的記述に原告の思想又は感情が創作的に表現され,その個性が表れているものとは認められない。」(20頁)

まぁ、原告が主張している程度の要素を持って「著作権侵害」を主張されたのでは、市販のソフトを使ってウェブページを作ることなどできなくなってしまうので、画面について、一括して「表現上の創作性なし」とした結論は妥当だと思われる。

また、ソースコードについては、「自動的に生成されたソースコード」であることをもって、「原告の著作物ではない」とするのは、少々乱暴なような気もするのだが*2、画面について創作性が認められない以上、それに基づいて生成されたソースコードについて創作性が肯定される理由はないから、結論には全く異論はない。

一方、もう一つの争点である一般不法行為の成否についてはどうだったか。

原告の主張は、

(1)本件各画面及び本件ソースコードは,原告が多大な時間と労力を費やして作成したものであるから,原告は,本件各画面及び本件ソースコードの利用について法的保護に値する利益を有している,(2)被告が,本件各画面及び本件ソースコードをそのままコピーして,アップロードし,これを利用して被告各画面を作成し,被告ウェブサイトに掲載するに至った一連の行為は,他人の労力にただ乗りする行為であり,しかも,原告は,大道芸研究会で生じた内紛で対立関係にあった被告には原告のデータを一切使われたくないと強く思っていたことからすると,被告の上記一連の行為は,社会的に許容される限度を超えて原告の上記法的保護に値する利益を違法に侵害したものといえるから,原告に対する一般不法行為を構成する」(20-21頁)

ということで、特に(2)などは、本件の根深さを象徴するような主張になっていた。

確かに、本件では、被告が「本件ウェブサイトのウェブページから,本件各画面の画像データ及び本件ソースコードをそのままダウンロードして自己のパソコンに取り込んで,これらをアップロードして,被告ウェブサイトを開設し,その後,本件各画面及び本件ソースコードを利用して被告各画面を作成し,被告ウェブサイトに掲載した」という点に争いはないようであり、一種の「デッドコピー」と言える状況であるのは確かなのだが、だからといって、不法行為の成立を認めるような事例ではあるまい・・・ということで、裁判所は、原告がホームページを作成してから、被告がそれを使用するまでの経緯について、丹念に事実認定を行った上で、以下のような判断を示している。

「ア (一部略)著作権法は,著作物の利用について,一定の範囲の者に対し,一定の要件の下に独占的な権利を認めるとともに,その独占的な権利と国民の文化的生活の自由との調和を図る趣旨で,著作権の発生原因,内容,範囲,消滅原因等を定め,独占的な権利の及ぶ範囲,限界を明らかにしていることに照らすならば,同法所定の著作物に該当しないものの利用行為は,同法が規律の対象とする著作物の独占的な利用による利益とは異なる法的に保護された利益を侵害するなどの特段の事情がない限り,不法行為を構成するものではないと解するのが相当である(最高裁判所平成23年12月8日第一小法廷判決民集65巻9号3275頁参照)。」
「これを本件についてみるに,本件各画面及び本件ソースコードが原告を著作者とする著作物に該当しないことは前記1(1)及び(2)において判示したとおりであるところ,原告が主張する本件各画面及び本件ソースコードの利用についての利益は,著作権法が規律の対象とする独占的な利用の利益をいうものにほかならないから,原告が多大な時間と労力を費やして本件各画面及び本件ソースコードを作成したとしても,被告の上記一連の行為は,原告に対する不法行為を構成するものとみることはできないというべきである。」
「イ また,仮に原告が主張する本件各画面及び本件ソースコードの利用についての利益が法的保護に値する利益であると解し得るとしても,前記(1)の認定事実によれば,本件ウェブサイトは,大道芸研究会の活動等の情報を発信するための大道芸研究会のホームページとして開設され,原告が大道芸研究会の会員の会費等から管理費用を受領して管理していたのであるから,原告は,大道芸研究会の会員のために本件ウェブサイトを開設・管理していたものといえるものであり,原告が自己のパソコンの故障等により本件ウェブサイトのウェブページの更新ができない状況となった場合に,他の会員が本件ウェブサイトのウェブページについてその画面やソースコードを利用して大道芸研究会の活動等の情報を最新のものに更新することが社会的に許容される限度を超えるものとみることはできない。 そして,前記(1)認定の事実関係の下においては,被告が,平成22年1月31日に開催された大道芸研究会の1月の例会において被告が原告に代わって大道芸研究会のホームページの運営管理を担当するに至った経緯及び上記例会における原告の言動等から,同年2月1日に大道芸研究会のホームページを更新するに際し,本件ウェブサイトのウェブページを利用することが原告の意に反するものではないと考えたことは,被告が大道芸研究会の解散に関する議決において原告と異なる立場を採ったことを考慮してもなお,特段不合理であると認めることはできないし(なお,原告が,上記例会において,被告には本件ウェブサイトに係る原告のデータを一切使われたくないと強く思っていたことを表明した事実はうかがわれない。),その後,被告が,同月17日に,原告から直接電話で抗議を受けて,同日のうちに本件各画面中の文字のフォント,アイコン,背景画像や写真の配置等を被告各画面のとおり変更し,さらには,同月20日に被告ウェブサイトの画面構成及び内容を被告各画面のものから大幅に変更するに至った経緯に照らすならば,前記ア認定の被告の一連の行為が社会的に許容される限度を超える違法な行為であると認めることはできない。」 (24-26頁)

ここで興味深いのは、何と言っても、上記判旨の前半部分(ア)において、知的財産法と一般不法行為法の交錯領域に関し、北朝鮮映画著作権侵害事件*3最高裁判決を参照した(このタイプの事案にとっては)「新しい規範」を用いている、というところだろう*4

それまで、この種の“江戸の仇を長崎で・・・”的な「独自の法的保護に値する利益」に基づく請求については、ギャロップレーサー事件(最二小判平成16年2月13日)の

「物の無体物としての面の利用に関しては,商標法,著作権法不正競争防止法等の知的財産権関係の各法律が,一定の範囲の者に対し,一定の要件の下に排他的な使用権を付与し,その権利の保護を図っているが,その反面として,その使用権の付与が国民の経済活動や文化的活動の自由を過度に制約することのないようにするため,各法律は,それぞれの知的財産権の発生原因,内容,範囲,消滅原因等を定め,その排他的な使用権の及ぶ範囲,限界を明確にしている。」
「上記各法律の趣旨,目的にかんがみると,・・・物の無体物としての面の利用の一態様である・・・の使用につき,法令等の根拠もなく・・・に対し排他的な使用権等を認めることは相当ではなく,また,・・・の無断利用行為に関する不法行為の成否については,違法とされる行為の範囲,態様等が法令等により明確になっているとはいえない現時点において,これを肯定することはできないものというべきである。」

という規範により処理されることも多かったのだが*5、この判旨は、「知的財産権関係法令で規定されていない無体物の利用」については一切保護の余地を認めない、とも読めるもので、場合によっては、妥当な結論を導きにくい上に、いわゆる“額に汗”的な労力に基づく請求の当否を議論するには馴染みにくいものだったことは否めない。

これに対し、北朝鮮映画著作権事件の上記判旨は、「著作物に該当しないものの利用行為」について、「著作物の(独占的な)利用による利益とは異なる法的に保護された利益」*6を侵害するか否か、というメルクマールを一応立てた上で判断しているから*7、多少は柔軟な解決が可能になるし、原告側が主張する様々な「利益」を考慮対象とし得る、という点においても、有意義なものだといえるだろう。

そして、それゆえに、明らかに「無体物の利用」の側面とは直接的な関係がないところに問題の本質がある、本件のような事例においても、判決に引用されることになったのだと思われる*8

もちろん、厳密に言えば、件の北朝鮮映画著作権事件における「映画」が、「著作権法6条3号の著作物」に当たらない、として、カテゴリカルに著作権法の枠組みからはじき出されたものだったのに対し、本件で問題となっているウェブサイトの画面等は、「創作性がない」がゆえに著作物性を否定されているだけで、「著作物に該当しない」といっても、その内実は大きく異なる。

そして、著作権侵害事件における従来の裁判所のアプローチが、どちらかと言えば“係争物の著作物性を微かに認めた上で、類似性判断等で侵害を否定する”というものだったことを考えると、「著作物に該当しないものの利用行為」という最高裁判決の言い回しをそのまま使える場面というのも、どうしても限定されてしまうのかもしれない(本件のように、明らかに著作物性を否定できるようなものであれば、良いのだけれど・・・)。

ただ、これまで何となく歯切れが悪かったこの種の事例の判断基準として、「著作物の(独占的な)利用による利益とは異なる法的に保護された利益」かどうか、という判断要素が今後用いられていくことで、今後新たな議論の地平も開かれるのかなぁ・・・という期待も生まれるところである。


なお、東京地裁は、本件において、「ア」のところでいったん結論を出しつつ、さらに、「イ」、「ウ」で原告・被告(及び研究会)との間のこれまでの経緯を踏まえた“ダメ押し”的判断をして、請求棄却という結論を導いている。

これが、“当事者の納得感”に配慮してのことなのか、それとも、北朝鮮映画事件の規範を本件に用いることに一抹の不安を感じて、のことなのかは分からないが、認定された事実を基礎とする限りにおいては、妥当な判断だろうと思われるところ。


生々しい人間関係に端を発する(と思われる)本件のような事例において、「ア」のような理論的な説示をあえて行う必要があったのかどうか、は評価が分かれるところで、「イ」、「ウ」の説示だけでも、本件に対する判断としては十分だったのではないか?という意見もあるかもしれないが、個人的には、新しいチャレンジをした今回の地裁判決に、率直に賛意を表しておきたい。

*1:第46部・大鷹一郎裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20130107090126.pdf

*2:この点については、田村善之教授が、「コンピュータ自動生成物の著作者」というテーマで詳細に論じているが(『著作権法概説第2版』397頁以下(有斐閣、2001年)、その中では、翻訳や「ソース・コードのオブジェクト・コードへの翻訳」を例に挙げて「翻訳作業の対象となった原文やソース・コードなどが著作物である以上、生成されたものに関して誰も著作者としての権利を行使しえないということになるのではなく、元となった著作物の著作者が著作権なり著作者人格権を行使することができる」(399頁)と、「二次的著作物」として把握するアプローチを示されている。本件においても、ソースコード生成の元になった「画面作成」作業を原告が行ったのであれば、原告の二次的著作物、としてソースコード著作権侵害の成否を検討する余地があったように思われる。

*3:事例については、http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20111208/1323712744参照。

*4:これに先立ち、大阪地裁では、既に浮世絵本に関する大阪地判平成24年7月5日において、平成23年最判から着想を得たと思われる規範を用いて請求を棄却した事例があるが、本件判決ほど明確な規範化はされていない。

*5:大阪地判平成16年9月28日(浅井コレクション)、大阪地判平成17年7月12日(初動負荷理論)などにおいて、上記判旨を引用して原告側の請求が棄却されている。もちろん、ピンク・レディーパブリシティ権に係る最高裁判決(最一小判平成24年2月2日)における金築補足意見のように、パブリシティ権に関する各種裁判例においても、良く引用される判旨ではあるのだが、上記最判自体が請求棄却判決だった、ということもあり、既に権利性が認められている「(人の)パブリシティ権」の文脈ではなく、「(新たな)法的保護に値する利益」を退ける文脈において、上記判旨が多く活用されていたといえるだろう。

*6:ちなみに、最一小判平成23年12月8日の判旨は「著作物の利用による利益とは異なる・・・」となっており、「独占的な」というフレーズは、本判決がオリジナルで付加したものと思われる。

*7:もちろん「特段の事情」という表現からわかるように、あくまで極めて限られた例外として、しか認められないとは思われるが。

*8:当てはめ部分の結論が、「利用」の側面にのみ着目したあっさりとしたものになってしまっているのは、ちょっと残念な気もするのだが・・・。