岐路に立つ「強制起訴」制度

検察審査会の「起訴相当」議決に基づき、元明石警察署副署長が強制起訴されていた、明石歩道橋事故をめぐる業務上過失致死傷被告事件で、神戸地裁が「免訴」の判決を言い渡す、という異例の事態となった。

「奥田裁判長は判決で「元副署長に(事故の)予見可能性は認められない」として事実上無罪と判断。検察審査会の議決などは「違法とはいえない」としたが、10年4月の強制起訴時点で「公訴時効が完成しており、被告を免訴すべきだ」と結論付けた。(日本経済新聞2013年2月20日付け夕刊・第15面)

本件が、検察審査会法が改正された後、初めて「強制起訴」がなされた案件だった、ということ、そして、嫌疑の対象が警察官だった*1、ということで、訴追側としては、“絶対に負けられない戦”だったはずだが、報道されている内容を見る限りは、完膚なきまでの「敗北」といえる。

免訴」という結論自体は、「過失の共犯」が認められるかどうか、という、学理的論点に関わる問題でもあり、検察審査会でそこまで見通した上で判断すべきだった、というのは、酷に過ぎる面もあるだろう。

ただ、そもそも「単独の過失犯としても予見可能性が認められない」という事実関係の下で、起訴に踏み切ったのだとすれば、やはり、それは行きすぎた市民感覚だった、との評価を免れることはできないように思う*2

陸山会事件をはじめ、「強制起訴」に至った事案で、訴追側の指定弁護士がいずれも苦戦を強いられているのは、改めて繰り返すまでもない。

日経紙の21日付け朝刊に掲載された、

刑事裁判は道義的責任を問う場ではない。市民感覚とは別物で、法的責任を問う司法の原点にたち戻るべきだ。(無罪判決が相次ぐなど)現状の強制起訴制度は被告の負担が重い。証拠が乏しいなどの理由で検察が嫌疑不十分とした事件については、起訴する基準を明確化するなど、制度の見直しが必要だ。」(日本経済新聞2013年2月21日付朝刊・第43面)

という高井康行・元東京地検特捜部検事のコメントが重く響く今、「市民感覚」を地に落とさないためにも、一刻も早い制度の見直しが必要なのではないか・・・と思うところである。

*1:その意味で同じく弁護士が訴追側の立場となる付審判請求の事例との共通性がある。

*2:被告人となった元副署長は、「大手の小売会社に再就職したが、強制起訴後に退職を余儀なくされた」ということであり、あまりに強引な起訴判断をすると、国賠訴訟に晒される、というリスクも今後は念頭に置かれなければならないように思う。

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