“国民栄誉賞”フィーバーを眺めながら考えたこと。

5月5日は「こどもの日」ということで、おそらくは様々な思惑があったであろう状況の下、東京ドームで盛大に長嶋茂雄氏と松井秀喜氏の「国民栄誉賞表彰式」が行われたようである。

おかげで、夕方から夜にかけてのニュースは、「1000日計画」をはじめとする、両氏の“美しい師弟関係”のニュースほぼ一色だったし、ネット上でも好意的に取り上げる声が目立った*1

自分にしても、4月1日に初めてこの話を聞いた時の怒りに近い感情*2はだいぶ収まっていて、冷静に考えれば、長嶋茂雄氏は、少なくとも選手としては、時代を象徴するスターだった(はずだ)し*3松井秀喜氏にしても、米国での175本塁打、という記録は、この先海を渡る日本人がそうそう乗り越えられるようなものではないだろうから*4、とイラつくわが身を納得させようとしていたところはある。

「長嶋監督」が采配を振るっていた時の「巨人」というチームの無茶苦茶さを考えれば、あたかも、(松井選手を育てた、という点で)「監督」としての実績を評価するかのような報道ぶりにはさすがに閉口せざるを得ないが、それでも、当時、日本国民の多数を占める“巨人ファン”なる人種の多くが、長嶋監督の笑顔に癒されて(騙されて?)いて、幸せな気持ちで日々を過ごしていたことを考えれば*5、こういう予定調和も良いのかもな・・・と思うところでもあった*6

ただ、一夜明けて新聞を開くと、やはり、美辞麗句が並ぶスポーツ面、社会面の記事よりも、

長嶋茂雄松井秀喜国民栄誉賞受賞が決まってから、マスコミを含めた周辺の熱狂ぶりに、ずっと違和感を覚えていた。」

で始まる、ベテランライター(浜田昭八氏)のコラム*7の方がしっくり来るわけで・・・。


簡単にご紹介しておくと、浜田氏は、「難解ナリ『国民栄誉賞』」と題するこのコラムの中で、

「“野球的”に言うなら長嶋、松井に劣らぬ受賞候補者は何人もいる。」

と指摘した上で、

「同賞の受賞者は『記録より記憶』を、よりどころに決められると理解すべきなのか。そして、優れた記録は野球殿堂入りで顕彰される、と納得するほかないのか。」

と問いかけ、

「松井は巨人で10年、ヤンキースで7年プレーした。人気球団ならではの注目度が、受賞の後押しをしたことは否定できない。その一方で、偏った報道が国民栄誉賞に縁遠いヒーローをどれだけ生んだかと、自戒を込めて反省する」

とまで書かれている。

最後の点に関して言えば、新聞(特に日経)や各種スポーツ雑誌の報道は、(少なくとも長嶋監督や松井選手が“現役”で活躍されていたころは)それなりに中立的で、「巨人偏重」は当時のテレビメディアの専売特許だったと思うので、何もそこまで・・・という思いもあるのだが、その他の点については全く同感。

さらに言えば、浜田氏がコラムの中で多くの紙幅を割いて回想している“師弟愛”のエピソードにしても、他の一流選手とコーチ、監督の関係の中で、もっと効率的、効果的に才能を開花させた指導が行われた例は、いくらでもあっただろう*8、と思う。

名物記者・浜田氏をもってしても、様々な読者を意識したのか、コラムの最後では、

「ただ、松井にも日陰にいる時期があった。」
「その執念も国民に勇気と感動を与えたと解釈すると、素直に拍手できる。」

と締めくくられているのだが、「渡り歩いて苦労した」とはいえ、それが「3年、3球団」にとどまっている、という実績をどう評価するか、といえば難しいところで、松井選手の前後に海を渡った選手たちの中には、野茂投手を筆頭に、壮絶なプロ根性を見せ続けた選手が多いことも考えると*9、きれいにまとめ過ぎかなぁ・・・と(笑)*10


まぁ、ここは、今回の表彰式とそれをめぐるフィーバーを、真の球界の“先駆者”が「国民栄誉賞」を受賞するまでのある種の“前座”だと思うことにしよう、そして、早ければ来年にも聞こえてくるかもしれない海の向こうからの朗報(そしてそれを機とした「国民栄誉賞受賞」)を耳にする日まで、ひたすら待ち続けてみよう*11、と言って、前向きに考えるのが吉なのかもしれない。

*1:ついでに、安倍総理の「背番号」についても盛り上がっていたようだが・・・。

*2:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130401/1364843900

*3:自分が同時代に生きていないので、この辺は何とも言えないのだけど。

*4:先駆者としての功績と、当地での実績の両面において松井氏を数段上回るイチロー選手にしても、本塁打数だけは、現役の間に松井氏のそれを超えるのは難しいのではなかろうか。もちろん、バッターとしてのタイプが異なるのは承知の上だが。

*5:自分の身近なところにも「長嶋監督の姿に励まされて」苦しい闘病生活を乗り切った、という後輩が実際いたりしたので、(メディアが作り上げた部分もたぶんにあるとはいえ)“神話”は侮れない。

*6:グラウンドに現れた姿やスピーチ等から、長嶋氏ご自身がもう何年も病と闘い続けて来られたこともうかがえただけに、それに勇気づけられた方も多かったのではないかと思う。

*7:日本経済新聞2013年5月6日付け朝刊・第28面「選球眼」。

*8:そもそも、高校時代から“超高校級”のずば抜けた能力を発揮していた松井選手であれば、“1000日修行”などという回り道をしなくても、「4番」の座を射止めることはそう難しいことではなかっただろうし、入団したチームが巨人でなければ、もっと早い時期から「球界の4番」としての存在感を発揮できていたのではないかと思う。もちろん、そこで巨人がドラフトの籤を引き当て、長嶋監督の庇護の下で、段階を踏んでステップアップしていったことによって、松井選手の打撃成績は美しい上昇カーブを描き、プロ入り10年目、という技術的にも年齢的にもピークの時期に、メジャー随一の名門球団にFA移籍することができた(この点、清原選手のプロ人生と比較すると実に対照的な絵となってしまう)、という見方もあるのかもしれないが。

*9:表彰式が行われていたまさにその日に2000本安打を放った中村紀洋選手にしても、日・米・日とまたがるそのプロ人生は、まさに『執念』そのもので、夜のニュースで記念すべき一打の美しい軌跡を見て、自分は思わず涙しそうになってしまった・・・。

*10:むしろ、松井選手に関しては、「余力を残して引退した」という印象の方が強い。

*11:米国で12シーズンにわたって活躍した野茂英雄投手が、カンザスシティで現役を終えてからまもなく丸5年が経過することになる。となれば、来年巡ってくるのは何か、分かる人には分かるだろう。ストライキの悪夢からメジャーリーグを救ったトルネードを、心ある米国の記者たちは決して忘れていない、と信じたい。