2つの「節目」が交わり合った瞬間〜NBL1000号記念「鼎談」を読んで。

カレンダー上の連休が明けたばかりで、今日は若干余裕があったので、気になっていたNBLの1000号記念号に目を通すことができた。

表紙のデザインやカラートーンからして、“いつもとは違う”雰囲気を醸し出しているこの「1000号」だが、中身の方も想像以上の充実ぶり。

数年前の「編集部名義」のバイアス記事問題以来、何となく勢いがない&記事の質にも疑問が呈されることが多くなっていたNBLだが、そこはやはり1971年以来、41年余の歴史を積み重ねてきただけのことはある。

過去の掲載論文を振り返る企画一つとっても、“時代”の重みを強く感じさせるし*1、“名門・森綜合”ご出身の久保利英明弁護士、末吉亙弁護士、中村直人弁護士による豪華対談企画*2も、企業法務弁護士としての歴史を振り返りつつ、業界の“後輩”たちに、じわじわと伝わってくるような熱い「喝」を飛ばす名企画として、受け止めさせていただいた*3

一方で、本号では、この記念すべき「節目」に合わせるかのように、今まさに佳境を迎えつつある「債権法改正」をテーマとした、タイムリーな鼎談も組まれている*4

しかも、メンバーは、鎌田薫早大総長(法制審民法(債権関係)部会・部会長)、大村敦志東大教授(法制審民法(債権関係)部会・幹事)、内田貴法務省参与(法制審民法(債権関係)部会・委員)という、今まさに審議会で改正に向けた議論の中心にいる先生方。

もしかしたら、

「この時期にこのメンバーで対談を組んでどうするんだ。NBLならこのメンバーの中に企業実務家一人突っ込ませるくらいのことはしたらどうか?

と突っ込みたい気持ちで満載の読者の方も大勢いらっしゃるのかもしれない(自分も少なからずそう思う)。

だが、NBLという名門雑誌のこれまでで一番大きな節目に、同じく今まさに節目を迎えようとしている「債権法改正」がぶつかった、という奇蹟のような偶然を考えるならば、どうしても“シャンシャン”になりがちな“普通の”座談会を組むよりも、「債権法改正」というフェーズにおいては立場をほぼ同じくする3先生に存分に語っていただき、いつか来る1500号、2000号といった未来の読者に「あの時、改正推進論者の先生方が語っていたこと」への評価を委ねる方が企画としては面白い・・・

商事法務の編集者は、おそらくそう考えて、この企画を組んだのだろう、と自分は思っている(笑)。

とはいえ、この時期にこの企画、とくれば、さすがに全く触れないわけにもいかないと思うので、以下では、野暮を承知で、気になるポイントを何点か、取り上げてみることにしたい。

利害関係者への配慮が見えるコメント

日頃、審議会の議論に茶々を入れている側としては、この3先生が一体どんなことをお話しになるのだろうか、と戦々恐々で読み始めたのであるが、鼎談の出だしは、思いのほかスマートである。

鎌田部会長は、改正提案をめぐる一連の論争について、

「当初の、ある種の感情的な反発であったり、直感的な異質さに対する抵抗感のようなものから、今後の民法典はどのようなものであるべきかというところに向けての、実りのある議論へ徐々に移り変わり、その中でおおむねコンセンサスが形成できそうなものが中間試案に盛り込まれてきたと理解をしています。」
「ここまで積み重ねられた議論は、最後まで意見の一致をみない点も含めて、学界・実務界にとって大きな財産になっていくだろうと思いますし、現段階で、最終的な取りまとめに向けての共通の土俵づくりは十分にできたのではないかと思っています」(15頁)

と中間総括をされているし、内田参与も、「中間試案の制定に際して、異論もあるということをきちんと明記すべき」という意見が噴出したことを振り返りながら、

「かなり幅広い範囲の方々が実質的な議論にコミットしてくださっているということの一つの現れでもあるという感じがいたしました」(15頁)

と前向きにコメントしている。

さらに、大村教授は「民法に盛り込む事項」として「消費者取引」に関する規定を入れるべき、という主張を繰り返したうえで、

「たとえば消費者にかかわる規定として導入が考えられているものを冷静に検討するならば、産業界の方々から見ても、そのようなルールであれば実務に混乱は生じないと考えられるルールが多いのではないかと思います。ただそのような規定が民法に入ることが、過大なメッセージを与えるのではないかということを心配されているのではないかと思います。今後の議論では、誤ったメッセージを与えるようなことにならないような努力をすることも必要かと思います。」(17頁)

と、あくまでソフトランディングを目指す意向を示されている。

実務サイドから真摯に戦いを挑んでいる人々にとっては、こういったソフトな語り口に、かえって“すれ違い”感を抱いてしまうところもあるだろうが、この段階で「露骨な矛先」が実務家側に向けられなかったことで、“やれやれ”と胸をなでおろしている人も、決して少なくはないはずだ。

理論的探究心と実務側からのプレッシャーとの合間で

こうして緩やかに始まった鼎談だが、「債権法改正における比較法の考慮」(17頁〜)といったテーマに差し掛かるあたりから、少し様相が変わってくる。

まず、内田参与が、比較法資料を作成した若手研究者(非常勤調査員)へのねぎらいの言葉をかけつつ、

「概要付き版の中間試案をみますと、本文はもちろんですが、概要を見ても、比較法に言及した箇所は2ヶ所しかないのです。また、部会の審議の中でも、比較法や国際的な流れへの言及があまりないまま審議がなされてきたように思います。これは、日本の法学が比較法を非常に大きな特色として、ある意味で強みとして財産を積み上げてきたということからすると、やや異例な感じもする」(17頁)

と口火を切り、きれいにフォローしようとした鎌田部会長に反駁するかのように、大村教授が、

「部会やその他の場で、比較法や国際的な趨勢への言及について、ある種の自己規制のようなものがかかっていることには強い危惧を覚えます
私たちだけが外国のことを捨象して、自分たちはこう思うという立法をしていくということで本当によいのだろうかと感じます」(17頁、強調筆者(以下同じ))

とさらに燃料を投下。
そして、内田参与が「実務界と学界の溝の深さ」という話を持ち出しながら、

「学問的であるとか理論的であるとか、あるいはよく言われる言葉では学理的という言葉が、すべてマイナスのレッテルになっていて、私も講演では、学理的な理由ではありません、実務的な理由でこのような改正を提案しているのですということを強調する雰囲気になっていますが、これはあまり健全なことではないなとは思っていたのです」(18頁)

とつなぐ・・・*5

確かに、概要どころか「補足説明」にまで至っても、比較法的観点からの説明がなかなか出てこない、というのが、今回の債権法改正の特徴になってしまっているのは事実で、第二読会の部会資料に、相当なボリュームの比較法資料が付されていたことなどを考えれば、研究者としての矜持をお持ちの先生方が、それを生かし切れない歯痒さを感じておられるであろう、ということは、容易に推察できるところである。

そして、かくいう自分も、一応は法学徒の端くれだけに、諸々の理屈をすっ飛ばした“ベタベタな実務”ベースの主義主張には、正直辟易するところもあるし、時には“学理的な観点からの議論”も必要なのかもしれないなぁ・・・と思うことはある。

まぁ、先ほどの「比較法」の話で言うならば、これまでの議論の中で使われてきた「国際的な趨勢」の裏付け資料の選択に、特定の思想が反映されているのではないか?*6ということが審議の表裏で厳しく指摘され、そういった疑念を晴らすことができなかったゆえに、提案者側で“自主規制”することをやむなくされたところもあるように思われるため、上記の先生方の発言を、そのまま真に受けるのも、ちょっと違うような気がするのであるが・・・。

相変わらずだなぁ、と思ったところ。

さて、座談会の方は、先ほどご紹介した「比較法」の話を皮切りに、“シンガポールの素晴らしさ”や“EUの消費者保護水準の高さ”といった話を経て、よりヒートアップしていく。

そして、それが頂点に達したのが、今まさに論争の佳境にある「約款」に話題が移った場面である。

まず、内田参与が、中間試案に至るまでの「約款」をめぐる議論について振り返り*7、中間試案を「民法90条を使っての約款に対する現にある司法的なコントロールの透明化を高めるという、そういう趣旨の規律だけになっている」と定義した上で、

「国際的に見て、外からはどう見えるのかなというところは若干気にならないではないですね」(21頁)

と誘い水を向ける。

そして、これまで比較的冷静な発言が多かった鎌田部会長までもが、

「消費者保護の水準を決めるとか、約款に明確な法的根拠を与えるということは、むしろ外国では産業界が要求してきたのではないかという気がします。それが日本では逆転しているとすれば、とても不思議なことですね。」(21頁)

と追随し、大村教授が、

「法制審でいつも感じるのは、約款の根拠づけには問題はないと考えている方が多いということです。これも世代間のギャップの問題なのかもしれませんが、それは40年前以上前の議論だろうという感じがするのです。この30年間に教育を受けた裁判官の法廷に約款の基礎づけの問題がかかったときに、大丈夫だという保証は全然ないと思うのです。ですから、濫用的な条項についての最低限の公正さを確保することとセットにして、約款の拘束力を法的に明確にしておくということは、将来に向けて産業界にとっては非常に重要なことなのではないかと思います。」(22頁)

と、とどめを刺すような発言で応える、何とも美しいチームワーク。

現実には、産業界が猛烈に反対して約款ルールの導入を阻止した先例は、太平洋の向こう側にちゃんと存在するし、何かと引き合いに出されているEU域内にも、今回の中間試案で提案されているような、「あらゆる約款の拘束力を組入要件に依拠させる」という過激な立法を行っている国はほとんど存在しない(主要国で言えばドイツくらいだったはずだ)。

そして、「この30年間に教育を受けた裁判官」たちが多数を占める現代の法廷においても「約款の内容が当然に契約内容となる」ことを前提とした判決が数多く世に送り出されている*8

したがって、3先生の一連のご発言は、「学理的」と呼ぶことさえ憚られるような“単なるプロパガンダ”というほかないものなのであるが、既にあちこちで批判の火の手があがっているにもかかわらず、なおもこの記念すべきNBLの「鼎談」で、いつもの主張を繰り返される、という執念を目にしてしまうと、もはや“敵ながら(?)あっぱれ”というしかなくなってくる・・・*9

この後で触れられている「契約の趣旨」の話題(23頁以下)のように、

・実務家が「契約の趣旨」=「契約書の記載内容」だと勝手に誤解した。
  ↓
・誤解から上がった炎を鎮火させるために、内田参与らが、講演の機会ごとに、「契約書に書いてあることだけが『契約の趣旨』ではない」という説明を強調し、中間試案等にもその趣旨を反映した記載を行った。
  ↓
・そしたら今度は、「契約書に書かれていること以外の要素によって、様々な判断がなされうることになり、予測可能性が損なわれる」という批判が上がるようになってしまった*10

と、実務サイドの“誤解”に丁寧に付き合ったがゆえに、(提案者にとっては)気の毒な状況になってしまっている論点もあるくらいだから、現在の改正の動きに対して、一概に“学者が強引に進めている”といった類のネガティブな評価を下すべきではない、と自分は思っているのだが、こと「約款」に関しては、どうしてそこまで頑なに進めようとするのか・・・相も変わらず理解できないところであった。

約40年後の「鼎談」の価値は如何・・・?

結局、この座談会は、「ルールを作ることの意義」等にまで話が及んだうえで、内田参与の、

「最初に編集部からメンバーを示されたときに研究者が仲間内で話をしているという印象を与えてしまうのではないかということをおそれましたが、実際にはそうではない、非常に興味深いお話をおうかがいできたように思います。」(27頁)

というセリフで締めくくられている。

今まさに、債権法改正の大きな流れに対峙している実務側の人間としては、この16頁にもわたる「鼎談」の内容全てに称賛の拍手を送ることは到底できないのだが、それでも、ところどころで「なるほど」と思うところがあったのは事実。

おそらく、数年後には、何らかの形で民法の(大)改正がなされ、遅くとも10年後くらいには、新しい債権法の下での実務が動き出している、と思われるのだが、果たしてこの先41年後、「NBL2000号」が世に出る時代を生きている読者が、この「鼎談」を研究室の書庫の奥から引っ張り出して読んだとしたら*11、この3先生が語られている内容に対して、一体どのような感想を抱くのだろうか?

その時点における“新・債権法”の解釈に関する蓄積度合いだとか、その後の改正の頻度等にもよるだろうけど、「1000号」の時代を生きている実務家としては、いい意味でも悪い意味でも現在の債権法改正をめぐる議論の動向を色濃く反映しているこの「鼎談」が、41年後も何らかの価値を持つものであってほしい、と願うのみである。

*1:個人的には、白石忠志教授のコメント(38〜40頁)に感銘を受けた(紹介されていた連載記事をかつて自分が熱心に読みふけっていたゆえの懐かしさもその一因ではあるが)。また、知的財産法分野の「この論文」として、松田政行弁護士が田村善之教授のBBS事件最高裁判決の評釈を紹介されていた、というのも、印象的であった(これも自分がかつて読んだ論文だが、当時は十分に消化しきれなかった記憶がある。機会があればもう一度読み返してみたい。

*2:「企業法務弁護士の矜持−今日までそして明日から」NBL1000号64頁。

*3:他にも、長年連載を担当されていた(いや、まだ「休止中」ということで、継続中というステータスのようである)野口恵三弁護士へのインタビューが終盤に組まれていたり・・・と、読みどころ満載。

*4:民法がつなげる実務と理論」NBL1000号12頁。

*5:最終的には「最近は状況が変わっている」と、まとめてはおられるが・・・。

*6:要するに、「自分がこうしたい」という主張の根拠とするために、恣意的に比較法資料が引用されているのではないか?、ということ。

*7:内田参与は、これまでの審議で「経済界の強い反発」があったことに言及した上で「結局、消費者を保護する、あるいは弱者を保護するという意味での約款規制についてのコンセンサスは形成できませんでした」と述べられており(21頁)。あたかも経済界の反発だけが今回の中間試案の中身につながったかのようにまとめておられるが、「弱者保護」の視点から約款規制を行うことへの反対論は、一部の弁護士会等からも出されていたものであり、「経済界」だけを引き合いに出すのはいかがなものかと思う。

*8:それゆえ、中間試案の補足説明においても、約款ルールを設ける必要性を裏付ける根拠として、マイナーかつ古い(そして事例として一般化することができるとは到底言えない)地裁の裁判例を、倉庫の奥から引っ張り出すことしかできない。

*9:そもそも「改正自体に反対」というムード一色だった当初の実務界の空気を、「各論レベルで議論しよう」というところまで持ってきた先生方だけに、この程度のプロパガンダは苦にもならないのかもしれないが、それにしても・・・と思う。

*10:現在でも、少なくとも日本法に基づく契約であれば、トラブルが生じた場合の交渉や裁判上の解決の場面では、契約書に記載されていない様々な要素を取り込んだ主張がなされ、判断が下されているので、個人的にはこの批判も、決して的を射たものではなく、広い意味での“誤解”だと思っている。

*11:「いや、その頃はすべての出版物のアーカイブは電子化されているはずだ」等々の突っ込みはここではなしで・・・。

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