今年に入ってから新聞の見出しを賑わすことが多い「職務発明」問題だが、遂にここまで来たか・・・というニュースが報じられた。
「政府は7日、知的財産政策に関する基本方針を閣議決定した。企業の研究者らの「職務発明」に関して、企業が訴訟で高額の支払いを迫られるリスクを減らす制度に見直す方向性を打ち出した。現在は出願時から従業員が保有する特許権を(1)出願時から企業が保有する(2)帰属や対価について従業員と企業の事前の契約で決める――どちらかに改めるよう求めている。」(日本経済新聞2013年6月7日付夕刊・第2面)
この件に関しては、内閣府の知的財産戦略本部が「知財政策ビジョン」をめぐる議論の中で積極的に取り上げており、自分のその辺の動きを眺めながら、ところどころで当ブログでも言及してきた*1。
ただ、こちらの「知財政策ビジョン」では、必ずしも方向性を決定づけるような話にはなっておらず、パブコメを経て7日付けで公表された完成版(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/vision2013.pdf)においても、
・我が国の職務発明制度について、企業のグローバル活動を阻害しないような在り方について、国内外の運用状況に関する分析結果や、産業構造や労働環境が大きく変化している状況も踏まえつつ、以下のような観点から整理・検討し、例えば、法人帰属や使用者と従業者などとの契約に委ねるなど、産業競争力に資する措置を講じる。(経済産業省)
- 発明者に対する支払いの予見性を高める観点
- 発明者への支払いが発明の譲渡に対する対価と考えるべきか、追加的な報酬と考えるべきかという観点
- 従業者の報酬については一般的には労働法で規定されているところ、発明の対価に関しては職務発明規定として特許法で規定されていることから、労働法の視点からも職務発明制度について整理する観点
- グローバルな制度調和の観点
- 発明者にとって魅力ある制度・環境の提供という観点
と、まだ論点を摘示するにとどまっている。
これに対し、夕刊に掲載された閣議決定(「知的財産政策に関する基本方針」)*2では、
「現在発明者帰属となっている職務発明制度について抜本的な見直しを図り、例えば、法人帰属又は使用者と従業者との契約に委ねるなど、産業競争力強化に資する措置を講ずることとする。」
とまで書かれており、これはかなり踏み込んだな・・・という印象である。
元々、そんなに政治家が好むテーマ、というわけでもないこの話題で、ここまで盛り上がってしまっているのは、一部の“評論家”が先走っているのか、それとも、産業界に誰か“振付師”がいるのかなのか・・・
閣議決定の内容に関しては、他にも、本当に知財の実務を分かっている人間(含む企業人)なら、「またこれかよ」と閉口したくなるようなメニューが混ざっており、何ともきな臭い雰囲気ではある*3。
もっとも、「法人帰属」というキーワードこそ、ドラスティックに聞こえるものの、改正のレベルが、単に発明の帰属を「発明者」から「使用者」に変えるだけで、相当対価の支払請求権についてはそのまま残す、という趣旨のものにとどまるのであれば、現在の実務にさほど大きな変化をもたらすものではない、という見方もできるところである*4。
また、「契約」構成も同様で、現在(平成16年改正後)の特許法35条の下でも、使用者と発明社員の間に「契約」がきちんと締結されていれば、それが尊重され、35条5項の出番が生じることは考えにくいだろうから*5、現在の提案は「制度を変えて産業界に華を持たせる」ように見えて、実質は何を変えようとしているものでもない、という評価は十分あり得るところだと思う。
だからといって、自分が、上記のような動きを支持することは決してないのだけれど・・・(笑)。
これまでのエントリーでも書き続けているように、当時の世の中の様々な動きを踏まえて行われた平成16年改正には、十分な「大義」があったはずで、その効果の検証も十分になされないまま、ルールをひっくり返そうとする発想はあまりに強引だと言わざるを得ないし、職務発明制度の存在が我が国の産業競争力を損ねている、といえるような証左も何一つ存在しない*6。
むしろ、多くの企業では、現在の特許法35条の下で、発明を行った社員に対して特許により得られた利益を還元し、それをいかに更なる発明に向けたインセンティブにつなげていくか、というところに知恵を絞ったルール作りを行っているし、実績補償を行う過程等を通じて、知財部門が自社の特許の活用状況を改めて検証することで、新たな特許出願戦略のヒントを得ることも多い。
特に、技術開発や特許を取得することに対する社員のモチベーションが低い業界や企業では、発明者補償を開発部門の社員にぶら下げる一種の“人参”として活用している実態もあったりする。
現在提案されている程度では、実務はそんなに変わらないかもしれないが、「発明者帰属が法人帰属になる」という事実が、世の研究者、開発者たちに誤ったメッセージを与えない、という保証はないわけで、現在でもそれなりにうまく回っている制度に手を付けることには慎重であるべきだと自分は思っている。
ちなみに、職務発明に関して理論的に優れた分析を行った名著として、自分はかつて↓を愛読していたし、今でもこの本の魅力は色褪せていない。
- 作者: 田村善之,山本敬三
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この中で、田村教授は、「発明者に権利が原始的に帰属し、使用者に承継される」という現在の特許法35条の構造について、以下のような説明を試みられている。
「特許法35条1項、2項についていえば、法は最終的な落としどころとして従業者に特許を受ける権利が帰属することを妥当だと考えているわけではなく、ただ、使用者に職務発明に関する規程を設けるよう促すために、デフォルト・ルールズとして、規程を置かないと使用者に不利になると定めている側面もあると考えられる。」
「もちろん、職務発明に関する特許を受ける権利の帰属に関しては、使用者は規程を設ければ自己に承継するよう定めることができるとされているのだから、それ以上に帰属に関する情報の開示を促して紛争を防止する必要性に乏しい。したがって、ここで、使用者に規程の制定を促す趣旨は、帰属に関する情報ではなく、相当の対価の金額の算定に関する情報の開示を促すところにあると解さざるを得ないだろう。」(田村善之=山本敬三編『職務発明』8頁(有斐閣、2005年)
後半の微妙な書きぶりからも分かるように、田村教授ご自身は、「特許法35条の定めかた」に対してむしろ懐疑的なスタンスだったようだし(前掲・12頁注21)も参照)、それゆえ平成16年改正法についても、35条4項の意義を評価した上で、「使用者の定めた対価の基準が裁判所の判断に影響する必要がある」(13頁・脚注23))といったコメントを残されていたりもするのだが、それでも上記のような説明は、先述した企業の現実の対応とも合致しているように思われ、十分に納得しうるところである。
また、同じ本の最終章では。井関涼子教授が、「米国における従業者発明」について州法改正の動き等も概観しながら、「すべて契約で決めてしまう」という印象が強い米国においても、「従業者の権利強化のための連邦法改正を支持する動きがあった」といったことなどを紹介しており(前掲・88頁等)、我が国の現状の複雑な状況に鑑みて、改めて読み直す余地はあるように思う。
・・・ということで、政治的な観点から「新しい制度」について語るのは自由だとしても、もう少し実務面からも理論面からも比較法的側面からもロジックをしっかり整えてくれないかなぁ・・・というのが、今の自分の率直な思いである。
*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130304/1362506506。http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130527/1371404833も参照。
*2:http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/pdf/kihonhousin_130607.pdf
*3:そもそも「グローバル」なんてキーワードが出てきた時点で、その施策にはほとんど中身がないことを証明しているようなものだ。
*4:特許法で言えば、35条3項がスタートライン、ということになろうが、今でも35条1項、2項がシビアに争われる機会は決して多くなく、実質的には3項がスタート地点になっている、というのが実態だろう。
*5:まだ実際に適用された事例がないため、ここまで断言しづらいところはあるが、少なくとも平成16年改正当時の立法担当者意思を参酌すれば、「合意」に基づいて定められた対価支払基準に裁判所が頻繁に介入することは想定されていない、というべきだと思う。
*6:「知財政策ビジョン」の中でも紹介されているとおり、そもそも発明を行った社員に対して何ら対価を支払うことなく、使用者がその成果を独占できる、などという法制度を採用している国はほぼ皆無に等しいのであり、我が国の法制度が他国に比べて特殊だ、と考えるのは、誤った発想だと思う。