「日本がドーハでイラクに勝った」ことの意味。

つい一週間前、日本代表の試合ぶりに軽い失望を味わったばかりだったのだが*1、11日深夜キックオフの最終予選のイラク戦はなかなかの試合だった。

・・・といっても、本田圭佑選手をベンチで温存する中、トップ下に入った香川真司選手は今一つ機能しなかったようで、清武選手の奮闘もむなしく、敵陣でフラストレーションがたまる展開。

しかも、相手の背番号10(ユニス・マフマード)を筆頭に、負けたら敗退が決まるイラクの選手たちも必死の躍動を見せ、日本陣内でヒヤリ、とさせられるシーンもたびたび出現した。

いくらアウェーでの戦い、しかもコンフェデを控えた“消化試合”とはいえ、これで相手のペースに嵌ったまま星を落とすようなことになれば、この先、1年後に向けても暗雲が立ち込めたことだろう。

だが、長谷部選手を出場停止で欠き、最終ラインも何人か入れ替わっている・・・という状況を感じさせないくらい、この日の守備は最後の最後で安定していた(特に伊野波選手は、ここぞとばかりに力をアピールできていたんじゃないかと思う)。

そして、“押され気味”な感も強かった展開の中で、後半の最終盤に一気のカウンター。
いつもは後方でバランスを保っている遠藤選手が、お手本のような攻め上がりで数的優位を作り、岡崎選手との見事なパス交換で、勝負を決する「1点」を奪い取る・・・。

決して格好の良い試合ではなかったが、攻撃陣も守備陣もそれぞれの役割をしっかり果たして試合をコントロールし、最後に結果をきちんと出した、という点は評価されるべきだろう。
少なくとも、オーストラリア戦を大きく上回る評価をしてよい試合だったことは間違いない。


「悲劇」といっても、今の若い代表サポにとっては(そしてピッチ上の選手たちの多くにとっても)、もはや歴史上の出来事でしかないのだろうが、(テレビを通じてとはいえ)多感な時期にあれを“目撃”してしまった者としては、「ドーハ」という地名は特別な意味を持つわけで、そこで勝つ、しかも、イラク相手に試合終了間際にトドメの一点を突き刺す・・・というのは、冷静に考えれば考えるほど、象徴的な出来事だと思う。

あれから20年、という歳月は、予選の方式とか、アジアからのW杯出場チームの数だけでなく、日本のサッカーの質そのものを変え、世界のフットボールシーンの中での日本の地位も変えてしまった。

短期決戦のセントラル方式の予選で、初戦から最後のイラク戦まで全ての試合に、替えの利かないメンバー*2を全力で投入し続けなければならなかった(そしてそれゆえに最後のイラク戦の時には、1点や2点取ったくらいでは、到底逃げ切れないほど全てが破綻していた)「悲劇」の時代とは異なり、今は、レギュラー選手が欠けても代わりの選手で補える程度の厚みはある。

香川選手がイマイチ冴えない件にしても、

「一流のクラブで発揮している力をなぜナショナルチームで発揮できないのか?」

などという、かつては欧州、南米の名門国にしか許されなかったであろう話を、日本でできるようになった、と考えれば、そんなに悲観すべき話ではないような気がしていて・・。


ドーハの呪縛からも解放された今、きっとこの先、日本代表チームが更なる一歩を踏み出すことを期待しても、おそらくバチは当たらないだろう。
そして、これから先、「世界ではよく聞く話だが日本では浸透していない」と言われていた類の出来事を新たに見聞きするたびに、“違い”に感慨を抱きながら、たっぷり味わうことになるのだろうなぁ・・・そう思うのである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130605/1370674315

*2:左サイドの都並選手が1人負傷した、というだけで、守備体系の大幅な見直しを迫られるほど当時の日本代表の選手層は薄かった。スーパーサブ、と言っても中山選手を除けば、交代で流れを変えられるような選手はいなかった。

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