毎年のこととはいえ、“甲子園”の話題が世の中を賑わせるようになると、今年はどんな話題が飛び出すのだろう・・・といった高揚感でワクワクしてくる方は多いことだろう。
最近では、ほとんど「サッカー専門誌」と見まがうような構成になっているNumber誌も、さすがに今週号では、星稜高校時代の松井秀喜選手を表紙に飾り、ムードに乗っかろう、という大人の事情(笑)を前面に出している。
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 8/22号 [雑誌]
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/08/08
- メディア: 雑誌
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個人的には、この号のメイン記事である松井秀喜氏のスペシャルインタビュー(文・鷲田康「松井秀喜『あの夏があったから』Number834号16頁)の中で、明徳義塾戦の「5敬遠」について、
「(メジャーでも)試合展開の中での敬遠はあります。だから敬遠されたからって嫌な気持ちになったことはない。あの5敬遠だって、最後まで歩かされても、だから怒りは湧かなかったんだと思います。」(18頁)
「山田太郎が同じように5打席連続敬遠されて、明訓は勝ちましたからね。勝てば別になんてことなかったんです。」(19頁)
「周りの方が熱くなっていましたけど、負けた理由は、僕が敬遠されたからではないと思います。ストライクが来たからといって、僕が打てたとは限らないんですから」(19頁)
というコメントがされていたのが非常に印象的だったし、更にそれに続いて、
「あの敬遠がその後の20年間のプロ野球生活の中で、どれだけ僕にエネルギーを与えてくれたかっていうことを考えると、とてつもないんです。あそこで5回敬遠されたバッターということを、自分はどこかで証明しなくちゃいけないと思っていた。(中略)僕自身が、やっぱり日本中の野球ファンの人に『松井だったらされても仕方ないな』って思われる選手にならなくちゃいけないってね。だからそういう意味では、僕個人としては非常に感謝してるんです。」(19頁)
というコメントが出てきたことで、“やっぱり松井秀喜選手は一流のスポーツ選手だったんだなぁ”という思いを新たにしたところはある。
そして、最後のコメントなどは、当時非難の嵐に晒された明徳義塾関係者にとっても、貴重な福音になったのではなかろうか。
松井選手の引退の時のエントリー(の注)にも書いたとおり*1、自分は、当時、明徳義塾側に向けられていた「高校生らしく堂々と勝負しろ」的な言説には凄く違和感があって、一生にそう何度とない、負けたら今のチームの仲間と試合をすることはできない、という状況で「打たれてもいいから堂々と勝負したい」なんて思ってる高校球児がいたら、そいつの方がチームスポーツの一員としてはどうなんだよ・・・と思っていた側の人間だから*2、↑のような清々しいセリフを聞くと、すごく嬉しくなる*3。
誰だって、最終的な大目標に辿り着く前に負けるのは嫌なのだ。
そして、明らかに力の差がある相手に負けないためには、ルールで認められた範囲内で、考えられる限りの手立てを用いることが許されるべきだし、見た目は格好悪くても、そうすることは決して恥ずかしいことではない、ということが、“被害者”の視点からも語られたことの意味は大きかったのではないかと思う*4。
もちろん「負けたくない」「甲子園の舞台に立ち続けたい」という思いだけで、高校球児に野球をさせることが良いことなのか? ということは、この前の号(Number833号)で取り上げられた「甲子園の球数制限問題」に関する記事を読むといろいろと考えさせられるところで、
「高校時代は、確かに甲子園で優勝を目指していた。でもそれ以上に、プロ野球選手になってエースになるという目標を当時から描いていた。だから、身体もメンタルも学生野球で燃え尽きるという選択肢は頭になかった」(10頁)
と語って、自分の意思で大会後のノースロー調整を行ったり、練習の加減をセーブした、という桑田真澄投手のその後の人生と、
「高校球児にとって、全ては『甲子園』という舞台のためにある。だから、先のことを考えて戦っている高校生なんてほとんどいないと思うんですよ。」
「私自身、確かに故障も有りましたが、監督との信頼関係もあり、そういう気持ちで投げていました」
と語る大野倫氏のその後の野球人生を比較した時、純粋な“思い”を誰かがコントロールしなければいけないときもあるのかな・・・と思ったりもするのだけれど*5。
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 8/8号 [雑誌]
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/07/25
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*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20121228/1356896881
*2:もちろん、当時は超少数派で、先述のフレーズを口にしただけで冷たい視線を浴びせられたものだが(苦笑)、少年スポーツの世界で一番を目指して競り合ってきた者として、そこは譲れないところでもあった。「正々堂々とした勝負」を強いるような言説を吐いて世論を煽った論者たちは、真剣勝負とは無縁の世界で高みの見物をしている傍観者に過ぎず、そういう輩には、目標に向かって必死に頑張ろうとしている人間の気持ちなど理解できるはずもない、と、当時いろんなものと戦っていた(つもりだった(苦笑))自分は思ったものだった。
*3:もちろん、あれから、20年という長い歳月が流れたことで、松井氏の中で思い出を純化して語れるようになったところもあるのかもしれないが、自分は、当時から松井選手は同じような感情を抱いていたのだ、と信じたい。
*4:なお、この号には、91〜92年春の甲子園で、松井秀喜選手に勝負を挑んで痛恨の一発を浴びた元球児たちのインタビュー記事も載っているが、もちろん彼らとて「高校生らしい(無謀な)勝負」を挑んで打たれたわけではない、ということが、記事を読めば良く分かる。
*5:大野氏自身も、ルールとして「球数制限」を導入することは否定していないし、大会期間中の休養日を増やす、といった対応についても肯定的に評価している。