「あまちゃん」を見たくなる理由。

春先、「『じぇじぇじぇ』が今年の流行語大賞で決まり」と日経の春秋子が書いた時は、「一時の流行に乗りやがって・・・」という冷笑の声すら聞こえてきたものだが、あれから1四半期ほど経ち、当のドラマの盛り上がりは、「さすが日経。あれは素晴らしい慧眼だった!」と心にもない称賛をせざるを得ないレベルにまで達しつつある。

近頃は、大衆向けの居酒屋に行くと、大体どこか一つ、二つのグループから「じぇじぇじぇ」という叫び声が聞こえてくるし、カラオケに行っても、同じフロアで「潮騒のメモリー」を歌っている連中が必ずいる。
スーパーの特売チラシには、「今話題の・・・」というフレーズとともに、三陸産の魚介類が掲げられ、デパートに行くとなぜか「あまちゃん展」のパネル展示。
そして、毎日放送が終わるたびにTwitter上で流れる大量のツイート、リツイート・・・。

これだけ都会で盛り上がっていれば、ドラマの舞台となったエリアへの経済効果も推して知るべし、というところで、既にいろいろと報道も出ているところである*1

元々復興支援ムードが根強く残っている中で、「北三陸の田舎街」というピンポイントの舞台設定だったから、旅行代理店もターゲットを設定しやすい。
開発され尽くしたベタな観光地とは違って、未知数なところも多いエリアだけに、マニアックな旅人の好奇心もくすぐる。

この種の「経済効果」の数字を、額面どおり受け取るのはどうかと思うが、それでも、この夏、久慈まで足を運んでみた、とか、そこまでいかなくても、北三陸発の物産を意識的に消費した、という人は、結構多かったのではないだろうか。


かくいう自分にも、この夏は、ちょっとしたブームが来ている。

元々、朝がすこぶる苦手で、仕事に行くギリギリまで寝てるか、起きていてもボンヤリしていることが多い自分の場合、朝の8時台に主体的にテレビをつけて、毎日ドラマのストーリーを追うなんてことは、到底無理だったから(苦笑)、昼間テレビが見られない生活になってからかれこれもう20年近く、「朝ドラ」なんてものは、まともに見ていなかった*2

今回も、放送開始直後から話題になっていたのは知っていたが、本物の「じぇじぇじぇ」を見たのは、GWに入ってからくらいだったと思うし*3、その時も、毎朝見続けよう、とまでは思わなかったような気がする。

それが一変したのは、6月も終わりに差し掛かろうとする頃にたまたま見た、天野春子の80年代の回想シーンがあまりにツボだったから(笑)*4
で、何となく気になっているうちに、土曜日に5日分まとめて再放送を見られることに気づき*5、さらに、ここに来てダイジェスト版を一気に初回分から見て・・・ということで、ブームは最高潮(笑)。

最近は、職場の会話でのネタバレが嫌で、朝7時半からBSプレミアム、が定番になりつつある(やればできる・・・)。

あらすじを雑に説明すれば、

「都会育ちの地味なヒロインが、田舎で周りの大人たちの人情に支えられて成長を遂げ、さらに都会に出て、失敗を繰り返しながらたくましく成長していく」

という、朝ドラの鉄板的な面白くもなんともないストーリーになってしまうところを*6、何週にもわたって細かいところに伏線を張り巡らせ、回想シーンも上手に使いながら、“謎解き感覚”で視聴者を惹き付ける*7

さらに、個性的な脇役陣が劇中の登場人物一人ひとりに命を吹き込み、視聴者にそれぞれのサイドストーリーへの想像力をかき立てさせることで、毎週毎話ごとに、ベタなストーリーでは包含しきれないような“ヤマ場”を作る*8

ストーリ―全体を見れば、リアリティのない“おとぎ話”なのに、些細な日常の光景には、どこかで見たようなリアリティがある。
ドタバタ喜劇モード全開のようでいて、“泣かせる”ツボは絶対に外さない。

予定調和的なところに辿り着くまでに、一つや二つならず“谷”を用意し、それを人情喜劇独特の明るさと、ドロドロした欲を感じさせないヒロインの自然体なキャラ設定で克服させることで、主人公が成長を遂げるたびに“ああ、よかった”という気分にさせてくれる。

自分は基本的に、途中から見始めたドラマでも、第1話から見てみたい、とは、よほどのことがない限り思わない(見始めたところまでの大まかなあらすじが分かれば、それで十分、と思ってしまう)のだが、このドラマに関しては、東京編を見て、見ていなかった期間のダイジェスト版を見たくなり、ダイジェスト版を見て、オンデマンドで第1話からの日々15分バージョンを全部見てみたくなった、そんな不思議な魅力・・・。


所詮はドラマという虚構空間の中の話で、9月にこのクールが終われば、能年玲奈はスマートに標準語を話す一都会派女優に戻るだろうし、独特の世界観を醸し出している「北三陸の人々」も、何事もなかったかのようにそれぞれの世界へと戻っていくことだろう。

そして、今は湧き立つ久慈の港にも、三陸鉄道にも、時が経つにつれ、それまでと変わらない静寂が戻るはず*9

ただ、せめてあと1ヶ月の間だけは、宮藤官九郎の脚本と、個性的な役者陣が作り出すこの素晴らしい世界に浸っていたいなぁ、と、心の底から思うところである。

*1:http://www.huffingtonpost.jp/2013/08/10/amachan_n_3737069.html参照。

*2:記憶をたどると、「ふたりっ子」まで遡る。いつの話だ・・・。

*3:GW期間中はカレンダー上は平日でも休みで家にいられることが多いので、朝ドラ(の再放送)とか、昼ドラとか、昔懐かしい連ドラの再放送(最近は、今やっているドラマを第1回から振り返るようなパターンも多くて、民放各局の苦しい胸の内が察されるけど)とか、を目にすることができる数少ない機会になる。それ以外では夏季休暇の時くらいか。

*4:なんといっても、80年代後半〜90年代初頭の時代に一番郷愁を感じる世代なので・・・。

*5:気付くのがちょっと遅かったのだが・・・。

*6:あえて言えば、本来、都会→田舎か、田舎→都会か、のどっちかで完結することが多いストーリーを2つくっ付けて、二度美味しいつくりにした、というところに妙味があると言えばあるが。

*7:現代劇でありながら、「ちょっと昔」(端的に言ってしまえば、東日本大震災の悲劇が三陸を襲う前。スマホもまだ普及していない時代・・・)に時計の針を戻して、「今」に向かって時を追いかけていく、という設定になっているのも、視聴者に様々な想像力を働かせる余地を与えているような気がする。

*8:全体的な役者のクオリティの高さもさることながら、適材適所な「配役」に巧さを感じる。特に、経験が浅い役者さんに、「経験の浅さゆえにいい味が出る」キャラ設定をしているのが素晴らしいなぁ・・・と思う。

*9:実際、その場に行ってみたところで、天野家の人々も足立家の人々も、大吉駅長も、あんな海女さんたちもいないわけで、ドラマの世界と現実のギャップを感じるだけ・・・というのが、現代劇のロケ地にはよくある話。

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