夏休みに読んでみた本(その4)〜いつか辿り着きたい場所

さて、“夏休み”というフレーズを使うのも、そろそろ限界な時期になってきた、ということもあり、今年のこのシリーズ最後の一冊、ということにしたいと思う。

もしかしたら、「えっ、何でこれなの?」と思った読者の方も多いかもしれない。

「法務」という存在が一切関係しないわけではないが、描かれ方としては明らかに悪役(苦笑)*1
「法務」的視点からの読み方ができないこともないが、適正な経営上の意思決定のプロセスはかくあるべき・・・といった視点から、何らかの示唆を得るための素材としては、物足りなさが残る。

だが、そういった日常的なあれこれを離れて、「人は何のために、誰のために、何を目指して働くのか」、そして「何のために会社という組織があり、その中で人が働くのか」という原点に立ち返った素直な心で読むと、この本には、心に沁み込む多くのエッセンスが詰まっていることに気付く。

そして、「あまり意識しないうちに、読者をそういった「原点」に思いを馳せる方向に引っ張り込んでしまう」というところに、単なる「ビジネス書」にとどまらない、本書の構成の巧さと、著者のセンスの良さが感じられるのである。

以下、もう少し踏み込んで、本書について語ってみることにしたい。

「ビジネス書」らしくないビジネス書

元々、自分は、この種の経営者が書く「ビジネス書」が、あまり好きではない。
大抵は、今成功している人の“きれいごと”か、“自慢話”のオンパレード、そして、時に押し付けがましい教訓も入る。

そうはいっても、就職活動の前後とか、会社に入って間もないころは、ちょこちょこそういうのに目を通していた時期もあったのだが、ある時、本に書いてあることと、自分の目で見た「現実」との間に物凄いギャップがあることを知る、という実に残念な経験をしたこともあり、ここ10年くらいは、話題になる本が出ても、大抵は立ち読み以上には目をふれない、というのが、自分の流儀だった。

DeNAの創業者」として知られている南場智子氏が書かれたこの本に関しては、ネット上で自分が信頼している何名かの方が高い評価をしていた、ということと、ちょうどたまたま、仕事を離れて軽い読み物を読んでみたい、という衝動に駆られていたことから、思わずレジまで持って行ってしまったのだが、それでも、ページを開く前までは、ネット上の高評価には半信半疑で、“コンサル出身の元女性社長が、プライドの高さをちらつかせながら、「失敗からの成功譚」を語っているんだろう”といったような、シニカルな印象の方が強かったように思う。

だが、なぜか、この本に対しては、いくら読み進めても、通常のビジネス書にありがちな、違和感や不快感をほとんど感じることがなかった。

本書のストーリーは、1999年3月、南場氏がマッキンゼーのオフィスから仲間2人を連れて飛び出し、小さなアパートの一室に部屋を借りて、ネットオークションの会社を立ち上げようとするところから始まる。

当時、マッキンゼーコンサルタントとして第一線で活躍していた南場氏が、「一度でいいから自分で考えた事業やサービスが世の中に生み出されて大暴れするまで主体的にかかわってみたい」という思いに駆られ、ソネットの社長の一言で「熱病」に取りつかれて会社を飛び出す・・・という最初のきっかけ。

最初に3人だったメンバーは、ちょっとずつ増えていったものの、システム開発はドタバタ続き、ようやくオークションサイトを立ち上げても、ヤフオクの壁を超えられず迷走・・・

当然ながら、その後は、様々なきっかけでモバイルユーザー向けサービス、という新境地を開拓し、現在に至るまでの成功への道が始まるわけだが、冒頭からかなりの紙幅を割いて、会社設立当初の迷走とそれにかかわった社員たちの姿(時に個人的なエピソードなども交えつつ)が、熱っぽく描かれていることが、本書のイメージを決定的に良くしているのではないか、と思う*2


もちろん、類書にありがちな、“昔のエピソード”の誇張や美化は、本書の中にも多少ならず含まれている、と考えた方が良いだろう。
また、「失敗の連続」とはいっても、南場氏がコンサルタントとして蓄積されていた幅広い人脈あってこそ切り抜けられた、というところは多々あるように見受けられるし、そもそも、創業メンバーとして、一流の人間を集めることができたマッキンゼーという“母体”があってこそ・・・というところも大きいはず。
ゆえに、本書に書かれていることは、誰もが真似できることでも、参考にできるようなことでもないのは間違いない。

ただ、そのような「選ばれし者だけが語れる前向きな失敗談」を、会社と社員への“愛”が込められた柔らかい語り口のオブラートに包んで、あたかも、どんなベンチャー組織にもありそうな、“ありふれたエピソード”のように思わせてしまうところに、“南場マジック”ともいうべき、本書の魅力の源泉があるように思えてならない。

既に他のところでどなたかが書かれていたと思うが、「第1章」を読み進めたところで最後に登場する、「『ビッダーズ』誕生の瞬間」の1枚の写真と、その前後に添えられた、

「とにかくバラバラなモチベーションで集まったバラバラな個性が、気持ちをひとつにし、いい笑顔をしている。純粋で、シンプルで、力強く、そして自然な喜びだ。」(44頁)
「同じ目標に向かって全力を尽くし、達成したときのこの喜びと高揚感をDeNAの経営の中枢に据えよう。互いに切磋琢磨し、ときに激しく競争しても、チームのゴールを達成したときの喜びが全員に共有され、その力強い高揚感でシンプルにドライブされていく組織をつくろう。そう決めた瞬間だった。」(46頁)

といったフレーズを読んで、南場智子氏と、DeNAという会社への見方が変わった、という方は多いことだろう*3

そして、これをきっかけに、かつて経験したことのある、小さなユニットで目標に向かって全力で試行錯誤していた時の、喜びとか、悔しさとか、切なさ、といった記憶が蘇ったのも、決して自分だけではないはずだ*4

自らのバックグラウンドをあえて“落とす”勇気と潔さ

さて、本書のもう一つの特徴は、単なる“回顧録”にとどまらず、一章を割いて「人と組織」についてじっくりと語られていること、そして、その中で、「経営者として必要な資質」という観点から、南場氏が自らのバックグラウンドをことごとくネガティブに評価している、という点にある。

たとえば、「経営コンサルタント」という職業に対しては、

「巷では、将来事業リーダーになりたいので、まずコンサルタントとして勉強する、という考え方が幅を利かせているらしい。コンサルタントは言う人、手伝う人であり、事業リーダーはやる人だから、立場も求められる資質も極端に異なることは理解に難くないにもかかわらず、誤解がはびこっていることは嘆かわしい。」(201頁)

とばっさり。

さらに、「MBAは役立つか」という見出しの章でも、

「成長を加速させ一流のビジネスマンになるためにビジネススクールで学ぶことは役に立つかとよく訊かれる。自らの経験から率直に話すと、私はかなり懐疑的だ。」(219頁)*5
「学びがゼロかというと、そうではないが、そのために2年間も使うのか、を問いたいところ。」(220頁)
ビジネススクールに行くことで人脈ができるのでは、ともよく訊かれるが、そうも思わない。逃げずに壁に立ち向かう仕事ぶりを見せ合うなかで築いた人脈以外は、仕事では役に立たないと痛感している。(略)ビジネススクールに行って人脈をつくりたいなどと思っている人がいたら、今日明日のあなたの仕事ぶり、仕事に向かう姿勢こそが人脈を引き寄せるのだと伝えたい。」(220-221頁)

と、これまたばっさり、である*6


世の中には、自分のバックグラウンドをとにかく誇りたがる人、と、否定したがる人、の両方がいて、そのいずれも、本来はあまり好感を持たれないことが多い。前者は単なる“自慢”になりやすいから当然のことなのだが、後者の人も、周囲から見た時に「お前、そのバックグラウンドがあるから今の地位にいられるんだろう」という突っ込みが入るような人生を歩んでいる人だと、そのようなバックグラウンドを否定しようとするポーズが、逆に違和感を抱かせることも多い。

南場氏の上記のようなコメントについても、いきなりこれらのフレーズだけが切り取られて、本の最初の章あたりで登場してきたとすれば、相当な反発を持って、受け止められるところは多かったように思われる。

だが、そこは、本書の見事な構成。

第1章から始まる、南場氏の「経営者」「事業リーダー」としての数々の失敗譚とそれに対するその時々の振り返りを読んでいけば、上記のようなコメントに辿り着いた時点では、そのような境地に行きつくのもむべなるかな・・・という思いになるし、その前のエピソードと合わせ読むと、嫌味なき説得力すら感じてしまう。

ちなみに、「名コンサルタントは名経営者ならず」という趣旨の一連の南場氏の指摘の中には、今の自分の役割に照らして、身につまされるところも多分にあり、特に、

「物事を提案する立場から決める立場への転換に苦労した。面食らうほどの大きなジャンプだったのだ。」(202頁)

というくだりや、

「不完全な情報に基づく迅速な意思決定が、充実した情報に基づくゆっくりとした意思決定に数段勝ることも身をもって学んだ。」(204頁)

というくだり、さらには、「若くしてコンサルティング会社に身を置くことで事業にマイナスな癖を拾ってしまうこともある」として述べられている、

「まず、できる限り賢く見せようとする姿勢。知らず知らず身につけている人が多い。これは事業では一銭の得にもならない。」
「あと、上から目線。」
「さらに(略)実際はクライアントの組織のなかで誰がキーパーソンかを素早く見極め、その人におもねる発言をするコンサルタントが多い。事業リーダーにとって思考の独立性が重要なことは自明だ。誰かにおもねった途端、リーダーではなくなる。」(以上206-207頁)

といったあたりの指摘は、わが身を振り返ってため息が出るところも多かった。

南場氏は、「経営コンサルタントは経営者に助言するプロフェッショナルであり、高度な研鑽が必要な、とても奥深い職業だ」とも述べられており、専門家としてのコンサルタントの価値自体を否定しているわけではない。

しかし、

「実際に事業をやる立場と同じ気持ちで提案しています、というコンサルタントがいたら、それは無知であり、おごりだ。優秀なコンサルタントは、間違った提案をしても死なない立場にいるからこそ価値のあるアドバイスができることを認識している」(203頁)

という指摘は実に重く、そして、そこからは、“死ぬような思いで”転身して、今日まで邁進されてきた南場氏の“経営者”としてのプライドが強く滲み出しているように思えてならない。


・・・ということで、先に紹介した「はじまり」のエピソードとはまた違う意味で、自分は、この章から、本書の中で二度目の大きなインパクトを受けた。

「専門家」として身に付けた経験をunlearningし、「経営者」としての視点で本書を書かれた南場氏からのメッセージを、今の自分がどう受け止めるべきなのか。
その答えを明確に出せるようになるためには、もう少し時間が必要なのかもしれない。

いずれにせよ、「ビジネスそのもののラインの中で日々結果を求めて突っ走っている人」、そして「専門的な立場から経営に関わっている人」双方にとって読んで損はないところだと思うので、自分は改めて、なるべく多くの方に本書を手に取っていただき、自らの仕事における立ち位置について、思いを深めていただくきっかけとしていただければ・・・と願うものである。

*1:26〜29頁あたりのくだり。

*2:逆に、ビジネスが軌道に乗り始めてからの記述は、中身の重さに比してあっさりしたものが多い。そんな中でも、社員一人ひとりのエピソードはふんだんに盛り込まれているし、社長退任前後のエピソードに関しては、もう一つの話の山として、しっかり、じっくりと書かれているのだけれど。

*3:かくいう自分もそうだし、その意味で、この本は、企業とその経営者の“ファンづくり”に大いに貢献する立派な“ビジネス書”ということになろう。

*4:自分は、「第1章」しかり、その後の章に出てくる、会社を離れて行った草創期のメンバーのエピソードが畏敬の念を込めて語られる場面しかり、読むたびに、心の奥に眠っていた何か、と、涙腺が刺激されてたまらなかった・・・。

*5:ちなみに、南場氏はハーバードビジネススクール出身。

*6:さらにこの後に「女性として働くこと」についても、興味深い記述を残されているのだが、なかなか奥が深い話なので、ここでは割愛する。

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