“Google Books”訴訟が教えてくれたこと。

そういえば昔、和解案をめぐって、どこもかしこも大騒ぎになったことがあったっけ・・・
と懐かしく思い出されるような“Google Books”訴訟決着のニュースが不意に飛び込んできた。

「インターネット検索最大手、米グーグルによる図書の全文複写プロジェクトを差し止める訴訟で、米ニューヨーク連邦地裁は14日、米作家協会の訴えを棄却した。利用者が本を見つけやすくなるなど公共の利益にかなうと判断、著作権侵害にならないとした。」(日本経済新聞2013年11月16日付け朝刊・第9面)

日本に来ると、比較的小さめの記事になってしまうが、米国のメディアではどこも大きくこのニュースを取り上げているようだし*1、S.D.N.YのDenny Chin判事が書いた法廷意見もあちこちで取り上げられている*2

自分はものぐさな人間なもので、いつもなら、わざわざ原文を見に行くようなことはしないのだが、今回は、何となく読みたくなって、探してみた。

It advances the progress of the arts and sciences, while maintaining respectful consideration for the rights of authors and other creative individuals, and without adversely impacting the rights of copyright holders. It has become an invaluable research tool that permits students, teachers, librarians, and others to more efficiently identify and locate books. It has given scholars the ability, for the first time, to conduct full-text searches of tens of millions of books. It preserves books, in particular out-of-print and old books that have been forgotten in the bowels of libraries, and it gives them new life. It facilitates access to books for print-disabled and remote or underserved populations. It generates new audiences and creates new sources of income for authors and publishers. Indeed, all society benefits.

いや、まさにその通りですよ、Google Booksっていうのは、“progress of the arts and sciences”のための取組みなんですよ・・・と関係者は泣いて喜びそうな、(ユーザー側にとっては)実にすばらしい説示だと思う*3

そして、これを読んで次に考えたのは、「仮に、日本の裁判所で同じような事件が裁かれたらどういう判断になるのか?」ということである。

よく、「アメリカには“フェアユース”の法理があるけど、日本にはないからダメダメ」と身も蓋もないことを言う人は多いし、確かに、著作物の「利用」行為そのものに支分権の網を張り巡らせ、事実上限定列挙に近いような書き方で、個別の権利制限規定を置く日本の著作権法による限り、今回連邦地裁が示したような判断に行き着く余地はないようにも思える。

だが、日本国内で同じことを行った事業者が、“公共の利益”なるものを丹念に立証することに成功した場合に、そして、権利者側がそれを上回る不利益があることを示すことができなかった場合に、そういった状況を踏まえた利益衡量ができないほど、日本の民事法の理論と裁判所の頭が硬直的だとは自分は思っていない。

米国法理と同様の理屈を、直ちに日本の著作権法の解釈として持ってくることはできないまでも、結果としてそれに近い形での落としどころを見出すことは、決して不可能ではないはずだ。

そう考えると、日米の最大の違いは、法律の違い、裁判規範の違い、というところ以前に、“事業者の度胸”の違いにあるのではないかなぁ、と思わずにはいられないわけで・・・。


もちろん、同じようなことを国内の事業者が行おうとした場合に、ピンポイントで使える権利制限規定がない、ということゆえの予測困難性の問題は避けて通れないだけに、なかなかこの辺の領域にまでは踏み込めない、という気持ちは、企業実務に携わる者としては痛いほど分かるのだが、結果の予測が難しいのは米国の「フェアユース」法理とて同じである。

そして、仮に恐る恐る足を踏み出しても、権利者から警告を受けたり、ちょっと世の中でバッシングを受けてしまうと腰が引けてしまうであろう多くの日本企業と比べて、和解案の調整を行っていた段階から、あくまで強気の姿勢を崩さなかった(そして、最終的に訴訟を続行した結果、11・14の歴史的判決を引き出した)Googleのスタンスというのは、やはり、事業者としてのリスクの取り方の根本的な違いを感じさせるものと言わざるを得ない。

こと“Google Books”的な取り組みに関しては、そこまでできる体力のある会社がどれだけあるのか、という問題もあるのだろうし、あえて日本企業が真似をする必要はないと思うのだが、それ以外の取組みの場面でも、チャレンジする前に必要以上に慎重になってはいないか、ということを、今回の“Google Books”訴訟を機に、この8年間の動きなども振り返りつつ、今一度検証してみる必要があるのではないか、と思うところである。

*1:Bloombergの記事(http://www.bloomberg.com/news/2013-11-14/google-wins-summary-judgment-in-digital-books-copyright-case.html)など参照。

*2:というか、既に判決全文をインターネットで読むことができる(「05-cv-08136-DC」というケースナンバーを入れて検索すると、あちこちで出てくる)。このあたりはいつものことながらスゴイ。

*3:作家側は上訴する意向を表明しているようなので、まだまだこの先、逆転する可能性は残されているが、それでも地裁でこのような判事の意見を引き出したことには、それだけで大きな意味があるのではないだろうか。

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