“これぞプロフェッショナル”と感じる名著。

年末年始からこの3連休の入り口にかけて、いつもよりちょっとだけ余裕ができたので、小谷武弁理士の著作である「新商標教室」を通読してみた。

新商標教室

新商標教室

既に、知財・商標業界の人々からは、あちこちの媒体で絶賛されている本であり、自分も昨年購入してから、ほとんどのパートを研修の“ネタ本”等々に活用させていただいていたのだが、最初から一気に通読してみると、改めて著者の先生のご経験に裏打ちされた厚みのある記述に圧倒される。

「商標とは何か?」という商標の本質論を皮切りに、機能論、商標的使用の概念、周知商標・著名商標、商品・役務論といった重要トピックを網羅的に取り上げていき、識別性、類似性、といった分野に関しては、豊富な審決事例等も引用して、ビジュアル的にも分かりやすく、商標のエッセンスを綴っていく。そして、最後は、無効審判や不使用取消審判といった手続きにまで踏み込んで、商標制度全般を見事に描く・・・。

有力な概説書が少ないこの分野において、直近の判決、審決例までタイムリーに取り込んで横断的に制度を概観している、というところだけでも、本書は「概説書」として必要十分な要素を備えている、といっても過言ではない。

だが、本書の価値は、さらにその先にもある。

小谷弁理士が30年間、「内外の商標ひとすじ」に重ねてこられた実務経験を踏まえた、教科書的記述からは“一歩先”に踏み込んだ様々な“実務の知恵”的エッセンスや、判決、審決等に対する、プロフェッショナルとしてのこだわりのコメント、そして、ポロっともらされる“本音”の吐露(?)など、この著者の本でなければ絶対に読めない、と思われるような魅力あふれる記述が、本書には満載なのである。

例えば、テクニック的なところでは、花王やライオンの商標登録事例を例に挙げて、

「商標に長けた企業は、商標登録を確実にするため、識別性を欠くことが心配される商標の場合には、自社のハウスマークや、代表的なブランドマークを結合させて出願しています。(略)こうすることにより、識別性なしとして拒絶される出願の費用も節約することができるばかりか、登録商標として特許電子図書館IPDLに掲載されることで、競合他社は類似する商標の採用を控えようとしますから、自社商品の差別化にも役立つことになります。」(38〜39頁、強調筆者、以下同じ。)

としているくだり。

通常の教科書的な記載であれば、「識別性の有無」の判断基準や判断事例までは掲載しても、「じゃあ、迷ったらどうすればいいの?」というところまでは書いてくれないし、少し気の利いたテキストでも、「とりあえず迷ったら出してみましょう、それでダメならしょうがない。」的なところで収まってしまうところだろうが、著者は、

「出願の審査では、1名の審査官が審査します。そこで、その審査官が識別性を欠くとして出願を拒絶しても、あとで他の審査官が同じ商標を識別性ありとして商標登録してしまうなど、正反対の結論が出ることもあり、我々弁理士泣かせになっています。」(210頁)

と識別性審査の難しさを強調した上で、先ほどの事例を再び取り上げられて、

「競合企業としても、識別性の有無がわからないので、同じ語を商品に使用することに躊躇することになります。」
「このように、識別性に疑問があったとしても、何とかして商標登録しておきますと、営業的にも他社製品との差別化に役立つことが分かります」(212頁)

と強調されている。

他にも、使用による識別性(3条2項)が認められる基準について、「Kawasaki」商標に関する知財高裁判決や、ゴルチエ立体商標事件等をひきながら、

「このような従来の審査基準や判断基準をまったく変更する新しい判断基準が今後も適用されるものか、このような判断を信じてよいものかどうかが筆者にはわかりません。」(230頁)

とボソッと書かれてみたり、「(要件の不明確さゆえに)3条1項6号の拒絶理由通知が多用されている」という現状を指摘した上で、

「現在のようにネット情報があふれている状況では、ネット検索すればさまざまな言葉の使用例が見つかりますので、それらを根拠に識別性を欠くとして拒絶理由通知が発せられてきます。これに対しては、もちろん意見書を提出することができますが、識別力があることの証明が難しく、多くの弁理士が苦労しているのが現状です。しかし、そのような商標であっても、拒絶査定不服審判に進んだ場合、当業界で一般的ではないとして登録が認められる審決がかなりたくさん見られるという現実もあります。」
「拒絶査定不服審判には、1クラスだけでも印紙代が55,000円もかかりますので、出願人側の負担は決して小さいものではありません。もし審判で識別性が認められるのであれば、出願人の負担を少なくするためにも、審査段階でも同じような判断が下されるように願っているのは、筆者だけではないでしょう。」(246頁)

と、審査実務に対する要望を述べられてみたり・・・と、特に「識別性論」や「類似性論」の章では、含蓄のあるコメントを随所に見ることができる。

企業の人間でも、ある程度長い間、商標の出願実務を担当していれば、担当してくれる弁理士とのやり取りを通じて、実はこうなんです、ああなんです、という話はいろいろと耳に入ってくるわけで、“これなら出願しておいた方がいいですよ”とか、“このパターンなら審判行けばひっくり返る可能性は高いですよ”という情報も自ずから蓄積されてはくるのだが、そういったエッセンスが活字として出てくる機会はなかなかない。

その意味で、本書は、経験の浅い担当者にとっては、純粋に“情報の泉”だと言えるし、ある程度の経験を積んだ企業の担当者や弁理士の先生方にとっても、“うんうん、あるある”と、思わずニヤニヤしながら楽しめる極上のネタ本だと言えるだろう。


また、経験の多寡を問わず、「商標」という極めて奥の深い仕事に向き合うための基本的な姿勢についても、本書の著者は、ところどころで語っておられる。

例えば、「類似性論」の章の冒頭では、

「商標の判決を勉強する場合には、結論だけを大事に覚えるのではなく、当事者がどのような主張をし、どのような証拠を提出したか、裁判となる前にどのような行き違いが当事者間にあったのか、その商品をあつかう業界の事情はどうであったかなど、事件の背景を十分に理解した上で判決を検討する必要があります。決して、2つの商標だけを比べて類似しているかどうかを考えるのではなく、商標がおかれた取引関係全体の中で果たして混同を生ずるかどうかという観点から商標の類似性を判断することが大切です。」(296〜297頁)

と、「判例」を取り扱うための基本的なスタンスまで含めて言及されているし、「商標権侵害との警告を受けたり、裁判を起こされた場合」の対応については、

「一番大事なことは、商標に精通した商標専門の弁理士や弁護士に相談することでしょう。よくある話ですが、会社の顧問弁護士がいることでかえって、商標がわかる外部の弁護士や弁理士に相談できず、失敗してしまうこともあります。一般民事事件と商標事件はまったく異なる性質の事件なのです。」(428頁)

と、明確に言い切っておられたりもする*1

そして、最後に、「商標権侵害」について、「民事上の責任」、「刑事上の責任」と並べて「社会的責任」に言及した上で、

「このように、商標権侵害を軽く考えてはなりません。しかし、侵害があったからといって過剰に反応するべきでもありません。まして、商標権者として理不尽な要求をすることも許されません。商標権侵害は、法律的な問題が基本なので、商標法その他の法令に則って、粛々と処理したいものですが、社会的制裁についても、我々は決して過剰なものにならないよう十分気をつけるべきでしょう」(440頁)

とまとめておられるのも、実に素晴らしい、と自分は感じた*2

「商標権の消尽」に対するコメント(127頁)や、サービスマークに対する考え方(130頁)、あるいは、いくつかの裁判所の判決に対するコメント(「ゆうメール」事件に対する178〜181頁のコメントや、プーマ事件に関する370〜373頁の辛辣なコメント等)など、著者が本書に記された意見、コメントの中には、必ずしも通説、多数説とは言えないようなものも散見されるし、自分も、本書の著者のスタンスを全て支持できる、というわけではない。

しかし、そういった点を踏まえてもなお、「商標分野のプロフェッショナル」としての知識、経験はもちろんのこと、長年のご経験の中で培われたのであろう著者の職業倫理とバランス感覚に貫かれている本書は、我が国において商標実務に関わる全ての関係者にとって、“必読の書”というべきものだと自分は思っている*3

・・・ということで、(もうほとんどいないとは思うけど)まだ、本書を手にしていない関係者には、是非、と、今さらではあるが、お奨めしておきたい。

*1:個人的には、商標事件を解決するためには、一般民事事件を処理するためのエッセンスが欠かせないと思っているし、その意味で「全く異なる性質」のものではないと思うが、“一般民事事件(や他の分野の事件)しか取り扱ったことのない弁護士が触れる領域ではない”という点については、著者の意見に強く同意する。

*2:これが宣伝色の強い安直な実務書だと、リスクを煽るだけ煽って、“あとはうちに相談に来てね”で終わってしまうのだが、最後にこのようにまとめられるバランス感覚は、実に素晴らしいものだと思う。

*3:同時に、「プロ」としてやるからには、いつか、こんな本が書けるような境地にまで達することができるといいのだがなぁ・・・と思える“目標の書”でもある。