開幕前のフィーバーと一抹の不安

4年に一度の冬の祭典がまた始まろうとしている。

4年前に、自分がどこで何をしていたのか、ということに思いを馳せると時の早さには驚くばかりだし、そこから始まった新しいストーリーと、4年前に完結できなかった終わらないストーリーが交錯している、という五輪ならではの様々な人間模様をメディア等を通じて見聞きするたびに、わが身に照らしていろいろと思うところはある。

で、やはりこの時期になると、Number誌に期待せざるを得ないのだが、今回も4年前と同じく表紙は当然浅田真央選手。

そして、前回以上に凄いのが、今回は「フィギュア特集」という域を超えて、「浅田真央選手」に完全にフィーチャーした特集記事になっていること。

お馴染み、宇都宮直子氏の巻頭言に始まり、

野口美惠「涙のバンクーバーから最高のソチへ」*1
松原孝臣「15歳の世界女王」*2

と同誌自慢の執筆陣が続き、さらに極めつけは、

「2005-2013 銀盤の軌跡&私だけが知る真央」

という実に15ページ近い関係者の証言集&ヒストリーのまとめ。
ローリー・ニコル、タラソワといったコーチ、振り付け関係者から、スルツカヤプルシェンコといった往年の名選手たち、さらには、松岡修造氏(笑)まで・・・
とにかく、最後の浅田真央選手のとことん応援し尽くす、という企画で満ちている。

個人的には、2006年から2008年まで、ロサンゼルスで指導にあたっていたラファエル・アルトゥニアンコーチが、“喧嘩別れ”のエピソードを振り返り、

「指導して1年半たった08年1月、アメリカに来られないと真央が急に言い出したので、当時の僕は怒りました。今より若かったし、白黒はっきりつける性格でしたから。お母さんの具合が良くないためというのは隠されていて、後で知ったことでした。自分のキャリアの中で一番の後悔です。今だったら、絶対に違う指導のやり方をアレンジしたと思います。」(Number846号・40頁)

と語るくだりなどは、“運命の悪戯”を感じざるを得ないし*3、プロスケーターになった太田由希奈氏が、ノービス時代の浅田姉妹のエピソードなどを振り返りつつ、「子供の頃のように、キラキラした目で生き生きと舞って欲しい。」というコメントを寄せているのを読んで(36頁)、改めて、この10年近い浅田真央フィーバー&女子フィギュアフィーバーの功罪を思い知らされるなど、いろいろと読み甲斐のある記事は多い。

ただ、本来目玉であるはずの「ソチ五輪注目競技完全ガイド」のページ数の倍近いページが浅田選手関係の記事に割かれている、というのは、五輪特集号としては、やっぱりバランスが良いとは言えない。

前回のNumber誌の冬季五輪特集では、フィギュアスケート関係の記事が多すぎないか、というのが気になったのだが(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20100213/1266043013)、今回はそれを遥かに超えている。

今回の五輪に臨む選手たちの中でも、浅田真央選手が一番世界の頂点に近いところにいて、しかも、表舞台に出るようになってからの歴史が長い*4選手であることは何ら疑いがないし、今の日本で、フィギュアスケートが、冬季五輪の様々な種目の中で、もっとも商業的に取り上げることにメリットがある競技であることを疑うつもりもない。

だが、現実には、フィギュアほどメジャーではなくても、日本選手が地道に実績を積み上げていて、もう少しでメダルまで手が届きそうな、あるいはメダルまでは行かなくても、これまでにない良い成績を残せそうな、そんな競技がもっとあるように思えるだけに、スポーツ専門誌の看板を掲げる雑誌としては、もう少し取材対象とフォーカスする対象を広げてほしかったなぁ、と思えてならない。

そして、一般紙*5でもフィギュアスケートにばかり注目が集まる中、他の競技の選手たちの頑張り如何にかかわらず、今回のソチ五輪の価値が、フィギュアスケートでの日本勢の結果如何に左右されてしまう・・・そんな世論が形成されてしまわないか、という点に自分は一抹の不安を感じざるを得ない。

他の競技がことごとく不振でも、荒川静香選手の金メダル一つで(一般国民的には)「いい大会」になったトリノの例もあるから、結局は、フィギュアスケート陣が男子も女子も期待通りの結果を残してくれれば、何も心配することはないのだけれど、個人的には、今回は、むしろ“長野までのお家芸”+カーリングが主役の大会になるような気がしているだけに、フィギュアスケート中心に五輪期間中のメディアたちのカレンダーが回り過ぎることがないように、と心の中で祈るばかりである*6

*1:バンクーバー五輪後の浅田選手と佐藤信夫コーチの4年間を中心に構成した記事

*2:彼女が初めてシニア世界一の称号を手にした2005年のGPファイナルの衝撃を当時の関係者の証言とともに振り返る記事

*3:2007年の世界選手権の時点で既に指導力を発揮し始めていたアルトゥニアンコーチが、そのままバンクーバーまでコーチを継続していたら、おそらく4年前に彼女は金メダリストになり、その後のストーリーはまた違ったものになっていたのではないかな、と思わずにはいられない。

*4:もちろん、ジャンプの葛西選手やモーグルの上村選手に比べれば短いとはいえ、競技としてのメジャー性を考えると、人目に晒されてきた期間も時間も、やはり浅田選手がずば抜けている、と言わざるを得ないだろう。

*5:この日の日経新聞でも2面使ってフィギュアスケートの特集を組んでいる。

*6:今大会では、「フィギュアスケート団体」という、正直どうでもよい種目が入って、フィギュアスケートの競技期間がいつも以上に伸びているだけに、なおさら他の競技の中継が食われないように、と願うばかりである。

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