一夜明けて解けた謎と、上村選手が残したもの。

一昨日、テレビ中継を見終わった余韻そのままに書いたエントリー*1の中で、上村選手がメダルに届かなかった「ターン点」の採点に対する疑問を呈してしまったのであるが、その後、様々なところに、“疑惑”を解き明かす記事が掲載されるに至った。

例えば、日本経済新聞2014年2月10日付の朝刊(29面)では、「上村のターンなぜ低評価/基準変更 対応遅れ」という見出しで、以下のような内容の記事が掲載されている(共同通信社配信)。

・2010年バンクーバー五輪前には、ターンで「カービング」が最重視されたが、ここ数シーズンはカービングとともに、吸収動作と上体の安定が3つの要素として並列して評価されるようになっていたこと。
・上村選手がこだわったカービング技術よりも、メダルを獲得した北米勢が使っていた技術の方が、直線的なライン取りができるという点で、(今大会では)高い評価に結び付いていたこと。
・昨秋の審判員向けのクリニックでも、上村選手の後傾気味のターンの映像は、8段階のうちの上から3番目「よい(4.0点以下)」という分類になってしまっていたこと。
・上村選手は、後傾姿勢を改善しつつあったが、審判員の先入観を払拭するまでには至らなかったこと。

これを読めば、なるほど、道理で、上村選手のターン点は、どんなによく見えても3点台にとどまっているのに、デュフールラポイント姉妹やハンナ・カーニー選手のターン点は4点台が出るわけだ・・・ということが良く分かるわけで・・・。

自分は、(当然ながら)モーグルの競技者としての経験はないので、あくまで憶測に過ぎないのだが、おそらくターンの技術、というのは、野球のピッチャーで言えばピッチングフォームのようなもので、そう簡単にいじれるものではないのだろう。
そして、長野五輪以来貫き通してきた自分のスタイルが、必ずしも高い評価に結び付かないことは承知の上で、上村選手は、決勝の最後の一本で、攻めて攻めてスピード勝負に賭けることで、メダルに向けた微かな望みをつなごうとしたのではないか・・・そのように思えてならない。


ちなみに、「4位」という結果が大々的に日本に伝えられたときにはまだ更新されていなかった上村選手のオフィシャルブログ(http://blog.excite.co.jp/aikouemura)が、ささやかに更新されている。

モーグルを初めてから20年が経った今年
東京での20年に一度の大雪の日に
私のソチオリンピックが終わりました。

という書き出しで始まる2月10日付けのエントリーは、いつも以上に、いろいろと感じ入るところが多いものなのだが、特に、以下のくだりは、地道にコツコツと、目標に向かってチャレンジしてきた人間にとっては、涙なしには読めないところなのではないかと思う。

私のオリンピックメダルへの5回の挑戦は。
7、6、5、4、4位。でした。
結局メダルは最後まで取れなかったけれど
5大会連続で、後退する事無く進んだこの成績を
私は誇らしく感じています。

「後退する事無く進む」ことの難しさ、そして、どんなに前に進んでも辿り着けない悔しさ、空しさ、は、何度もチャレンジできるチャンスをつかめる実力と、そのチャンスにあえて挑む勇気のある者にしかわからない。

そして、それを1年、2年のスパンの話ではなく、4年刻みで16年、という長いスパンを越えて体験し、最後まで後退することがなかった、というところに、上村愛子選手のアスリートとしての、そして人としての、強さと魅力を見出すことができるような気がするし、そうやって時空を超えてきた彼女の存在が、周囲に与えた影響には、測りつくせないほどのものがあったのではなかろうか。

前回の五輪で里谷選手が去り、今回の五輪で上村選手が去った後に、残される日本代表の選手たちが、モーグルの歴史をどこまでつないでいけるのか、は分からないのだけれど、

オリンピックは、苦しい事も悔しい事も悲しい事も
悩みを与えられる場所でもあったけれど
壁を乗り越えようと前進する力や、その先にある達成感
そして、皆と心が一つに繋がれる奇跡をも与えてくれる場所でした。

後輩や皆に、胸を張って言えます。
「オリンピックは、素晴らしい場所だよ!」
そう思える今日を迎えられて幸せです。

と、最後に書き残した上村選手の想いが、4年後、8年後、そしてもっと先々まで、伝わっていくことを、今は願うのみである。

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