桜咲く季節に迎える“終わりへの始まり”

暖かいのか、寒いのか良く分からない気紛れな天候に振り回されつつも、気が付けばいつの間にか年度が替わり、消費税が上がり、桜の開花も真っ盛り・・・の4月に突入してしまった。

社会人になって、もう数えるのも嫌になるくらい、新しい年度を重ねてきたわけだが、今年の4月は、自分のキャリアのターニングポイントから数えて一つの節目となるタイミングでもあり、そしてまた、これまでとは違う新しい次元での仕事に突入する節目でもある・・・ということで、何となく心も改まる、そんな雰囲気で迎えることになった。

「無意味に忙しがる」というのは、自分の性には合わないし、第三者から見たら悲壮感漂うような状況に見えても、どこかに“遊び心”を残しながらやってきたつもりだったけど、さすがにここからの一日一日は、これまで以上に厳しい24時間になるのは確実な状況で、何か新しいことを抱え込んだ瞬間に、一気に堤防が決壊するような表面張力ギリギリ・・・という状況を免れることは、もはやできないだろうな、という覚悟はある。


ただ、同時に、こういう経験ができる時間も、もうそんなに長く残されてはいない・・・というのも、また事実で、ずっと先のことだと思っていた、自分で設定した「リミット」は、気が付けばもう目の前に来ている。

あれから、いろいろなことがあり過ぎて、自分を取り巻く環境も少なからず変わってしまったゆえに、多少の“誤差”が生じる可能性を否定するものではないけれど、今のように、組織に属しながら二足、三足のわらじを履くという生活にはいずれ終わりが来るわけで、自分の中では、手仕舞いに向けたカウントダウンが着実に刻まれている。

だからこそ・・・

できるところまで、ギリギリのところまで、ラストに向けてやってやろうじゃないか、という気分になれるのかもしれない。
そして、「やり遂げる」ことへの熱望が先立っているからこそ、一見して無謀なチャレンジにも、不思議と悲壮感はない。

いくら自分でやり遂げよう、と思っても、どうしようもない結末になることはあるだろう。
また、客観的に見たら「やり遂げた」状況でも、それで心が満たされるかどうかは、その時になってみないとわからない。

三度目の世界制覇を果たした名フィギュアスケーターですら、最も重大な決断に対しては「ハーフ&ハーフ」というのが、素朴な心境なのだとすれば、一体どこまでの結果を出せば、後ろ髪引かれることなく・・・という心境になるのか、正直分からなくなる。

でも、それを今から考えても仕方ないわけで、ここで迎えた「終わりの始まり」から、息が切れるまでただひたすら全力疾走するのが、これから自分がやるべきことなのだろう、と思っている。そして、「先の先」のことを真剣に考えるのは、その後でいい・・・と。


もしからしたら、今、ここに書いていることは、後々になって「2014年4月1日の壮大なエイプリル・フールだった」ということになってしまうのかもしれないけれど、自分としては、結果はどうあれ、これから進もうとしている一歩一歩を“偽り”の何かにはしない、そんな思いを抱えて、これからやっていきたい、と思っている。

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