進化の証を見せるのはこれからだ。

休日にしては、早めに起動して、テレビを付けたのが午前10時前。
そして、現地からの映像に食らいつき始めてから20分も経たないうちに、飛び出した本田選手の美しいゴールに血が湧き立つ・・・。

だが、今日、ヒートアップできたのは、その瞬間までだった。

物心がついて、「日本代表」という看板を背負ったチームの試合を見始めてからはや30年以上。
W杯での戦いは、初出場した時のアルゼンチン戦から、一試合も欠かさず見ているし、その中には、箸にも棒にもかからないような酷い試合がいくつあったことか。

だから、たかだか一つの「負け」で喚き散らすつもりは毛頭ないのだけれど、一観戦者として、このコートジボワール戦で感じた“もどかしさ”が、過去に例がないレベルのものだっただけに、何時間か経って、監督や選手たちのコメントを目にするたびに、じわじわと悔しさがこみあげてくる。


コートジボワールは、「4年前ほどの脅威はない」、「世界ランクほどの実力はない」という前評判どおりのチームだった。

攻撃と言えば、Y・トゥーレか、その一列後ろの選手が両サイドにボールを散らし、前に出た両サイドバックの選手が真ん中にボールを放り込む、という極めてシンプルなパターンだけ。
両サイドは、そこそこスピードはあるものの、クロスの精度は今一つだし、真ん中にいるカルーとかジェルビーニョといった選手たちは、時折テクニックとパワーの片鱗を見せるものの、あくまで「個人技」のレベルで、層の厚い波状攻撃は望むべくもない。そして、攻守の切り替えのスピードが遅いものだから、日本が一度ボールを持てば、中盤のすっぽり空いたスペースで組み立て放題、ということになる。

極端な言い方をすれば、「攻撃だけ見ればザンビアの方が強かったんじゃない?」という感想だった。

それなのに・・・。

この日は、肝心の日本代表の攻撃に全く冴えが見られなかった。

リードしながら一瞬で逆転された、という試合展開から、2006年のオーストラリア戦を引き合いに出す人が多いのだが、前半から後半、ドログバ選手が入ってくるまでの60分ちょっとの展開は、むしろ2010年のパラグアイ戦に似ていて、もう一歩中盤の選手が前に出ていれば・・・というタイミングで選手がおらず、二の矢、三の矢が放てない、というじれったい状況。

間延びした敵陣のスペースで思い通りの動きをして、本田選手が先制ゴールを突き刺したところまではまだよかったものの、1点を先制して以降は、より中盤からの押し上げが減って、相手にお付き合いするかのような散発的な、重っ苦しい展開になってしまった。

もちろん、パラグアイ戦がそうだった(と言われているように)ピッチレベルの選手から見れば、局地的な接触のたびにプレッシャーを感じ、スイッチが入った時の相手の攻撃力を恐れて、出脚が鈍った、というのはあったのかもしれない。そして、持久戦を覚悟していた大事な初戦で、想定外に早い時間帯に1-0、となったことで、より、萎縮効果が働いてしまったのかもしれない。

だが、そうなのであれば、ハーフタイムに、思い切って長谷部選手と攻撃の選手を1枚下げ、精度の高いボールをつなげる遠藤選手と、前線でボールをキープできる大久保選手を投入して、「とどめを刺しに行く」というコンセプトを明確にしても良かったのではないか*1

結果として、前半と変わらない重苦しいムードのまま、後半を迎えることになってしまい、敵将がドログバ選手をピッチに送り込む頃には、前線の選手たちの運動量が落ちて、ボールを狩ること、自軍でボールをキープすることさえ難しくなってしまった*2

そして、ドログバ選手がピッチに入ってきてからの悪夢のような5分間・・・。

会場と一体となった高揚感に乗せられたコートジボワールの選手たちに、それまでが嘘のような「瞬間的な集中力」を見せつけられ、1-2となってから大久保選手をいくら放り込んでも後の祭り。その後は、クルクルと変わるワントップ、ほとんど見せ場を作りようがない時間帯での柿谷選手投入、と、「2006年オーストラリア戦のジーコ采配」のデジャブーのようなバタバタのベンチワークで*3、点差以上にコートジボワールの背中が遠く感じられたまま、あっけなく終了の笛はなった。

魔法をかけられたかのように(それまでとはうって変わって)精度の高いパスを2度も続けてゴール前に放り込んできたオーリエ選手(そしてそのボールに合わせた選手たち)を褒めるのは簡単だし、オーリエ選手のサイドで完全にフリーな状態でクロスを上げさせてしまった選手たち(香川選手、長友選手)を責めるのはもっと簡単。

だけど、そもそもあの「悪夢の5分間」以前に、90分の間、これまで4年間積み重ねてきた美しい攻撃スタイルの片鱗すら、ほとんど見せることができなかった理由はどこにあるのか*4、ということに目を向けなければ、観戦者としても「次」につながる何かは得られないだろうと思う。

巷では、「次は頑張れ」的な紋切型の応援常套句が飛び交う一方で、「初戦に負けたチームが決勝トーナメントに残る確率は○○%」といったペシミスティックなトーンの情報も飛び交っている。
確かに3試合しかないグループリーグで、初戦を落とせば、後が苦しくなるのは当然のことで、「頑張ったけど今回はダメでしたね」的な見出しを各メディアが用意し始めたような雰囲気も、ひたひたと伝わってくる。

しかし、この4年間、アジア杯からW杯最終予選、昨年のコンフェデ、欧州遠征に至るまで、節目節目で代表の試合を見て、素人目にもわかるくらいの、4年前からの「進化の証」を感じ取ってきた一代表サポーターとしては、そんな紋切り型のフレーズでこの4年間を終わらせてはいけない、と強く願う。

奇しくも、大会前に発売されたNumber誌の中で、遠藤保仁選手が、インタビューに対して次のように答えている。

‐グループリーグの3ヵ国の情報については、インプットされているのか。
「ハッキリしているのは、コートジボワールは、個人能力がめちゃくちゃ高いってこと。(中略)そういう相手には、高い位置でプレッシャーを掛け、運動量を始め、すべてで相手を上回らないと勝てない。プレスが甘くなり、スペースが空きだして個人能力を発揮しやすい状況になると厳しくなるだろうね。俺は、一番やっかいな相手だと思っている。
‐初戦は重要だと思うが。
「初戦が重要?う〜ん、どうだろうね。初戦に勝てば確かに乗っていけるけど、すべてじゃない。前回優勝したスペインだって、初戦を落としたし、2戦目に勝てば初戦がダメでも取り戻せる。グループリーグで1位になることが目標ではなく、決勝トーナメントに上がることが重要なんで、初戦は3試合の最初の1試合目という意識でしかない
佐藤俊「遠藤保仁『不安はまったくない』」Number854・855・856号34〜35頁(2014年)

まるで、今日の試合の結果を予言していたかのような遠藤選手のコメントは、一方で「初戦で負けたらそのままズルズル行ってしまった」過去2回の大会と今大会とが、異なる形になる可能性をわずかに感じさせる材料でもある。

自分たちの型を示せた時の日本代表は、目の肥えたブラジル国民すら唸らせるくらい美しく、そして強い。

それを知っているからこそ、2戦目以降、心の中のリミッターを外した選手たちが、必ず4年間の成長の証を示してくれるものと、自分は信じている。

*1:長谷部選手を遠藤選手に交替させたことで、守備が弱体化してあの2失点につながった、という声は多いのだが、後半の立ち上がりからメンバーを入れ替えて、ボールキープする時間帯を意図的に増やすことを試みていれば、あんな無残な時間帯は生まれなかったはず。そもそも、「攻めて勝つ」というのがチームコンセプトだったはずのザックジャパンで、全盛期に比べてボールをつなぐ力が落ちている長谷部選手が先発で使われた意図は、良く分からない。

*2:特に、本田選手の運動量とプレーの正確性が、後半に入ってガクッと落ちて、時折繰り出すパスが、ことごとく逆襲のピンチを招くリスク要因になってしまっていたのは、残念な限りだった。本田選手の場合前半の動きが良かっただけに、バッシングを一身に受けている香川選手と比べると、あまり批判の遡上に上げられていないように思われるが、後半だけ見ると、“どっちもどっち”感が強かった。

*3:運悪く解説が岡田前監督だった、ということもあり、ポジション変更のたびにテレビから流れてくる解説は、一言二言皮肉が混じったようなコメントが多かった。大久保選手をサイドに張り付けて本田選手をワントップで使う、という悪い冗談のような戦術(「日本らしくない」という評価を受けた4年前の岡田戦術の完全コピー・・・)や、吉田選手を前線に上げてのなりふり構わぬロングボール戦術(これをやるんだったら、闘莉王選手連れてきておけよ、と思った古いサポーターは、数千人単位で存在することだろう)を目の前で見せられたら、ああでも言わないと収まらないだろう、という気持ちは良く分かる。

*4:純粋にピッチ上の選手たちのメンタルに起因する話なのか、それともベンチが考えていた戦術が伝わっていなかった(あるいは戦術自体に迷いがあった)のか、はたまた、選手たちのコンディションが、“美しい攻撃”を再現できるようなレベルにまで戻っていなかったのか等々、理由はいくつも考えられる。

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