最近、「カラスの鳴かない日はあっても、法科大学院が叩かれているのを見かけない日はない」と言いたくなるくらい、現在の法曹養成制度に対する逆風が吹き荒れている。
法科大学院の募集停止はもはや20例近くに達し、最近ではベタ記事にすらなるかならないか、という程度のニュースになってしまっているのだが、それに代わって、ホットイシューになっているのが「予備試験」をめぐる問題である。
特に、「予備試験受験者数が法科大学院受験者数を上回った」というニュースが大々的に報じられて以降*1、一気に様々な思惑に基づく動きが加速しているように見える。
発端は、5月下旬に報じられた、予備試験に対する「受験制限」検討というニュース。
元々、法科大学院関係者の間で燻っていた話とはいえ、あまりに露骨すぎる動きで、個人的には眉をひそめていたところ、6月12日に、政府が毅然とした態度を示す。
「政府の法曹養成制度改革推進室は12日、法科大学院を修了しなくても司法試験の受験資格が得られる予備試験の受験資格を制限するのは困難との見解を示した。法務省で開かれた有識者会議で明らかにした。」
「改革推進室は、予備試験の受験資格を(1)資力のない人や社会人経験のある人、(2)一定の年齢以上、(3)法科大学院に在籍していない人‐などに制限する案を検討したが、法曹志望者の減少につながるとして『現時点で制限するのは困難』と結論づけた。改革推進室は来年7月までに結論を出す予定」
(日本経済新聞2014年6月13日付朝刊・第38面、強調筆者、以下同じ)
かつて、新旧併存時代に、法科大学院を「保険」に特攻を試みてきた若手受験生に、少なからず合格枠を奪われる苦い経験を味わった身としては、上記(1)〜(3)のうち、「法科大学院在籍者を予備試験の受験対象から除外する(あるいは新司法試験の受験回数にカウントする等の不利益を課す)」ということくらいは考える余地もあるのでは、と一瞬思ったのであるが、あくまで司法試験の受験資格を得るための手段に過ぎない「予備試験」と、かつての旧司法試験を同じ扱いにするのは不合理だし、潜在的受験生が「予備試験か法科大学院か」という二者択一を迫られることになれば、法科大学院の経営に益々悪影響が出ることが懸念されるゆえに、「いずれも採用不可」という結論になったのだろう。
そして「法曹志望者をこれ以上減らさない」という観点からは、極めて賢明な判断だと自分も思う。
ところが、これで落ち着くかと思われた矢先、今度は法科大学院側が驚くべき行動を示した。
「東京大や京都大など6大学の法科大学院は13日、通過すれば司法試験を受験できる予備試験に関する提言を法務省や文部科学省などに提出した。学生の関心が予備試験対策に向いていることを踏まえ『制度の趣旨に反する状況になっている』と指摘。予備試験に受験資格を設けるほか、法科大学院出身者と同程度の幅広い知識を問うために科目数を増やすよう求めた。」(日本経済新聞2014年6月14日付朝刊・第38面)
この記事を見た時、自分はため息しか出てこなかった(苦笑)。
6月17日付の日経新聞朝刊、「真相深層」というコーナーでは、早速、このニュースを取りあげながら、「法科大学院の現状の問題点」をいつも通りの切り口で描き、「法科大学院 理念倒れ」という痛烈な見出しを付けて、
「法曹養成を巡る最近の迷走は、むしろ若者を遠ざけつつある。」(日本経済新聞2014年6月17日付朝刊・第2面)
と括っているのだが、そもそも、法科大学院の理念云々の本筋論以前に、「緊急提言」には不可解なところが多い。
特に「科目数を増やす」というくだり。
法科大学院修了者がいかに多くの単位を履修することが義務付けられている、といっても、そういった多数の科目を履修してふさわしい知識・能力を身に付けたかどうかを共通した物差しで測る機会は一切存在しない、という状況で、「予備試験」合格者にだけ、先端・展開領域も含めた幅広い法的知識を身に付けている、というお墨付きを与えてしまうことになれば、それが、野心に満ちた学部生にとって格好のアピールの場となるのは間違いないわけで、若手がますます「予備試験」に関心を向けることは避けられないだろう。
いくら受験資格に経済状況等による制限を設ける、といったところで、“2年間左うちわで大学院の学費を払える世帯”なんていうのは、世の中ではごくごく少数派(ゆえに、上位校の法科大学院生の多くは奨学金を受給している)なのだから、実質的にはほとんど機能しない。
そして、お金はなくても、勉強する時間を確保することにかけては恵まれている一部の優秀な学部生たちが、「科目数の増えた予備試験」にターゲットを合わせてくれば、そのハードルを越えることは、そんなに難しいことではない。
結局のところ、「科目数を増やす」という策は、細々と身を削って勉強時間を確保している社会人受験生への参入障壁(というか、ある種の“嫌がらせ”に近い)にはなっても、(法科大学院側が一番入学してほしいと思っているであろう)若手受験生にとっては、新たな“権威づけ”に他ならないのであって、こういう策をわざわざ「提言」として提示してくるところに、潜在的受験者層の心理を理解できずに迷走を繰り返す今の法科大学院関係者の問題性が如実に反映されている、と言わざるを得ないように思われる。
そして、法科大学院側がこういう動きをすればするほど、様々なサイドからの反発と嘲笑を招き、かえって墓穴を掘ることになるのではないか・・・という心配さえ湧いてくる。
「予備試験」の話は、いずれ、常識的なところで落ち着くことになるだろう。
ただ、法曹人口増加の掛け声とは裏腹に、法曹を志願する人々の数がこれだけ大幅に減少してしまっていることを考えると、現在の「法科大学院ルート」を基軸とした“すみわけ”を維持するだけでは、どうにもならない、というのも確か。
大事なのは、既存の「法科大学院」という制度を守ることではなく、「社会を支える法律専門家の質(と量)」を維持し続けることにあるはずだし、そのためには、「法曹を目指そうとする人々の層」、「法律知識を生かして社会で活躍することを望む人々の層」をこれ以上減らさないことが何よりも大事であるはずなのだから、この先何をすべきなのか、もう少しスピード感を上げて真摯に検討すべき時が来ているのではないか、と自分は思っている。
この先、どういう方向に議論が向かうのかは分からないけれど、今、自分が考えていることは、また稿を改めて書き残しておくことにしたい。