検察審が同じ過ちを繰り返さないようにするために。

東京第5検察審査会が、東電の元役員3名(勝俣元会長、武藤元副社長、武黒元フェロー)に対して「起訴相当」と議決した、というニュースが、31日の夕刊から今日にかけて、大きく報道されている。

検察審査会法のルール上、“強制起訴”に至るまでには、さらに「不起訴」→「2度目の起訴相当議決」を経る必要があるし、今回の議決が、このまま2回目も維持されるかどうかは、現時点では全く予測できない。

ただ、

原発事業を担う電力会社の取締役はとりわけ『安全性確保に極めて高度な注意義務を負う』と指摘し、3人が必要な義務を怠ったと判断した」(日本経済新聞2014年8月1日付朝刊・第39面)

として、検察審が「起訴相当」としたことのインパクトはかなりのものであり、今後、いろいろと議論を呼ぶことにもなりそうな気配である。

自分は、これまで、このブログで再三コメントしているとおり、組織としての「企業」が責めを負うべき事故について「個人」の刑事責任を問うこと自体に、慎重であるべきだと考えているし、ましてや、検察官が、「刑事責任を問うことはできない(起訴猶予ではなく、嫌疑不十分である)」といったん判断したものを検察審査会が蒸し返すことについては、よりいっそう慎重になるべきだと考えている*1

前記日経紙の記事に添えて掲載された、

「刑事責任の立証は難しく有罪になる可能性は低いかもしれないが、未曽有の原発事故について責任の所在や原因を明らかにするために意義ある議決だ。」(同上)

という板倉宏名誉教授のコメントのように、「真実を明らかにする意義」を検察審査会の議決に見出す発想が、依然として世の中に根強く残っていることは事実だし、そのような感情を決して少なくない人々が抱いてしまうことを、理解できないわけではない。

しかし、明石歩道橋事故や福知山線事故、そして、陸山会事件、といった、これまでの強制起訴事件の顛末を見れば分かるように、現在の我が国の刑事訴訟の構造は、

「何が真実か」
「真の責任は『誰』にあるのか」

ということを、裁判所が訴訟の場で、自由に探索することができるような仕組みにはなっていない。

裁判所が示すことができるのは、「訴追側が証明しようとした事実の存在に合理的な疑いを差し挟む余地があるかどうか」ということと、「訴追された者が訴追側が主張する罪責を負うか」ということだけであり、訴訟における当事者の攻防も、全てこれらの点に集中することになる。

したがって、大がかりな事件、事故になればなるほど、争点形成は局地的、限定的なものとなり、全体像は自ずからぼやけてくる。

そして、仮に今回のケースで、検察審査会が再度「起訴相当」議決を行い、指定弁護士による強制起訴がなされることになったとしても、結局、行き着くところは同じ、ということにならざるを得ないように思われる*2


今回が“まだ1回目”の議決、ということで、検察審査会の判断をあえて擁護するならば、

本件事故後、複数の事故調査委員会が、未解明の点を残したまま、性急とさえ言いたくなるようなスピードで、まちまちに“結論”を出したことで、かえって根本的な事故原因が曖昧になっている。

という現状を踏まえ、「その後、世に出された知見や、司法権力による新たな補充捜査によって得られた情報をかき集めることで、よりいっそう事故原因の核心部分に迫ることができる」といった意義は、一応見出せるのかもしれない*3

また、今後の原発再稼働の問題ともかかわる「結果回避可能性の有無」という問題についても、補充捜査で関係者や専門家の供述等を固めることができれば、今後の議論をだいぶ整理することができるだろう*4


だが、これらのことも、全ては今回の議決を受けて本格的な補充捜査が行われた場合の話に過ぎず、しかも捜査段階で決定的な「証拠」となるような資料が集まらなければそれまで、という話に過ぎない。

そういった再捜査の“成果”なしに、“真相解明”を、真っ裸の状態で裁判所に委ねるような選択がなされることがないかどうか。
「次」の議決にかかる検察審査会の責任は重大だし、その際に、これまでの“失敗”事例が十分に生かされることを、自分は願ってやまない。

*1:直近のエントリーとしては、http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130928/138064255など。

*2:おそらく、過失責任を基礎づける被告人の職務権限の範囲や、被告人が出席していた会議体等でのやり取り(さらにそれらのやり取りに基づく事故結果の予見可能性の有無)に関する争いに多くの時間が費やされることになり、時には些末ともいえるようなところで紛糾して、肝心要な部分についてはもやもやしたまま、審理を終えることになってしまうのではなかろうか。

*3:もっとも、「補充捜査」といったところで、未だに高い放射線量が記録されている事故現場に行って捜査官が新たな材料を集めてくる、といったようなことができるとは到底思えず、不起訴裁定時と実質的にはほとんど変わりないレベルの材料しか残せない可能性も高いように思われる。

*4:ここで、「結果回避可能性があった」ということになれば、被告人にとっては厳しい方向に傾くリスクが増すことになる一方で、「結果回避可能性がなかった」ということを当事者が強調してしまうと、今後の再稼働の議論に影響を与えることは否定できない(たとえどんなに大きな災害を予見できたとしても、それに対する措置を講じることが不可能だった、ということになってしまうのであれば、そう簡単に原発の再稼働を認めるわけにはいかない、ということになりそうである)。本件事故の責任追及や、再稼働をめぐる議論の中で、ともすればボヤケがちになっている点であるが、ここを明確にせずして、議論を先に進めるのは、本来は禁じ手だと個人的には思っている。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html