「盆暮れ正月」というけれど。

世間では、「お盆」ということのようで、週も後半に向かえば向かうほど、会社の中を緩んだムードが覆ってくる。
特定の業種のような、“一斉休暇”の慣行はないから、自分は普段と変わらず出社しているし、周りを見回しても、そんな人がチラホラ、という感じではあるのだが、それでもお互い「(こんな時に会社来るなんて)仕事大変なの?」的な視線になってしまうので、どうもやりづらい。

確かに、「盆暮れ正月&GWもなく・・・」というと、一般的には“忙しさ”を強調するフレーズになるのだが・・・。


自分の場合、両親とも(片方はその親の代から)、いわば故郷を捨てて東京方面に出てきた人たちなので、子どもの頃から「お盆」という風習を経験したことがない。
霊をお迎えしようにも、知っている限りの「ご先祖様」は皆存命で、この世にいない人はとっくの昔に去っていた(ようだ)から、「ご先祖様」がどこの誰で、どういう人だったのかなんて、ほとんど知らないし、聞かされたこともなかった*1

要は、「帰る故郷がない」というところに全ては由来する話で、昔はそういう、周りと違うのが嫌だな、と思ったこともなかったとは言わないが、今となっては、それもほとんど気にならない。

長年、東京の方に生活基盤を持っている人でも、その辺だけはしっかりやっている人もいるから一概には言えないのだが、自分の周りを見回す限りでは、世代が下れば下るほど、そして、“ふるさと”との世代的、心理的距離が離れれば離れるほど、自分と同じような境遇の人は増えてきているように思うから、いずれ「お盆」といっても、古い時代の歳時記の中の出来事、と受け止められるような時代がきっと来ることだろう。

なので、「お盆もなく・・・」というところに違和感を抱かれることも、もう少し経てばなくなるのかな、なんて、ちょっと期待してみたりもするが・・・。

個人的には、古の日本に敬意を表する、という観点と、働き過ぎの日本人に休暇を与える口実にする、という観点から、この時期に「国民の祝日」を連続でぶち込んで、真夏の「GW」を人為的に生み出す、なんて発想があっても良いとは思っている*2

*1:さらに言えば、自分自身、あまり興味がないから、聞こうとも思わなかった。

*2:既に8月11日が「山の日」になるようだし、8月15日の終戦記念日だって、国民の休日化する意義は十分にあると思っている。あとは、自動的に振り替え休日が発生するシステムにすれば・・・というと、やり過ぎになってしまうだろうか。

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