ノーベル賞報道がもたらしたフラッシュバック。

#なぜか二重投稿になってしまったので、再投稿します。ブクマ、リンク等付けてくださった皆様、申し訳ございません。

ノーベル賞ウィークが始まって間もない火曜日の夜に、突如として飛び込んできた日本の3氏*1によるノーベル物理学賞受賞のニュース。

青色発光ダイオード」の発明と実用化に貢献した、として、赤崎勇・名城大教授、天野浩・名古屋大教授と並び、(知財を少しでもかじった者であれば知らぬ者はない)中村修二・米カリフォルニア大教授のお名前も、受賞者の中に挙がっていた。

青色LED」が画期的な発明であることは、もう10年以上前から言われていたことで、夜の街を彩るライトアップの光が、21世紀に入って以降、すっかり「白と青」の発光ダイオードに置き換えられたことからも分かるように、「実用化」という観点からも社会に爆発的なインパクトをもたらしたものであることは間違いない。

そして、材料である化学物質(窒化ガリウム)がキモの発明だったにもかかわらず、「化学」ではなく「物理学」の分野での受賞となったことや、今回の対象者が「青色LED」の開発者だけで、「LED」そのものの実用化に貢献した研究者までは対象にならなかった、ということを除けば、この3氏がノーベル賞を受賞したことについて異を唱える人は、ほとんどいないことだろう。

だが、いつもと同じような“功績に対する称賛”一辺倒の報道に紛れて、ところどころに、「過去の訴訟」の話が出てくるのを見ると、やはり今回の受賞者の異色さと、10年前の職務発明対価請求訴訟のインパクトの大きさを感じずにはいられなかった*2

8日付日経紙の中村修二氏へのインタビュー記事(一問一答)を見ても、

‐日米で訴訟を抱えたが。
「米国に来たら、以前いた会社に企業秘密漏洩の疑いで訴えられた。頭にきたので日本では原告になって会社を訴えた。『裁判なんかやったらノーベル賞をもらえなくなる』と言われたが、やりたいようにやってきた。こうしてノーベル賞をもらえて非常にうれしい」
日本経済新聞2014年10月8日付朝刊・第3面)

というストレートなコメントが掲載されているし、そんな流れの中で、

「日本人がノーベル賞を受賞したことは、大変喜ばしい。とりわけ、授賞理由が中村氏を含む多くの日亜化学社員と企業努力によって実現した青色LEDであることは、日亜化学にとっても誇らしい。」(日本経済新聞2014年10月8日付朝刊・第4面)

という、慎重に言葉を選びつつも、決して「中村修二氏だけの手柄」としては認めない、日亜化学のトゲのあるコメントに接すると、まだまだあの事件は、関係者の心の中で生きているのだなぁ・・・と思わずにはいられなかった*3


なお、個人的な感想としては、今回、中村氏がノーベル賞を受賞したからといって、約10年前の事件に関し、「やっぱり地裁判決の方が正しかったんじゃないか」とか、「高裁での和解内容は不当だった」ということにはならないだろう、と思う。
当時から、中村氏の特許の内容は、「ノーベル賞級、我が国最高レベルの発明である」という前提で審理が進められており、それを前提に、発明によって会社が得た利益と、中村氏の「個人」としての貢献度を勘案した結果が、「全ての特許を一括して約8億4000万円を支払う」という和解内容に結実したのであるから、中村氏が現実にノーベル賞を受賞したからといって、何かが大きく変わるわけではない。

また、今回の中村氏の受賞が、現在進められている職務発明制度の見直し議論に影響するのでは?というSNS上のコメントもちらほら見かける。

確かに、後のノーベル賞研究者が生み出した「基本特許」たる発明に、当時の在籍企業が微々たる対価しか払っておらず、しかも、その後、今の産業界側の主張とは真逆に、「処遇に憤った研究者の方が日本を出て行ってしまった」という現実があるだけに、「企業の自主性に任せておいて本当に大丈夫なのか?」という議論に結び付けられても不思議ではないだろう、と思う。

ただ、中村氏の過去の発言を良く読めば、「職務発明に関する取扱い」が、彼が米国への移籍、移住を決意した決定的な理由ではない、ということはすぐに分かるし*4、そもそも、僅か数万円の発明対価でも、中村氏がその後も何年も開発に従事していたことを考えると、むしろ、「対価」と発明のインセンティブは直接結びつかない、ということを裏付けているようにも思えるわけで、今回の受賞を引き合いに出して、「職務発明制度」についてあれこれ論じるのは、自分はお門違いなことではないかと思っている*5


発明者側の代理人が、「職務発明の帰属」から始まるドラスティックな主張を展開し、(当時は今以上に保守的だった)会社側の代理人が、あたかも無効審判請求人のような“特許つぶし”の主張を展開して*6、全くかみ合わないカオスのような光景が法廷で展開されることになってしまった(世間の注目も浴びていた事件だっただけに、お互い引くに引けなかった、というところかもしれないが・・・)、そして、その状況の中で、一審の裁判所が出した判断のインパクトがあまりに強すぎた*7、というのが、「青色LED職務発明事件」の最大の不幸だった、と自分は思っている。

そして、破天荒な潰し合い訴訟の過程で、“応援団”によって、両当事者(特に中村氏)が一種のアイコン化され、元々存在した会社と元社員との溝が、ますます広がっていくことになってしまった・・・。

今の受賞者、当事企業双方のコメント等を見る限り、10年経っても、まだまだ雪解けには遠いのかなぁ、と思わずにはいられないし、“怒りのエネルギー”で研究に打ち込んで成果を上げてきた未だ現役の研究者に、“もう怒るな”というのは野暮な話なのだが、会社と個人の関係は、「敵か味方か」という単純な二項対立の話では本来ないと思うだけに、さらに時が流れた時には、双方で、何かが変わっていてくれることを願わずにはいられないのである・・・*8

*1:正確に言うと、既に米国籍を取得した中村修二氏を「日本」で括ってはいけないのかもしれないが、報道されている過去の受賞人数の中には、南部陽一郎博士も「日本のノーベル賞受賞者」としてカウントされているようだから、とりあえずこの表現にしておくことにする。

*2:青色LEDに関して言えば、赤崎氏、天野氏側の豊田合成と、中村氏側の日亜化学との間で繰り広げられた壮絶な特許訴訟バトル、というお話しもあるのだが、さすがにこの日の時点では、そこまで取り上げた報道は見当たらなかった。

*3:個人的には、ちょうど中村氏の職務発明訴訟が話題になっている頃に、「企業所属の研究者」としてノーベル化学賞を受賞し、あちこちで、「研究者の処遇についてどう思いますか?」とか、「発明対価は請求しますか?」等の少々気の毒な質問を浴びせられていた、田中耕一氏のコメントも改めて聞いてみたい気はするが・・・(当時の田中氏の切り返しは、極めて味のある中身で、さすが一流の技術者は違う・・・と思ったものだった)。

*4:もちろん、当時から話題になっていた“スレイブ・ナカムラ”のようなエピソードもあるものの、どちらかと言えば、中村氏が突き付けたのは、「企業という組織の中で、『研究者』としての生き方をどこまで尊重できるか」というより本質的な問題の方であって、その問題の大きさに比べれば、「職務発明対価」の話は、些細なことにすぎなかったように思えてならない。

*5:元々、あの訴訟に関しては、「前提」の特殊性ゆえに、平成16年に地裁判決が出された後も、「600億円」(裁判上の認容額は200億円)という数字や、「会社貢献度50%」という数字が、同種訴訟の「相場」として用いられることはなかった。これまでの「職務発明訴訟」の流れの中では、明らかに“異端”として位置づけられているのがこの事件の地裁判決であり、それこそが、中村修二氏の、他の企業内研究者を超越した存在感を表しているのではないかと思う。

*6:これは、当時、日亜化学という会社が、豊田合成と壮絶な無効審判請求の打ち合いをしていた、という背景があったことも影響しているのかもしれない。競争事業者同士の特許紛争であれば、相手の特許を力づくで潰しに行く、という戦術は違和感がないのだが、それまで「基本特許」とされていた404特許を、(訴訟戦術とはいえ)日亜化学が自ら潰す主張をする光景、というのは、正直言えば見るに堪えなかったし、発明者側のみならず、裁判所の心証をも著しく害したであろうことは、容易に想像が付く。

*7:本来であれば、高裁の和解額だって超ど級の数字なのに、地裁の判決の数字があまりに大きすぎた故に、被告側のみならず、原告側にも敗北感を与える結果となってしまった。

*8:中村氏が、20年後に「私の履歴書」で何かを語られるようになる頃には・・・というところだろうか。

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