Daisuke Forever...

今年の五輪が終わった時点で、何となく想像できていたことではあるのだが、いざ、ニュースとして報じられると、やはりひとつの時代の「区切り」を感じずにはいられない。

フィギュアスケート男子で2010年バンクーバー冬季五輪銅メダリストの高橋大輔(28、関大大学院)が14日、現役引退を表明した。岡山市内で記者会見し『次の目標に進むために線を引きたい』と語った。日本スケート連盟に引退届も提出した。」(日本経済新聞2014年10月15日付朝刊・第41面)

新聞やテレビのニュースでは、「五輪銅メダリスト引退」という見出しで括られてしまっていたのだが、高橋選手がこれまで日本の、そして世界のフィギュアスケート界に残してきた足跡を、そんな一言で片づけられるはずがない。

日本国内では、全日本フィギュアで4連覇を含む5度の優勝。始めて入賞した2001-2002シーズンから、実に12シーズンにわたって、入賞という結果を残し続けた(大怪我で棒に振った2008-09シーズンを除く。)*1
世界選手権では、ご存じのとおり、バンクーバー五輪直後のトリノ大会で、日本人として初の優勝*2
選手生命が危ぶまれるような大怪我を経験しながらも、出場した6大会連続で入賞を続けていた(その間、2度の2位、という成績も残している)。
グランプリファイナルも、2005-2006シーズンから7大会出場し、(結果的には)選手生活末期に差し掛かっていた2012年に、こちらも日本人初の優勝を遂げている。

そして、戦績以上に、フィギュアスケートの“芸術性”を全身で表現するような美しい滑りが、世界中の人々を魅了していた、ということは、フィギュアスケートをちょっとでも見たことのある人なら、誰もが知っていることだろう。

特に、欧州、カナダ、米国、と目の肥えたファンが多い国に行けばいくほど、会場と一体になった“熱”を感じることが多かったような気がする(あくまでテレビ画面越しだけど・・・)。

とにかく、記録もきっちり残し、それ以上に「記憶」にもしっかり刻み込まれた、そんな選手だった。

客観的に見れば、羽生結弦選手という、若き五輪金メダリストがこの国から輩出されたいま、日本のフィギュアスケート界を10年近く引っ張ってきた高橋大輔選手の役割は、もはや終わった、というべきなのかもしれないが、見ていた側としては、まだまだ名残惜しいし、休養に入った浅田真央選手とともに、日本スケート界の“看板”が姿を消す今年の全日本フィギュアがどんな大会になってしまうのか、今から早くも不安を感じずにはいられない・・・*3



ちなみに、引退会見を紹介する日経紙の記事の中で、非常に自分の印象に残ったのは、以下のくだりである。

「会見で特に実感を込めて振り返ったのが、過去の全日本選手権の光景だった。『女子が終わった後の男子のフリーで(観衆の)人数がガクッと減った。すごく悔しくて、あれがモチベーションになって頑張ってきた』(同上)

先日ノーベル賞をとった中村修二教授の例を見るまでもなく、超越したブレイクスルーを生み出す人の原点には、何かしら「怒り」や「悔しさ」といったエネルギーの着火点があるもので、そんな中、21世紀初頭の日本のフィギュア界の“女尊男卑”的な風潮は、モチベーションにつながるにはふさわしいものだった、というべきなのかもしれない*4

そして、そんな苦しい時代に重たいバトンを引き継いだ選手だったからこそ、大事な場面で決して席を譲らず*5、幾たびの大けがを経験しても、リハビリを経て、不死鳥のように蘇ることができたのではなかろうか。

見た目や演技スタイルの印象から、どちらかと言えば、高橋選手から“柔らかい選手”という印象を受けた人は多かったと思うし、自分もその一人だったのだが、今考えると、「第一人者」として背負ってきた怒りや悔しさを、銀盤の外でのパフォーマンスではなく、銀盤上での演技にのみ昇華させることができた、というところに、彼の“偉業”達成の秘訣があったように思えてならないのである。


最後に、これまでの10シーズン以上にわたる高橋大輔選手のプログラムの中で、自分がベストだと思っているのを挙げるなら、(ありきたりではあるが)

ショート 白鳥の湖(ヒップホップVer.)(2007-2008)
フリー  映画『道』のテーマ(2009-2010)

ということになるだろうか。

白鳥の湖」の後半に盛り込まれた激しいステップの嵐は、まさに「革命」と呼ぶにふさわしいものだったし、情感あふれる演技で音楽とフェリーニの世界観を完ぺきに表現した「道」のテーマの演技は、特にトリノ(世界選手権)の地で見事なまでに映えた*6


順調な成長サイクルを遂げている男子フィギュア界の現状に鑑みれば、高橋大輔選手よりも高い得点を出せる日本人選手は、これからも次々と出てくることだろう。
だが、彼ほどに銀盤上で情感を豊かに表現できる選手が現れるか、彼ほどに毎シーズン最初の大会で観衆をあっと驚かせるような新しいチャレンジをやってのける選手がこの先現れるか、というと、それが確実に現れる、と言い切れる人は、どこにもいないはず。

「永遠」と思われた記憶にも記録にも、いつかは終わりが来るものだけれど、その日が来るまでは、高橋大輔、というスケーターが残した足跡の大きさと重さをかみしめながら、いつか“穴”が埋まる日が来ることを願いつつ、これからの世界を眺めていくことにしたい。

*1:その一世代前に、天才と呼ばれ、日本男子の世界への扉を開いた本田武史選手(日本選手権で6度の優勝)でも、そこまで長期にわたってコンスタントには結果を残せていない。

*2:世界チャンピオンに対して、五輪のメダルの色だけを冠して報道するのは、とても失礼なことではないかと個人的には思っている。

*3:安藤、浅田、鈴木明子、といった選手たちが続々とリンクを離れ、世界で「3枠」を確保する事さえ危ぶまれる女子に比べれば、羽生選手でまだまだ勝負できる男子の方が安心はできるのだが、それでも、高橋大輔選手のような粋な演技ができる選手は、そう簡単に出てくるものではないと思う。

*4:確かに、トリノ五輪の頃までは、日本国内の国際大会でも、日本人選手に向けられる声援より、外国から来たスター選手(古くはキャンデロロ選手、その後もヤグディン、ストイコ、そして、プルシェンコ等々)に向けられる声援の方がはるかに多かった。

*5:一世代前とは異なり、高橋大輔選手が世界の一線に飛び出した時代、というのは、国内でも織田信成小塚崇彦といった、世界に出ても十分最終グループで勝負できるレベルの選手たちが競り合っていた時代であるが、五輪出場権をはじめとして、大事なところでは自分のポジションを決して譲らず、きっちり「看板」としての立場を守り続けている。トリノ五輪の前年の世界選手権で、当時のエース・本田武史選手のアクシデントに動揺して五輪出場枠を減らしてしまったこと、そして、その責任を背負って臨んだ05-06年シーズンの全日本で、織田選手の“自滅”に助けられて五輪切符を手にし、不本意ながらも初出場で8位入賞、という最低限のミッションを達成した、という経験が、彼を一回り強い選手にした、との見方もできるところであるが・・・。

*6:あまりに感動したので、当時映画のDVDを借りて見てしまったくらいだった(笑)。

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