「和」の貴さを感じたとき。

東日本大震災から、間もなく3年と9カ月・・・という2014年12月3日に、仙台高裁で一つの和解が成立、というニュースが報じられた。

東日本大震災津波で送迎バスが流されて死亡した宮城県石巻市の私立日和幼稚園の園児4人の遺族が、計約2億6700万円の損害賠償を園側に求めた訴訟は3日、仙台高裁(中西茂裁判長)で和解が成立した。園側が法的責任を認めて謝罪し、計6千万円を支払うなどの内容。」(日本経済新聞2014年12月4日付朝刊・第42面)

仙台地裁が幼稚園側敗訴の判決を書いたのは、ちょうど1年前の9月。

震災後、何度も足を運んだ石巻で、被災の傷跡が生々しく残っていた門脇、南浜地区の姿を目にしてきたものとして、そして、「自分が津波の被災地区で、あの時、責任ある立場にあったとしたら*1、どう振る舞っただろうか」と、常に自分の胸に問い続けてきた者としては、地裁判決が示した1億7700万円という大きな賠償額以上に、「あのどうにもならないような状況においても、現場にいた者(とその属する組織)が法的責任を負わねばならない」という事実の方が、遥かにショッキングだった。

民事事件における損害賠償責任の有無は、「被告」に対する単純な“善悪”の判断によって決まるものではないし、どんな事件でも、結論の背後には、「損害の公平な分担」という観点からの、原告・被告間の“相対的”なバランスへの配慮がある、ということは、自分も重々承知していたつもりなのだが、判決文を何度か読み返しても、どうしても腑に落ちるような感覚は得られず*2、かといって、「原告の請求を全面的に棄却すべき」とまでは割り切ることもできなかった。

そんな難しい事件だっただけに、控訴審開始直後から、粘り強く和解協議を設定し、1年がかりで双方が前向きなコメントを出せるような和解を成立させた仙台高裁には、ただただ感服するほかない。

そして、あちこちの記事で、

「園児らの犠牲を教訓として長く記憶にとどめ、防災対策に生かすべきだ」(同上)

という「裁判所の考え」の明記や、幼稚園側が「法的責任を認めて謝罪し」た、ということが取り上げられているのを目にすると、ここに至るまでに、当事者と裁判所の三者間でどれだけのやり取りが交わされ、一言一句が吟味されたか、ということを想像して、頭が下がる思いである。。

「法的責任を認め、高額の賠償金を支払う」という今回の結論を、幼稚園側がどのように受け止めたのか、そして、

「それぞれが大きな悲しみと困難を乗り越え、和解に至ったことは貴いことだ」(同上)

という幼稚園側のコメントを見た原告らが、どういう感想を抱いたのか・・・。

そういったことを掘り下げていくとキリがないのだけれど、ここで一つの決着がついたことが、実に貴いことである、ということは、自分も改めて強調しておくことにしたい。

*1:ちょっとした運命の綾で、自分もそういう立場に立たされる可能性はあった。

*2:その後、何件か出された津波被災者遺族による同種事件の判決と比較しても、本件での地裁の判断は実に微妙なものだったとおもぅ。