歴史は繰り返す〜「法学部不人気」の報道に接して

ここ数年、景気の良い話をあまり聞かない「法曹」業界。
特に、供給される「ヒト」をめぐる問題は、現場レベルでも相当深刻なようで、司法試験受験者や法科大学院進学者だけでなく、その主たる供給源であるはずの「法学部を目指す学生」自体が減ってしまっている、という声すら聞こえるようになってきている。

そんな中、日経紙の「大学」面で、「法学部」の特集が組まれることになった。

「文系の花形だった法学部を見直す大学が相次いでいる。最難関の東京大などはカリキュラム改革に乗り出し、地方私大では法学部を廃止する動きもある。背景には就職難や国際系学部の台頭などによる人気低迷がある。」
「『就職でつぶしが効く』といわれた法学部の真価が問われている。」
日本経済新聞2015年1月19日付朝刊・第19面)

記事の中では、2007年度に約28万2000人いた法学部の志願者数が、2014年度に16%減の約23万8000人になっており、経済学部等と比べても減り幅が大きい、ということが紹介されているほか、

東大の「公法コース」の名称が「法学総合コース」に変更される

ことや*1中央大学が「法曹」、「公共法務」、「企業」の3コースを選ぶカリキュラムに改められた、といった事例が紹介されている*2


・・・で、ここまで読んで、自分が抱いた感想は・・・・

「歴史、というのは繰り返すのだなぁ・・・(笑)」

という一言に尽きる。

自分が大学に入った90年代、というのは、冷戦が終わって、世界が目に見えて大きく変わろうとしていた時代である。
西に目を向ければ、東欧諸国で政変が相次ぎ、ベルリンの壁が壊れ、遂には、あの「ソ連」が解体されて、欧州では新たな連合体が発足する。
東の方に目を移せば、長らく続いた共和党政権が敗れ、民主党の若き大統領が頂点に立った。

そんな中、都会で教育を受けた、早熟な学生たちの目が、「外」の世界に向くのはある種の必然であり、100年前の“古典”をああだこうだ、といって解釈するような古臭い学問が人気を失うのも、決して不思議なことではなかったように思う。

結果として、当時、文科一類に入った人間で、最初の一年、二年、真面目に勉強していた人間は教養学部進振りに殺到し、そのルートにあぶれたものが第3類に、そして、ケセラセラ駒場時代を過ごし、消去法的選択をした者が自動的に法学部、それも法律科目の負担が軽い第2類(公法系)に進学する、という状況になった。

もちろん、自分も例外ではない。

最終的には、「本業で楽をせざるを得ない」状況を自ら作ってしまったがゆえに、穏当な進路を履歴書に刻む形になってしまったが、少なくとも10代の頃は、「教養学科への進学がかなわなければ、留年してでも・・・」というくらいの強い執念は持って、海の向こうの文献と格闘していた。

文科一類の場合、当時は、いわゆる導入的な法律科目の講義が、1年次にほぼ必修的なコマ割りで指定され、2年次からは専門科目の講義が始まるのだが、自分はそちらの方の教室にはほとんど足を運ばなかったし、「六法」らしい六法を買ったのも2年次の冬の期末試験の直前だから(苦笑)、それだけで、どれだけ「法律」というものに関心がなかったか、ということが分かるものだろう。

中には、「法曹」を目指して、あるいは、純粋に「法律」という学問に興味をもって、1年、2年の頃から、そちらの方向で熱心に取り組んでいた人がいたことは否定しないが、当時のキャンパス内の空気からすれば、それは明らかに“レア”な存在だったし*3、自分が、今、タイムスリップしてあの時代に戻ったとしても、1年からみっちり「法学部」の王道を歩む、という選択肢を取ることはあり得ない。

それがあの時代の空気を吸っていた者に共通する感覚だと思う。


ところが、自分が卒業してから、そんなに時間が経たないうちに、そんな空気は一変した。

学生一人一人のマインドはともかく、1類、2類、3類、という比率で言えば、法学部の王道である「第1類」(私法コース)が圧倒的な存在感を占めるようになったし、その頃になると、他学部に流れる人間もかなり減っていたはずである*4

背景としては、景気が一気に悪くなり、「官僚」という地位も魅力を失う中で、「資格を取って手に職を付ける」というマインドが充満するようになってきたことや、渋谷方面に拠点を持つ、某“黄色い予備校”が、入学早々から“青田刈り”を熱心に展開したことなど、いろいろ考えられるのだろうが、「法学部」という学部が、文系の世界において、21世紀に入ってからの「勝ち組」になっていたことは間違いない。

そして、そんな時代は、“司法試験バブル”を経て、“法科大学院構想”の夢がまだ語られていた時代までは、少なくとも続いていた・・・*5


こうした歴史を踏まえるならば、アジアやイスラム社会を中心に、世界の勢力図が再び大きく変動し、国内においてすら「グローバル化」が叫ばれている現在、「法学部」人気が落ちている、ということは、決して不思議なことではないし、大学側の必死の努力にもかかわらず、この「不人気」時代は、当面は続く(だが、それは永遠ではない)ということも、自ずから分かることだと思う。

次にどんなきっかけで、「法学部ブーム」が訪れるのか、今の自分に予測することはできないが、巡り巡って、“本流”に転じた者としては、繰り返す歴史が、ほんの少しでも前向きな軌跡を描いてくれることを、ただ、願うのみである。

*1:東大の法学部のコース見直しは、他にも「私法コース」が「法律プロフェッション・コース」となる、という名称変更があり、さらに旧公法コースが「第1類」に、旧私法コースが「第2類」になる(「1」と「2」のナンバリングが入れ替わる)という革命的な(笑)変更があるのだが、さすがにこの記事ではそこまで突っ込んでいない。

*2:なお、地方私大での法学部廃止の動き、も併せて記事になっているが、これは全体的なトレンドとはまた違う動きなのではないかな、と思うので、ここではあえて触れないことにする。

*3:自分の世代で、まっすぐに法曹になった人間を見回しても、大学入学当初からそういう道を目指していた人はごく少数で、卒業が近づいたころに、世間の「官僚、産業界バッシング」に接したり、公務員試験改革、就職活動自由化等の煽りを受けた結果、そちらの方向に行った、という人は、決して少なくない(というか、それが多数派ではなかろうか、という気がする。当時、そちらの世界に縁遠いところにいた者としての、多少の偏見は交ざっているかもしれないけれど)。

*4:あまりに急激な変化に、現役学部生とそんなに歳が離れていないOBだったはずの自分も、驚愕したものだった。

*5:なお、上記日経紙の記事の中では、「08年に起きたリーマン・ショック以降の就職難」が『潮目が変わった』背景として挙げられているが、上位校に関して言えば、そもそも「世間一般的な就職からの逃避」が法学部志向の背景にあったわけで、それが志願者減少の直接的な原因になっているとは到底思えない。むしろ、「新司法試験」と「その後の法曹就職難」の厳しい現実が世に知られるようになったことの影響の方が、はるかに大きいのではないか、と自分は推察する。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html