ついに“門戸開放”もここまで来た。

地方競馬で第一人者の地位にあった安藤勝己騎手が、一度の不合格を経て、騎手試験に合格したのは、2003年のこと。

あの時は、“馬だけではなく「人」にも、遂に門戸が開かれたのか・・・”と感慨深い思いを抱いたものだが、それから干支が一巡りした今年、とうとう門戸は、海の向こうにまで広がっていくことになった。

中央競馬の2015年度新規騎手免許試験合格者が5日発表され、ミルコ・デムーロ(36、イタリア)、クリストフ・ルメール(35、フランス)の2人が、競馬学校騎手課程修了者4人とともに合格した。」(日本経済新聞2015年2月6日付朝刊・第33面、強調筆者)

これまで、ジャパンカップWSJのような招待レース以外に外国人騎手が騎乗する場合、どんなに日本国内での実績があるジョッキーでも、「短期騎手免許」という制度を使って、限られた期間内のみ日本国内のレースに出る、ということしか(事実上)できなかった。

今回合格したルメール騎手が、2002年の初来日から昨年まで、足かけ13年で245勝(G1・5勝)、M・デムーロ騎手に至っては、1999年の初来日から昨年まで、実に足かけ16年で354勝(G1・7勝)していることからも分かるように、「短期免許」と言っても、外国人騎手は日本の競馬シーンにもはや欠かせない存在になっており、今や、どこの競馬場に行っても、短期免許取得中の外国人騎手が、大抵誰か一人くらいはいる、という状況ではあったのだが、それでも「短期」は「短期」。

騎乗できる期間はどうしても限られてしまうだけに、「新馬戦や条件戦で、絶妙のコンビを見せていたのに、肝心のクラシックレース本番では乗り替わってしまって・・・」というケースも決して少なくはなかった*1

そんな状況も、今年の春からは、大きく変わることになる。

M・デムーロにしても、ルメールにしても、それぞれの母国で実績のある一流ジョッキーで、現在でも欧州競馬界で十分通用するジョッキーなのだが、それでも10代の若者に交じって試験を受け*2、さらに合格後は、日本の騎手免許取得と引き換えに母国の免許を返上する、ということになっている。

そこまでして日本での騎乗にかける両ジョッキーが、これまでどおりの集中力を発揮して、毎週レースに臨むようなことになれば、リーディング争いは激変することになるだろう。

「中央移籍」の報を聞いた時に「数年後にはリーディング上位争い」することになるんじゃないかなぁ・・・*3と思っていた戸崎圭太騎手が、昨年、僅か2年目にして146勝を挙げ、一躍最多勝を獲得した、というのは、自分にとってはかなりの衝撃だったのだが*4、たった3ヶ月で、毎年20勝〜30勝台の勝ち鞍をコンスタントに挙げていた両外国人ジョッキーが本格的に参戦してきたら、一体どうなるのか・・・

地方競馬出身の騎手が増えてきた時にも言われたような、「日本人若手騎手の騎乗機会減少」等々の問題が、また浮上してきて、ああだこうだ、という話になる可能性もあるが、自分はそれ以上に、これが、日本の競馬界のレベルを名実ともに世界最高水準に引き上げる第一歩になることを期待してやまない。

そして、今回、日本の騎手免許を得た両ジョッキーが活躍すればするほど、ほんの少し生まれてきた時代が早かったために、「外国人第1号」になれなかった、オリビエ・ペリエ騎手のことを思い出すことになるのだろう・・・*5

そう、思っている。

*1:M・デムーロと弟のC・デムーロが春のクラシック戦線で交互に手綱を取ったロゴタイプなどは、制度をギリギリまでうまく利用して成功したケースだと思うが、そのレベルまでいかない馬の中には、「そのままミルコが乗っていてくれれば・・・」と言いたくなるようなケースもあった。

*2:ちなみに、デムーロ騎手が初めて受験した2013年から「英語」での受験が可能となったのだが、今回合格したいずれの騎手も、実のところ母国語は「英語」ではない(http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20131002-1198525.htmlの記事も参照)。

*3:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130208/1360573301のエントリーも参照。

*4:同じ南関東出身の内田博幸騎手の例が先にあったとはいえ、移籍時には内田騎手ほどの実績はなく、まだ“若手”の部類に属していた戸崎騎手がここまでの実力を示した、というのは、かなりセンセーショナルな出来事のように感じられた。

*5:ペリエ騎手は、1994年以降、2008年まで、15年にわたって日本で通算379勝を挙げている。塗り替えられるのは時間の問題だとしても、これまで外国人としては歴代最多の勝利数、及びG1勝利数(9勝)を挙げていること、そして、何よりも、「外国人騎手が日本の競馬場で乗る」ということを、日常の、違和感のない光景にしてくれた、という点において、彼の功績は決して忘れられてはならないものである。

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